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奈良クラブを100倍楽しむ方法#006 第6節対カマタマーレ讃岐 ”恋はいつでもいたいもの”

 「サッカーのどこが面白いの?」と聞かれると、みなさんはどうお答えになるだろうか。すごい選手のスーパープレー、戦術の読み解き、推し選手…それぞれに答えが返ってくるだろう。僕の考えるフットボールの魅力、それは「不条理さ」である。フットボールというスポーツは、潜在的に不条理さを内含している。もちろん、どのスポーツにも不条理なことは起こる。しかし、フットボールほど不条理なものはない。むしろ、フットボールとは不条理さそのものである。
 J3第6節、奈良クラブはカマタマーレ讃岐と対戦し、1点を先制することに成功した。そしてロスタイムの最後の最後で同点打を献上し、引き分けに終わった。崩された失点ではなく、審判によってはファールとするか微妙なところでのPKを取られた上での引き分けだった。勝利を目前にしての引き分けだっただけに、残念さというよりも悔しさが勝る後味の試合だった。今回は試合の展開や分析ではなく、実存的な意味でこの試合を飲み込みたい。むしろ、こういう試合に対してどうリアクションするのか、というのは今後のクラブの成長にも関わる部分だと思う。とりあえず、一曲聴いて落ち着こう。

