見出し画像

その歌を歌いたいために。

ぼくのこのブログでは、ある歌の歌詞のことばを
引用したり、もしくは、おまじないのごとく、
じぶんで歌うようにそのことばをしるす、
ということも多いんですが、でも、
歌の歌詞のことばをしるすときには、
歌詞のことばのみを取り上げるようにして、
つまり、歌詞のことばを論文のごとく考えるのは
しないようにできたら、と思っている。

歌詞とは、歌詞のことばだけで
独立して存在するわけじゃあないようにも思うし、
その曲のリズムや演奏、歌のメロディー、
歌われる歌手の方の歌声、などなどの要素があって
歌詞のことばがあるのだとすれば、なんだか
歌詞だけで見るのは申し訳ない、と申しますか。

そうとは言ってみてもね、かねてより
音楽を聴くのが好き! と申しているぼくは、
けれども、音楽の知識が皆無でもあるので
やっぱり、どうしても目で見える
歌詞の部分をよく見てしまうふしがある。

先日、NHK総合で放映されました『ワルイコあつまれ』の
「にっぽん歌謡合唱団」のコーナーでは
コピーライター・糸井重里さんが出演されまして、
糸井さんが作詞をなされた、沢田研二さんの
『TOKIO』という曲の歌詞について、
合唱団のこどもたちが糸井さんへといろいろ質問されていた。
その質問に対する答えとして、とくにはね、
歌のことばとは、夜見る夢に
ルールがないのと同じように、
ルールのないでたらめなことを書いてもよい、と、
糸井さんがおっしゃるのがとっても印象的でした。
そしてそのあと、合唱団のこどもたちで歌われる
『TOKIO』すばらしかったなあ〜。

‥‥ということより考えるとするとね、
このこどもたちは、歌詞のことばについて
考えたり、かつ、質問をなさっていたのですが、
それは、合唱で歌うためのことで。
つまり、歌を歌うためには
その歌をより理解することが大切で、
だからこそ、歌の歌詞を考えたのではないか?!
というふうに感じられました。

つまりはさ、さきほど、ぼくは
「歌詞のことばを論文のように考えるのは
しないようにしたい」と申しあげましたが、
「論文」のように考えるということは、
歌詞がことばだけのものになっていて、
「歌う」は関係なくなってしまう。

そういうふうに考えるとするならば、
その歌を歌いたいために、その歌を
より理解するためのひとつの方法として、
その歌の歌詞のことばを引用したり、及び、
考えたりすることができたら。

そして、
歌詞が空を飛ぶ。

令和6年4月20日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?