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瞼と身体の「ふた」について。

昨日のブログの最後のところでね、
「瞼」という漢字についてしるしながら、
そのブログを書き終えたのち、この
「瞼」について考えていたの。
それでちょっと思ったのは、こんなことは
当たり前で当然のことやもしれないけれども、
「瞼」、つまり「まぶた」とは、
「目」の「ふた」なんだなあ、って、
ぼくとしては初めて思ったんだった。

「まぶた」とは、
「め」の「ふた」だから、でも、それは、
「めぶた」ではなくって、
「まぶた」と呼ばれている。
なぜ、「め」が「ま」になったか?
ってゆう理由や経緯も知らないけれども、
「め」は、たとえば、
「まなこ」とも言われるし、つまりは、
「まなこ」の「ふた」、略して
「まぶた」と成ったんだろうか、とか。はたまた、
「まぶた」という語句もね、
「まふた」ではなくて、
「まぶた」と「ふ」に濁点がつくのは、
日本語って、こういうの、多いよね。

たとえば、
「いっぽん」「にほん」「さんぼん」みたいに、
その直前に来る語によって、次の語音が
濁音、半濁音、変化しない、という場合があって。
これってば、でも、ぼく自身は
母語として当然のように変化させているけれども、
それらがどういう規則で成り立っているか、
考えてみれば、ぼくはよく知らないんだな。

最近、手に、ちょっと怪我をしてしまって、
おかげさまで今ではだいぶ良くなったですが、
傷口より血も出たし、絆創膏も貼ったし、
数日間は、お風呂につかっても
その手の傷口が湯船に入らないように、
気をつけたりもしていた。そして、
この傷口をずっと観察もしていたけれども、
ここで「ふた」の話しに戻るとすれば、
傷ができたときに身体にできる
「かさぶた」とは、つまり、
「ふた」なんだなあ、とも思ったのね。

怪我をすると、身体は
「かさぶた」を作り、その内側を
ガードするようにして身体を治してゆく。
この生体システムって、あらためて
すごいなあ! とも感じたなあ〜。

今では「かさぶた」も無くなってきて、
って、そう言えば、当初の一度
この「かさぶた」がどうしても気になってしまい、
かるく剥がしてしまったときがあって、
あれはやっぱり剥がさなかったほうがよかった、
と、反省もしたですが。
「かさぶた」が消えてきた今、
その傷口だった箇所では、手の
手相的な「しわ」の線も復活してきて、
ここでもさらに、人間の身体、
すごい! って思っている。

「かさぶた」もまた、
「まぶた」とおんなじように
「かさふた」ではなくって、
「かさぶた」のように濁音になるのね〜。

たとえば、
「臭い物には蓋をしろ」のことばはさ、
あんまりよくない、というか、つまり、
都合が悪いことを「ふた」で隠す、
的な語句だと思うけれど、そうとは言ってみても
「ふた」って、やっぱり、
大事なものであるとも思います。

瞳を閉じれば、
「まぶた」の裏には、
何が映るでしょう。

そこで映る光景によって、ぼくも、
どれほど強くなれたでしょう。。。

令和5年6月10日


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