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四行詩に現れるニンジャの影

はじめに

四行詩は、印欧語族において西のかたイギリスから東のペルシアまで広く歌われる詩歌の形式である。一般的には連歌のように四行詩を連ねて一つの作品とするが、ハイクに似てその一部だけを切り出して鑑賞されることもある。

そのようなハイクとの類似性から、四行詩の中にもニンジャの手になるものやニンジャ真実を反映した作品が少なからず存在する。本稿では、四行詩の代表的な作品として英語版wikipediaに紹介されている教科書的古典作品6つを紹介し、織り込まれたニンジャ真実を読み解く。


The Tyger "虎"

Tyger Tyger, burning bright,
In the forests of the night;
What immortal hand or eye,
Could frame thy fearful symmetry?

虎よ、虎よ。夜の木立ち
燃えるように光立ち
いかなるイモータルの手や瞳が
汝の恐ろしき均整美を形作ったのか?
※参考:他の日本語訳

イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクが1794年に著した作品。虎を恐ろしいと言いつつ、強さに秘める美しさを称えた作品となっている。

ここで注視すべきはイモータル(不死者)という言葉が使われている点である。ニンジャ研究家の方には周知のことであるが、ニンジャは非ニンジャを「モータル」とみなしており、対義語のイモータルは必然的にニンジャのことを指す。この作者は虎がニンジャのジツで作られたことをはっきり述べているのである。

通常はヘンゲヨーカイ・ジツのことを指していると考えられるが、ニンジャの中には闇のカラテ馬のようなものを生成したり眷属となるニンジャアニマルを持つ者もいるので、考えられる可能性はいくつかあるだろう。


La Belle Dame sans Merci "慈悲なき美しき貴婦人"

I saw pale kings and princes too,
Pale warriors, death-pale were they all;
They cried—‘La Belle Dame sans Merci
Hath thee in thrall!’

我は青ざめし王、王女と騎士達が
姿を見ゆ、彼ら皆生気無かりけり。
その者ら「慈悲なき美しき貴婦人が
われらを虜にせり」と泣きに泣きけり。
※参考:他の日本語訳

イギリスの詩人ジョン・キーツが1819年に発表した作品。やや時代がかった表現の多い英語だが、La Belle Dame sans Merciの部分だけはフランス語で、「慈悲なき美しき貴婦人」という意味である。英語中の唐突なフランス語は彼女が異界から来たことを示しており、定冠詞が付き大文字化されている通り一種の固有名詞として扱われている。

ニンジャ研究家である皆様から見ればこの詩の意味するところは明らかであろう。「慈悲はない」(sans Merci)という表現からこれはほぼ間違いなくニンジャであり、「死者のごとく青い」(death-pale)はジツによりズンビー化したことを示している。異界から来た「慈悲なき美しき貴婦人」によって城の全員がズンビー奴隷になったというのである。「慈悲なき美しき貴婦人」に当たるのはシ・ニンジャヨミ・ニンジャである可能性が高いが、それ以外の知られていないニンジャであっても不思議ではないだろう。


In Memoriam A.H.H. "A.H.H.を悼む"

So word by word, and line by line,
The dead man touch’d me from the past,
And all at once it seem’d at last
The living soul was flash’d on mine.

ゆえに、言葉という言葉、行という行で
死者は過去から私に触れるなり。
ひとたび最後まで読み終えるなり
生けるソウルは瞬けり、我がソウルの前で。

テニスン男爵アルフレッドが1850年に発表した作品。ソウルという明々白々なニンジャ用語を用いており、mine(私のソウル)と書いていることから、男爵自身がニンジャであったと考えられる。

死者の書き残したものを一字一句読み上げると「生きたソウル」が出現する、としていることから、おそらくマキモノなどに記された呪文に自らのジツかソウルの一部を封じており、最後まで読み上げることでそれが解放されるという性質のニンジャレリックであろうと推察される。このようなレリックが存在することはすでに語られている通りである。


A Red, Red Rose "赤い、赤い薔薇"

O, my luve’s like a red, red rose,
That’s newly sprung in June;
O, my luve’s like the melodie
That’s sweetly played in tune.

