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権力って、なぜあるんだろう?

前回noteでは権力関係や主従関係のような関係性について、
たとえば、役所の担当さんと市民の人の場合だけでなく、
親と子供、先生と生徒、先輩と後輩、上司と部下、
経営者と労働者、国家と国民、そしてまた
お客さんと店員さんの間柄でも、
そのような関係性が発生する可能性はありうる、
と申しあげました。このほかにも、いわゆる
友人関係や婚姻関係での人間関係においても、
権力及び主従のようになってしまうことはある、
とも思われるのですが。
とは申しあげましても、このときにね、
そのどちらかが絶対的に「主」の側で、
その反対の側が絶対的に「従」の側だ、
というふうには必ずしも決まってないとも思うの。

つまり、たとえば、
子供が反抗期になる、とか、
生徒が先生の言うことを聞かない、とか、
お店が「一見さんお断り」を掲げられて
初めて来るお客はお店へ入れない、とか、
労働者たちがストライキを行う、とか、
国民が国家に対してデモを起こす、
もしくはクーデターを起こす、とかのごとく、
人間関係におけるパワーの関係性とは、
複雑であり、かつ、流動的でもあり、しかし、
絶対的に固定化されてしまっているようなものもあり、
どうなっているのか、どうなってゆくのか、
どうしてそうなのか、どうしたらよいのか、
よくわからないものでもある。

そもそも、権力って、
なぜあるんだろう?

やっぱり、人間たる者、
他の人間を己の意のままに動かしたい、
という欲望が存在するものなのか。
だからこそ、人は
権力を持ちたいと願い、その
持ち得た権力を行使してゆくのだろうか。
そして、権力を行使された側は
その権力に従いながら理不尽をこうむる、というのが、
この世界なのでしょうか。

権力とは、
なんのためにあるのか?!
ってゆうのを考えてみるならば、
ぼくが思い出すのは鳥山明先生の漫画
『ドラゴンボール』だなあ。

『ドラゴンボール』という作品って、つまり、
「力」とは何なのか?
ということが描かれていると思うのですが。
ピラフ一味、レッドリボン軍、ピッコロ、ベジータ、
フリーザ、人造人間、セル、魔導師バビディ、ブウ、
という悪役キャラは、その「力」によって、
世界征服であったり、宇宙支配であったり、
破壊及び殺戮などを企むのだけれども。
ストーリーの主人公である孫悟空たちは、
これまた、自身の持つ「力」によって
それらの企みを阻止しようとする、
というか、でも、ただただ
正義の気持ちによって動いているのではなく、
そのへんはなんだかうまく言えなくって、
説明しようとすると、結構、複雑でもあるんですが。
ストーリーが進むにつれて、登場する
敵キャラの「力」は、インフレーションのごとく
加速度的に強くなってゆき、その都度、
孫悟空たちは戦いに勝利してゆくけど。
でも、孫悟空は、携える「力」を
悪役キャラのような世界征服とかには使おうとしない。

ぼく自身で言うならば、ぼくは別に
権力のような力は持ってない。
でも、たとえば、この身体によって
暴力を行うことはできてしまうのだし、
道具を持つことによってその暴力性は増すのだし、
また、車に乗ったりすれば、
じぶんの持つ以上のスピード及び移動距離を
持ち合わせることにもなりうるわけだし。
もしくは、発言することばによっては、
誰かを、つまり、相手をとてつもなく
傷つけることもできてしまうでしょう。

つまりはさ、
人間とは、誰しもが
「力」を持ち合わせている。
しかし、同時に
人間とは「無力」でもある。
とも言える場合もありうる。

「力」とは何なのか?
そしてさらには、
「強さ」とは何なのか?

以前、SNSを眺めていたら、
「人間の本性が見えるのは、
 その人が『権力』を持ったときである。」
というのも読んだのですが。
それについて、なるほどぉ、って思いながら、
権力とか、力とか、強さって、
ある意味ではこわいものだし、でも、
それらをどう考えたらよいものなのか、
ぼくはいまだわからないのよね〜。

笑顔ウルトラZで 今日も アイヤイヤイヤイヤイ……

令和5年11月13日

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