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音楽の儚さと時間があるから。

ビデオ機やYouTube等では、
テレビ番組及び動画を倍速で再生することができて、
ぼくはこの機能はあんまり使わないのだけれども、
便利ではあるなあと思っている。
速く、なおかつ、たくさんの
情報を視聴することができる。
ぼくの場合では、講義やニュースや
テレビのバラエティ番組を録画したときには、
倍速再生をする場合もあるけれど、おそらく
なかには、映画やドラマなどなども
倍速で観る方々もおられるのでしょう。
ぼくはそれらをそういうふうには観ないんですが、
たくさんたくさん観たい作品があるようなときには、
倍速再生も便利なのやもしらないなあ〜。

ってゆうふうに考えてみたときにね、ならば、
講義やニュースやテレビ番組、及び
映画やドラマなどなどではなくって、
音楽を聴くときには、
倍速再生をされるかどうか。

ぼくの場合で言うとすると、ぼくは
音楽を聴くのが好きなのですが、
音楽を倍速で再生して聴く、
というのは思わないな。
そうすると、たとえば、歌ならば
歌声も変化してしまうし、つまり、
歌を聴くときには、その歌を歌われる方の
歌声を聴きたい、というのもおおいにあるから。
また、音楽を聴くのは、その音楽の
リズムを感じたい、もしくは
音色を感じたい、というのもあるから、
倍速ではそれらも変化してしまうから。

音楽とは、
時間の芸術である、
という言説を聞いたことがあるけれども。

たとえば、音楽を聴くときには、
その音楽を聴いている時間が、まるごと
音楽の中につつまれている、
とも言えるかなあ。

音楽の原初が、
どういうものだったか?
ってゆうのもぼくは知らないですが、
でも、なんだか、みんなで集まり
体を動かして踊ったり、歌を歌ったり、
というときに、音楽が生まれたのでしょうか。
それはつまり、やはり、その時間を
どういうふうに過ごすか、
というのと関係しているような気がする。

なにかを叩いて、
なにかを鳴らして、
声を出して、
音を出せば、
その音はすぐさま、もしくは
減衰しながら消えてゆく、
だから、また、次の音を出す、
そして、また、次の音を出す、
それが、リズムになったのかなあ。

そんなふうに考えてみると、
音楽って、とても儚い、というか、つまり、
消えてゆくものを繋げてゆく、
って申しますか、つまりはさ、
なぜ、消えてゆくか? と言えば、
時間があるから、だと思うのよね。

繋げても、繋げても、繋げても、
どれだけ音を繋げたとしても、
やがて、音楽は
鳴り止む、と分かっていても、
今日という時間を踊り続けたい。

どうか、今はまだ、その音楽には
楽譜の中にダルセーニョを置いて、
セーニョの節までぼくを戻しておくれ!

令和6年4月15日


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