 繰り返しになるが、フットボールのほとんどは不条理でできている。バファリンにおける優しさの比ではない。ここでは不条理とは「筋道が合わない。道理に合わない」という意味で使っている。
 例えば、先日の大宮戦。「内容は悪くなかった」「シュートの本数では勝っていた」という意見を散見したし、僕もそう思った。二つのセットプレーでの失点で負けはしたが、J1を経験しているチームにイーブンの試合を展開できたことに、一定の手応えを覚えたのは事実だ。しかし、結果としては負けは負けなのだ。どれだけ内容が良くても負けは負け。「シュート本数では勝っていたから勝ち点は1あげます」ということはない。
 他のスポーツでもそういうことはあるのだが、これは印象論だけど、野球でヒットの本数が多いチームが負ける試合と、フットボールにおいてシュート本数が多い方が負ける試合、どちらが多いかと言えば、おそらく後者だろう。野球は嘘でもヒットを稼いでいけば勝ちにつながるが、フットボールなんて90分守っていて一回の攻撃が成功すれば試合には勝ててしまう。そうやって勝ち進むことに美学を求めるチームすらある。個人的にこういうフットボールも嫌いではない。この不条理さを引き受けないことには、フットボールは成熟しない。おそらく、この不条理さの根源は、人類という手を扱うことで進化してきた種族がその一番の強みを放棄した競技をしているからだと考えている。「手を使ってはいけない」というルールを考案した人はだれだったのかは存じないが、相当ストイックな方だったのだろう。
 いわゆる、強いと言われているヨーロッパや南米のチームは、こうした不条理さを毎年味わいながら歴史を積み重ねてきた。だから強い。たとえば、「カンプ・ノウの奇跡」と呼ばれている、99年のチャンピオンズ・リーグの決勝、マンチェスター・ユナイテッド対バイエルン・ミュンヘンの試合がある(別に「カンプ・ノウの奇跡」というとバルサ対PSGもあるのだが)。この試合、90分間は完全にバイエルンの試合だった。アディショナルタイムの3分間だけ、マンチェスター・ユナイテッドがペースを握り、コーナーキックを連続で二得点し逆転に成功したのだった。90分間でマンチェスター・ユナイテッドが勝てるような要素はほとんどなかった。誰もがそう思っていた。本当に、最後の最後で逆転を果たしたのだった。これを不条理と言わずなんと言おうか。あの、百戦錬磨のドイツを代表するクラブでも、こんな大事な場面で浮き足立ち、失敗することがある。では、バイエルンはダメなチームか?そうではない。毎年優勝争いをし、チャンピオンズリーグでも常に最後まで残ってくるチームだ。結局、それは「負けたからダメ」ではなく、チームがファンも含めて「あの敗戦があったから今のチームがある」と言えるように強化を進めてきたからではないだろうか。こうした経験はどのチームにもある。
 奈良クラブはどうだろう。アディショナルタイムでの失点は、先日の長野パルセイロ戦でもあった。こうして2回続くとなかなかに辛い。今年の目標はあくまでJ2昇格なので、この2試合で勝ち点を4失っていることになる。この損失は大きい。確かに大きい。それでも、前を向かなくてはいけない。
 奈良クラブはまだまだ若いクラブだ。J3経験にしても1年と少し。新参者である。また、やろうとしているフットボールが独特なことで、新加入選手が戦術に馴染むまで時間がかかる。もし、J2への昇格「だけを」目標にするならば、強化方針そのものを変える必要がある。もっと勝ち点の確保にこだわるフットボールにしないといけないし、そのための選手を獲得しなくてはいけないし、それに適した監督を招聘しなければならない。ただ、#0でも書いた通り、奈良クラブはそうではない方法でJリーグを戦おうとしている。下手をすると一番遠回りの方法をしているかもしれない。しかし、だからこそ魅力的なのだ。ロマンティックなのだ。
 もちろん、結果は残念ではあったが、この試合の内容はそこまで良いものではなかった。ピッチコンディションもよくなかったし、選手たちにも連戦の疲れがかなり見えた。コンディション面でいえば、今シーズン一番悪かったかもしれない。フリアン監督もそれがあったので、選手交代をかなり早い目から繰り出していた。その上にパトリック選手の怪我もあり、かなり苦しいなかでのやりくりを強いられていた。アディショナルタイムでの失点だったが、もっと早い時間にやられていた可能性もあるし、そうなると試合自体がひっくり返されていた展開もある。かなり苦しいなかでできる範囲のことはやっていたように、僕には見えた。それでもこういうことは起こる。それがフットボールだからだ。
 このシーズンがどう終わるかはわからないけど、これからも何度となくこうした試合を経験するだろう。来シーズン以降も、もちろんあるだろう。奈良クラブというとても身近なクラブなだけに、海外の推しチームよりも、同じことが起こっても比べ物にならないほど心が痛い。選手も知っているし、話したこともある。彼らがどれだけ真摯にフットボールに向き合っているかを知っているのだ。まるで自分が受けた痛みのように辛い。厳しい言葉を伝えることも否定はしない。大事なことは、選手もファンも、「あの経験があったから今があるんだ」と言えるような未来になるように、自分が「こうだ」と思うことをすることだろう。
 自分でも驚くほど、今回の試合は悔しかった。悪い要素がありながらも、生駒選手のゴールはスーペルゴラッソだったし、悪いなりに試合をまとめようとしていたのが伝わってきたからだ。長野パルセイロ戦と同じ失敗はしないぞ、というような選手の情熱は感じた。だからこそ、悔しいのだと思う。あまりに理不尽ではないか、と思ってしまうような結末が、悔しさに拍車をかける。そう、この悔しさは、選手たちの頑張りがあったゆえなのだと思う。裏を返すと、讃岐の選手たちも同じだけ努力をしていた。
 とりあえず、僕にできることは、次節もスタジアムに行くことだろう。フットボールを見ることはいつも「痛い」のだ。不条理さは喜びも痛みも同時にもたらす。不条理な痛みは辛い。どこにも責任を押し付けることができないからだ。それでも、文字通り「苦楽を共にする」ことなしに、不条理な喜びは得られない。先日のヴァンラーレ八戸戦、春分の日にも関わらず雪が降り、暴風が吹き荒れるまさに不条理極まりないなかで手にした勝利は、格別のものだった。まさに、「苦楽を共にした」から味わえた一勝だった。ならば受けて立つしかない。奈良クラブを100倍楽しもうと思うと、この痛みは引き受けなくてはならないものだと、自分に言い聞かせている。

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