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数原晋の哀愁。杏里の「悲しみはとまらない」は 何故 悲しいのか。

 先日、とある外出先で数原晋のサイン色紙を見つけた。思わぬところで彼の名前を見つけた私は、少し興奮気味に周りにいた知り合いにそのことを伝えた。だが、誰ひとり反応することはなかった。皆、数原晋の名前を知らなかったのである。
 数原晋は、日本を代表するトランペット奏者である。どんなジャンルであれ、音楽を意識的に聴いている人なら知らない人はいないだろう。とはいえ、冒頭のエピソードからも分かるように、一般的な知名度はそれほど高くない。しかし、彼を知らないという人も、その演奏は聴いたことがあるはずだ。

 私が初めて数原晋のことを知ったのはいつだっただろうか。はっきりとは覚えていない。山下達郎のレコードを聴きながらクレジットをくまなく確認していたころ、数ある管楽器のミュージシャンの中に数原晋の名前が多く記載されていたのを覚えている。おそくら自然とインプットされていたのだろう。
 2008年に山下達郎がリリースしたシングル『ずっと一緒さ』に、「バラ色の人生~ラヴィアンローズ」が収録されていた。アカペラのカヴァー曲であり、2011年のアルバム『Ray Of Hope』にも収録されている。
 この曲の間奏では、数原晋の口笛(Whistle)を聴くことができる。トランペット奏者でありながら、口笛の名手でもある。山下達郎はいつか彼の口笛をレコーディングで使いたいと考えており、この曲で実現したというわけだ。そのことは、CDリリース当時にもラジオで話していたが、数原晋の逝去にあたって再び紹介し、この曲をオンエアしている。

 さて、2021年5月に数原晋の死去が報道された際、私はSpotifyで彼のプレイリストを作った。100曲を超えるプレイリストだ。80年代アイドルやシティポップ、歌謡曲を中心とした選曲になっているが、そのすべてを網羅しようなどというのはしょせん無理な話だ。彼は、数多くのレコーディングに名を連ねており、クレジットさえされていないものも多い。完璧なディスコグラフィーというのはおそらく存在しないのではないか。

 プレイリストでは、有名曲や彼のプレイが目立って聴くことのできる曲をできるだけ最初の方にもってくるようにした。しかし、きちんと整理されているわけではない。参加が確認できたものからとにかく並べていったのだから、仕方がない。折りをみて、少しずつ再編集していきたい。

 プレイリストの1曲目は「金曜ロードショー」のテーマである(1985年)。作曲はピエール・ポルト。トランペットの演奏は、ドミニク・ドラースとクレジットされている。調べたところ、これは数原晋の変名であるらしい。夕陽の映像をバックに流れる、郷愁を誘う美しいメロディーを記憶している人も多いことだろう。追悼報道でも、この曲が最も多く紹介されていたように記憶している。
 2曲目は、「北の国から」のテーマ曲(1981年)だ。さだまさしのスキャットやアコースティックギターとのアンサンブルが美しい。
 トランペットの音色についての専門的なことは分からないが、彼の音色には「哀愁」「郷愁」というキーワードがよく似合う。トランペットの音に人格が宿っているようだ。そしてその人格がもつ愁いは、聴く者を共感させるだけの説得力をもっている。
 山口百恵の「いい日旅立ち」(1978年)の主人公は、過ぎし日を想いながら自分探しの旅をする。夕焼けや羊雲、ススキの小径など、日本の原風景を思わせる言葉が並ぶ。作詞作曲を手がけた谷村新司が描く世界観に、数原晋のトランペットの音色が見事に重なっている。

 杏里の「悲しみがとまらない」(1983年)は、林哲司が作曲を手がけた、彼女の代表作である。テーマは失恋、しかも略奪によるものであるから主人公の悲しみはあまりにも大きい。それをビートの聴いたサウンドで聴かせる。そのギャップが聴きどころだ。
 冒頭から力強いピアノが響き、ハイハットとバスドラムがリズムを刻む。駆け上がるストリングスの音階にブラスが重なる。完璧なイントロだ。
 杏里の歌声が聞こえてきて初めて、リスナーは失恋の歌であることに気付く。今やシティポップの代表的なシンガーとして人気を博す杏里の声質はどちらかといえば明るめだ。しかし、林哲司の哀愁を帯びたメロディーに合わせて失恋の歌詞を歌うことによってギャップが生まれる。悲しみに打ちひしがれながらも、切々と語りかけるように歌う。
 決して湿っぽくならない失恋ソング。悲しい内容を、悲しいメロディーに乗せて、力強く歌う。リスナーがこの曲に共感し続ける理由のひとつがここにあるように思う。
 だからこそ、この曲のトランペットは数原晋でなくてはいけない。「金曜ロードショー」、「北の国から」、「いい日旅立ち」で聴かれたような哀愁の音色が、力強いビートに重なることの効果は絶大だ。

 他のアイドル歌謡においても、数原晋のトランペットは同様の効果を発揮している。
 中山美穂の「You're My Only Shinin' Star」(1988年)は、運命の相手に対して「いつまでも側にいて」と語りかけるラブソングだ。そこに、「ずっと今まで困らせてごめんね」「理由もなく涙つたってくる」というちょっとしたアクセントが加わる。幸せではあるが、はしゃいではいない。過去と未来についてじっくり考える二人の世界観。数原晋のトランペットの音色は、二人を照らす月のような役目を果たしている。(数原晋はこの曲でブラスアレンジも手がけている。)
 松本伊代の「すてきなジェラシー」(1987年)のイントロも、一聴して数原晋とわかるトランペットの音色が聴ける。リリース当時は22歳である。デビュー当時の「伊代はまだ16だから」からはかなり成長している。大人の倦怠期を歌う彼女の歌声に、数原のトランペットはずいぶんと似合っている。

 数原晋は、フリューゲルホルンの名手でもある。松田聖子「セイシェルの夕陽」(1983年)や杉山清貴&オメガトライブ「サイレンスがいっぱい」(1985年)での演奏も素晴らしい。

 数原晋の演奏を聴くと、情景が広がる。そして、想像力がかき立てられる。それは、郷愁を誘う情景であったり、揺れる女性の心の内であったりする。
 単なる演奏家ではない。確かな演奏技術もあったのだろうが、それ以上に聴く者の心に入り込み、感情を刺激する。数原晋というミュージシャンは、いわば、「管楽器の詩人」であったのだと思う。

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