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ドリフターズ、それは自分にとってヒーローでありトモダチだった

今回は、「ドリフターズとその時代」(笹山敬輔)の読後感を綴りたい。 
写真はKARAと志村けんとのレアなショット(KPOPファンなので💦)

その読後感は、もの悲しい。それは後述するとして。。。 

幼少期、ドリフターズはウルトラマンやデビルマンやマジンガーZやがきデカやジャイアンツと並ぶ?ヒーローだった。 

ビデオ録画などという概念も装置もない時代、土曜夜は万難を排してテレビの前に鎮座し、「8時だよ、全員集合!」を観賞、加トちゃんのくしゃみや「ちょっとだけよ」を見てゲラゲラと笑った。そしてドラマ「キーハンター」「Gメン75」をストーリーがわからないながら観終わると眠りにつく幸せなサタデーナイト。古いなあ・・・ 

Gメンの「響刑事」は大人の女ってこういう人のことをいうのだろうなあ、って思っていた。 

この時二十歳!

 
幼少期、当時は珍しかった両親が共稼ぎの家庭で育ち、2人とも帰りが遅く且つ一人っ子だったので、一人で留守番している時間が長かった。友達も少なかったから(苦笑)、そんな自分にはテレビが大切なトモダチだった。そんな友人テレビの中にいた愉快な5人組、ドリフターズの「全員集合」。
小学校低学年から高校生くらいまで観ていたのかな。裏番組の「欽ドン!」との熾烈な競争に勝ち残ったものの、「俺たちひょうきん族」の後塵を拝し、時代の流れに合わなくなってきたこととメンバーの高齢化も相まって、1985年に終了を迎える。が、終了間際は自分自身が大人に近づいていて、既に毎週観るようなことはなくなっていた。(あるいはほぼ観ていない) 

ここでは、「全員集合」の思い出を中心に語りたい。 

<この番組で記憶になぜか焼き付いているもの> 

志村けんへ主役交代した時期は悔しかった 😢

加トちゃんが一番好きで、志村の方が面白いことはわかっていたけど、なぜか認めたくない自分がいた。いつも「加トちゃんの方が面白いことを言わないかなあ」なんて考えていた気がする。これってどういう心情なのかな。 

それにしても、加入した当初の志村けんは全然面白くなかった。だからこそ、東村山音頭で突然のブレイクには驚いた。 

不祥事で3人ドリフの時期があったこと 😳

がんばる加とちゃんがイタい。やはり志村けんがいないと面白さのインパクトが薄い。でも3人でがんばるドリフを応援する一心でテレビを観ていた。不祥事=ノミ行為であるが、その悪さ加減?は子供にはわからなかった。 

東村山音頭(イッチョメ),早口言葉は最高だった🤣

いつしか、志村けんの主役を受け入れ楽しむ自分がいた。これらのギャグの原点は志村けんが好むソウルミュージックにあると、先述の本に書かれてあり納得した。この二つは明らかにそれまでのドリフターズとリズムが違う。そしてその「違い」が後にメンバーの不協和音につながっていくことを40年以上経ってから知る。 

サイテーサイコーに面白い

仲本工事の体操すごい( ゚Д゚) 

体操コーナーでの仲本工事の身体能力は子供心にも抜群と思った。学生時代、体操選手と聞き納得。加藤茶もなかなかの運動神経だった記憶がある。 

ハイ、ポーズ!

あなた、この色何色?👩 ピンクだよ 👨

お馴染みの学校コントでピンク映画を観ましょう、と信じられない先生(いかりや長介)の 言葉とともに映画鑑賞の授業が始まり、クラスは大騒ぎ。そのオチがこれ。今になってみるとクオリティ含めいかがなものかというネタだが、自分にはメチャメチャ面白かった。なんてピンポイントな記憶。 

ジャンボマックス 

ドリフちゃうやん笑 

インパクトあった。何だったのかこれは・・・


こんなくだらない記憶が中年になった今も自分の頭の中に粘着テープのようにくっついている。ドリフは今も自分にかけがえのない存在なんだな。  

そんなドリフは、その大衆性ゆえか、論評されることが少ない。
その点で「ドリフターズとその時代」は演劇研究家が「大衆演劇」の視点から考察するという興味深い一冊であった。 

