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心を温める本

昨日の朝から発熱した。

布団から起きた時点で明らかに
内側からくる寒さがあったので
これはもしやと思いながら
恐る恐る体温計を脇に挟むと
そこに表示された体温は38.8℃。

昨日は顧客との商談もある日だったので
どうしようかと一瞬考えたが、
当然ながらこんなコンディションで
強行できるはずもない。

いつもの朝活をかなり短縮して
布団にもぐりこんだ。

ほどなくして妻たちが起きてきて
私がいることに気付き
「どうしたん?」と声をかけてくる。

発熱したことを伝えると
「え?大丈夫なん?」と心配そうではあるが
多少動く分には全く問題ないので
妻や子供たちはいつも通り会社や学校に行ってもらい
私は徒歩30秒の場所にある内科医で
診てもらうことにした。

早速電話をかけて発熱で診てもらいたいと
相談してみると、予約制だという。
私が電話をかけたのが9時ちょうどだったので
次の空きは11時10分。

仕方がないのでそこで予約を取ったのだが
ここでもう一つ困ったことが起きた。

必ず車で来てくださいというのだ。

どうやら車で来て、そこでコロナとインフルの検査をして
その結果コロナでなければ院内で診察をするという
流れになっているらしい。

だが、我が家には車は1台しかなく
車は妻が仕事に乗って行ってしまっている。

レンタカーを借りるというのも一つの手だが
レンタカー屋は自宅から7分ほどの距離にあり、
この体調で7分を歩いて車を借りに行くのは辛い。

妻に一度相談してみようとメールを打つと
妻はちょうどその時間会議に入り対応が
できないという。

これは困った。

そう思っていると、妻から
「今からタクシーで会社に来てくれへん?」と
返信があった。

どうやら妻が会社の入り口のとろこで鍵を
渡してくれるらしい。

それならば私もむやみに歩き回る必要はない。

そこで、さっそく近くのタクシー会社に連絡し
車で10分ほどの妻の会社まで送ってもらい
無事に我が家の車を自宅に持ち帰ることに成功した。

そこからしばらく待っていると
ようやく時間が来て私は検査を受けることができた。

結果は見事インフルエンザA型が陽性。


全く必要ないが記念にもらっておいた

40年間生きてきたが今まで一度も
インフルエンザには罹患したことがなく
ここにきて人生初のインフルエンザデビューが
決定した。

何となく未体験ゾーンに足を踏み入れるようで
ワクワクしていたのだが
検査を終えて、家に帰った時には
体温が39.4℃まで上がっていた。

経験者からよく聞く内側からくる寒さが
ゾワゾワと押し寄せてきて
布団にくるまってもどうにもならない。

そして関節や筋肉もアチコチ痛い。

これが筋トレによるものならばとても嬉しいだろうが
発熱による痛みは思っていたよりも辛く
ちょっと寝がえりをうつだけでも痛いのだ。

だが、処方された薬を飲んでしばらくすると
薬が効いてきたらしく症状はかなりマシになって
そこからしばらく眠りにつくことができた。

ところがである。

時刻が16時を過ぎた頃に携帯の音で私は目が覚めた。

見てみると妻からのメールである。

「18時頃になりそうなんやけど、迎えにこれる?
無理ならタクシーか何かで帰ろうか?」

しまった。車を持ってくるということは
私が妻を迎えに行かねばならなかったのだ。

だが、薬が効いて数時間眠ったせいか
症状はかなり楽になっていたので
妻に迎えに行くことを返信した。

18時までは2時間ほどある。

もちろんこのまま寝ていてもいいのだが
朝から寝すぎて腰が痛くて仕方ない。

これは少し座っておく必要がありそうである。

そこで、先日購入した小説を読み始めることにした。

それがこちら。

以前に読んだ雑誌PRESIDENTでどなたかが
紹介されていた本で、
先日それを書いたメモを発見して購入したものである。

この話自体は戦前のアメリカ カリフォルニアを生きる
貧しい農場労働者の二人を描いた話。

体が大きく常人離れした力をもちながらも
軽度の知的障害をもつレニーと
体は小さいものの頭がキレるジョージの二人が
自分たちの農場を持つという夢をみて
新たな働き先に行くところから話は始まる。

そこからその農場にいる人たちと
数日の間に色々な騒動を引き起こしてしまい
結果としてバッドエンドになる話なのだが、
なぜかこの話を読み終えたとき
私の頭の中にはどこか心地いい読後感があった。

大抵心地いい読後感が得られるのは
ハッピーエンドの話なので、
私としてもこのようなケースは珍しい。

だが、この話はバッドエンドでありながら
その中にジョージとレニーがお互いに持っていた
優しさがにじみ出ている気がしたのである。

私は小説を選ぶとき、とても読後感を重視している。

とはいえ、実際に選ぶ時にはまだ読んでいないので
読後感は想像でしかないのだが、
何となく本文を読む中でも伝わってくるものがあるのだ。

それでも時折読みを外して読後感が悪い
小説に出会うこともあるのだが、
その時には何とも言えない後味の悪さのような
感覚を引きずることになってしまう。

以前に書いた記事ではあるが、
この時にはドラマやアニメのシリーズが終わるのを
なぜ寂しいと感じるのかを考察した。

この時には、話が終わることで
このキャラクターは自分の心の中でしか
生きなくなるからだと書いたが、
小説を読むとはまさにこれと同じことが
起こるのである。

中にはシリーズものもあるが、
基本的には小説でその人に出会えるのは
その本を読み進めている1回きり。

その話が終わった後のことは
想像することしかできない。

それゆえに、基本的に私は
バッドエンドの話はあまり見たくない派である。

一時図書館の小説を片っ端から借りていたころ
山田悠介氏の著した小説を借りたことがあるが、
この方の書いた本はいわゆるホラーに分類され
私が読んだ数冊はもれなくバッドエンドであった。

その読後感の悪さを体感してから
私は余計にハッピーエンドの小説しか
読まなくなったのだが、
今回読んだハツカネズミと人間は
バッドエンドにもかかわらずとても
心が温かくなるような話であった。

体が熱を求めて異常な寒さを感じさせる中
心が温かくなる話を読んだのは
理にかなっているのかもしれない。

そんなことを思いながら本を読み終えると
ちょうど妻を迎えに行く時間になった。

インフルエンザということなので
原則として日曜日までは外出自粛だと
医師にもいわれたので
これはある意味絶好の読書チャンスである。

読もうと思っておいていた本達を
枕元にしのばせ
布団にくるまる私であった。


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