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角も立たず、波風も立たず。(HANABI_Remix)

「角が立つ」ということばがさ、ぼくは案外
好き、と言ったら変やもしらないけれども、
そういう表現があることについて、
救われている部分もある、というか、
そのことについて、
考えることがままあるのよね。

「角が立つ」とは、『広辞苑(第七版)』によれば
【ことが荒立つ。人間関係が良好でなくなる。】
とされておりますが、たとえば
これを言ったら角が立つから、
言わないでおこうか、とか、
言い方を考えようか、とか、
そういうことを考えてしまうこともある、
というか、なんというか、、

ぼくだってもね、ときには、誰かに対して
怒ったり、嘆いたり、憤ったり、憎んだり、恨んだり、
してしまうこともあるんですが、
そのような嘆きの気持ちを、
その誰かへ、つまり、相手に対して
伝えようとするのは苦手、と申しますか、
なかなか、きちんとは言えないし、
なかなか、きちんと表現もできないんだな。

じぶんがきちんと言えないのは、やはり、
角が立つから、だとも思うけれども、
言ったら言ったで
角が立つとしても、その逆に、
言わなかったら言わなかったで
波風が立つ、というか、つまり
言っても、言わなくても、どのみち
悲しみや苦しみが待っているんだろう、
とも思ってしまう。それは、でも、
相手だけが悪いわけでも無くって、
ぼくのほうが全面的に悪いから、
ということも考えたりもするけれど、
それだっても、このぼくだけが
悪いんじゃない! と思ってしまうぼくは、
卑小だなあ、とも感じられる。

こういうような場面において、
「角が立つ」という表現とは、
あまりにも適切だ、と申しますか、
シズル感がある、と申しますか、つまり、
リアルな表現だなあ、と思う。

ほんとうはさ、実際問題として、
弁も立たず、なおかつ、
筆も立たずのぼくは、
角も立たず、
波風も立たず、
腹も立たず、
目くじらも立たず、
浮き足も立たず、
荒立たず、苛立たず、いきり立たず、で、
過ごせたらよいのやもしらないけれども、
そのためにはさ、たとえば、その「角」を
オブラートにつつむようにして、
表現できたらよい、とも考えつつ、
それもやはり、むつかしいのでしょう。

ちょっと疲れてんのかなあ、
とは想いながらも、けれども、
臆病風に吹かれて、
波風がたった世界を、
どれだけ愛することができるだろう?
って歌いながら、また、
何度でも君に会えたら良いのに。

もう一回。もう一回。

令和5年7月15日

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