そして、子供だった自分には当時想像しえなかった、いかりやー志村の微妙な関係、脇役メンバーの生い立ちなどが綴られる。 

メンバー間の微妙な関係、本当は音楽をやりたかった3人(加藤・仲本・高木)、全員集合後の志村けんのワンマンぶり(いかりやそっくり)のことなど、今知れば「そうだろうな」ということなのだが、子供の頃は常に5人の「光」の部分を見ていただけに、心のどこかで「知らなくてよかった」という思いがあるように感じる。 

それが、冒頭の「もの悲しさ」につながっているのだろうか。 

いかりや長介、志村けん、仲本工事と3人が亡くなったドリフ。 

でも、いつまでも自分の心には土曜夜8時のワクワク感とともに若々しいドリフが生きている。
そして今、転機を迎えている自分の人生にいかりや長介がエールを送っている気がする。 

次いってみよう! 

と 

いかりやさん、ドリフを守ってくれてありがとう

 ▼以下「ドリフターズとその時代」要旨▼

🔹遅れてきた青年いかりや長介 
・疎開生活-喜劇舞台の原風景(田舎の分教場等) 
・アボット&コステロ映画に影響(ドリフ彷彿)
・バンドマンを夢見て1959上京、ドリフ加入 
 クレイジーのロカビリー版目指す 
🔹天才・加藤茶誕生 
・加藤=天才、志村=秀才 
 受け身の笑い、「柔」のタイプ 
・母子家庭で貧乏、小学生で妹に弁当づくり(今でいうヤングケアラー) 
・ジュリー・ルイスに憧れ 
・高校中退、東京でバンドボーイ⇒ドリフ移籍 
・新生ドリフは音楽ギャグでスタート 
🔹全員集合スタート/志村けん加入 
・1969全員集合スタート(v.s. コント55号) 視聴率50%超へ 
 歌舞伎の技術取入れ、坪内逍遥/小林一三の理想「国民劇」を実現 
 ディズニーL、ラスベガス演出参考 
・舞台美術ーTV美術史に刻まれた快挙(妹尾河童) 
・ドリフ構図ー権力者(いかりや)と4人の弱者 
・ドリフ映画ー野暮で泥臭い⇔クレイジーキャッツ 
 高度経済成長に取り残された人々を演じる 
・いかりや独裁体制(ドリフは自分が守る) 
・志村ーいかりやに弟子入り(高3)6年後ドリフへ 
 ボケた老人=記憶障害のある父の姿 
🔹V.S萩本欽一 
・素人によるアドリブ・ハプニング(欽ドン!) 
 必要なのはテレビ芸⇔必死に芸を磨くドリフ 
🔹主役交代(加藤→志村) 
・加入当初不振→東村山音頭でブレイク(志村覚醒) 
 アンサンブルからコメディ集団へ変化 
・加藤の葛藤ーバンドマン習慣で引き立て役へ 
・志村が仕掛けたギャグ大当たり 
 ヒゲダンス/カラスの勝手/早口言葉(ソウル音楽全開) 
 ソウル原点の志村と4ビートの4人との不協和音 
🔹THE MANZAI→ひょうきん族(笑いの質変える) 
・言葉で笑わせる⇔身体能力のドリフ(笑われる) 
 ターゲットマーケティング⇔マスマーケティング 
・1985全員集合終了 
・加トケン/だいじょうぶだあ等で成功も、ウッチャンナンチャンに敗北 
🔹志村といかりや /アフター全員集合
・志村スタイル=いかりやと同じに(ワンマン) 
 いかりやなしでコント一筋→「喜劇王」へ 
 松竹新喜劇(藤山寛美)路線へ→「志村魂」座長 
 バカ殿様で独り立ち 
・いかりや=俳優、加藤/仲本/高木ーミュージシャン回帰 
・志村-いかりやは、似た者同士だからこそ譲りあえずもつれる 

最後まで読んでいただきありがとうございました。 
ドリフ全盛期を知る同年代の方々に多少なりとも共感いただけると嬉しいな、という思いを込めて書きました。 




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