ああ、吾が愛は赤き赤き薔薇なり
それは水無月に開かれる
ああ、吾が愛は調べの如くなり
それは甘く奏でられる

ロバート・バーンズが1794年にスコットランド語で発表した詩を原典とする。一般的な愛の歌であり、ニンジャとの関連性は感じられない。


Elegy Written in a Country Churchyard "田舎の教会の庭にて書きとどめる哀歌"

The curfew tolls the knell of parting day,
The lowing herd wind slowly o'er the lea,
The plowman homeward plods his weary way,
And leaves the world to darkness and to me.

門限番が今日の日に別れを告げる鐘を突き、
哮る牛の群れがゆっくりと行く――草地の向こうに。
農夫は疲れた足取りで家路に就き、
そして世界を後のものに預ける――闇と、そして私に。
※参考:他の日本語訳

トーマス・グレイによって1751に発表された詩。一日の終わりを感傷豊かに表現している。四行詩は一般的に連歌のような形で、その連続で一つの作品を形成するが、この四行詩についてはこの部分だけ取り出しても俳句のような切れが感じられる。

一見したところではニンジャと関係なさそうではあるが、晩鐘が鳴るとともに世界が異なる姿に飲まれていく様子は、すでに知られているミツカド・ニンジャのジツや、キリングフィールド・ジツなども連想され、ニンジャのジツを表現したものである可能性も否定はできない。


رباعیات خیام "ハイヤームのルバイヤート"

英語wikipediaの最後には、11世紀ペルシアの詩人オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」が紹介されている。ルバイヤートはルバイイ(四行詩)の複数形であり、そのまま「四行詩集」という意味である。英語wikipediaではエドワード・フィッツジェラルドによる古い英訳版が紹介されているが、英訳版を見てもしょうがないので、ここはペルシア語版wikipediaから、恣意性を避けるため一番最初に紹介されている詩の原文から直接翻訳してみよう。

آنان که محیط فضل و آداب شدند
در جمع کمال شمع اصحاب شدند
ره زین شب تاریک نبردند بِرون
گفتند فسانه‌ای و درخواب شدند

誰が雅と礼儀作法を知る者となる。
彼の者らは完成の蝋燭を持ちて友となる。
彼の者らは闇夜には出歩かず。
彼の者らは言う、我らは眠りて神の世にある。
※筆者は古典的新ペルシア語に詳しくないため誤訳を含む可能性がある

「彼の者ら」(動詞の人称変化で表されているので直接的な語はない)は礼儀作法(آداب)にこだわっていることから、これはニンジャについて言及したものであると考えてよいだろう。

この詩では「完成の(کمال)蝋燭(شمع)」というものが鍵になる。ニンジャがインセンスなどの力を借りてコトダマ空間を飛翔することはよく知られており、「眠りて神の世にある」という言及などからしてユメアルク・ジツユメミル・ジツのインストラクションかジツの集団行使についての描写であると考えられる。

なお、オマル・ハイヤームは飲酒に関する詩を大量に残していることでゆうめいで、前日に酒を飲みすぎたか、何か吸ったのかな?としか思えない詩もあり、ニンジャ真実に様々な方法で近づこうとしていたと想像される。


まとめ

以上の通り、恣意性を排除するために選んだ英語版wikipedia掲載の初歩的四行詩6つだけであっても、その中の4つはほぼ確実にニンジャの影が見られ、残り2つのうち1つもニンジャと関連する可能性があるものであった。

日本語圏のニンジャ研究者の間では四行詩への注目は低いが、日本国外で活動したニンジャの痕跡の追跡のためには四行詩の解読は必須であり、ヨーロッパで活躍するニンジャ研究者との提携が必要であろうと考えられる。


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