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新しさと新曲と名曲と宝物。(青いリンゴ_mix)

新しいこと、新しいもの、というような
「新しさ」にすべての価値がある、
とは思わないけれど、でも、たとえば、
音楽で言うとしたら、ぼくは、
「新曲」というのはすごいなあ! って思う。
とくにはさ、じぶんの大好きなバンドや
ミュージシャンさんの「新曲」となると、
心が弾むほどにわくわくするんだなあ〜。

このときの「新曲」というのは、
その新曲を「聴く」だけでなくって、
その新曲が「発売」される日もそうだし、
その新曲が「発売」される予定が
「発表」される日もそうだし、つまり、新曲の
発表日も、発売日も、初めて聴く日も、そして、
じぶんの身体に馴染ませるかのようにして
すこしずつ聴いてゆく日々も、全部、好き。
さらに言えば、もはや、この
「新曲」という言葉の響きさえも、好き!

ぼくは現在41歳で、
10代20代のころから聴き続けている
バンドやミュージシャンさんの方々がおられて、
そのミュージシャンの方々は
ぼくよりも年上で、と思えば、いつまで
その方々の音楽を聴くことができるだろう? とか、
新しい曲及び新しいアルバムも、
いつかは聴けなくなるときが来るのだろう、
というのも想像するんだけれども。
そう想像すると、さみしくもなるし、
なおかつ、ぼくだっても同時に歳を取り、
老い、もしくは、老わずとも
死んでしまうのだから、それはもう
当たり前のことだし、って考えれば、
「新曲」の音楽を聴くことができる、というのは、
あまりにも貴重のようだと感じられる。

たとえば、あるミュージシャンが
若くして亡くなられて、ぼくらも
新曲及び新しいご活動を聴く・観ることを
できなくなってしまったとしても、
新しい曲はもう聴けずとも、
すでにある曲が宝物のような音楽だ。

そして、もしも、今、
新曲としてリリースされた音楽も、
いつの日にかは、往年の名曲として
宝物のごとく聴き継がれながら、そして、
歌い継がれてゆくのでしょう。

それは、でも、音楽だけに限らずに、
文学も、美術も、映画も、マンガも、建築も、
その他のあらゆる文化も、
あらゆる技術も、あらゆる知識も、
すべてが宝物のようなものだ。

それらを、どうか、
こわさないで。

それらが、どうか、
こわれないで。

それらが、どうか、
永遠に残るかのように。

季節が、
永遠に巡るかのように。

令和5年10月11日

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