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それは、いつからゴミになるのか

りんごを覆う、大切な皮。

その皮も、剥いてしまえば、ただのゴミ。

たいていの場合、生ゴミとして捨てられてしまう。

さっきまで、りんごを覆う、大切な存在だったはず。

剥いた瞬間、その役割を終える。


わが家では、1年の半分ほど、朝食にりんごを食べる。

だから私は、年間100個ほどを剥くことになる。

わが家では、こうした生鮮の生ゴミと呼ばれるものは、肥料に変わる。

「燃えるゴミ」ではなく、土に還す。

コンポストで、虫や微生物が堆肥に変えてくれる。


雨が降っている日は、りんごの皮がタッパに入れられ、冷蔵庫で一晩を明かす。

もし、りんごの皮がゴミなら、ゴミを冷蔵庫に入れたことになる。

でも、さっきまで冷蔵庫に入っていた赤いりんご。

皮の部分だけが、冷蔵庫に戻されただけのこと。

バナナの皮も、ジャガイモの芽も、エンドウのスジも、

同じタッパに入って冷蔵庫で一晩を過ごす。

さっきまで、野菜と一体となっていた部分が、外されただけのことなのだ。


人は、不要なものを、ゴミと言う。

ゴミと認識してしまうと、とたんに扱いが変わってしまう。

使い物にならないと思ったとたん、愛着がなくなる。

そのりんごが美味しそうに見えた、その赤い皮でさえ。


毎朝、こんなことを考えながら、果物の皮を剥く。

野菜を収穫しながら、料理を作りながら、ゴミを捨てながら、

こんなことを思う。


いつからゴミになるのか?

ゴミにするのは、自分の意志だけ。

他人がゴミだと思ったものも、

自分にはゴミと思えないものだってあるから。

価値がないと思えば、とたんに興味がなくなるのだ。


畑で野菜を育てていると、りんごの皮だって立派な肥料の素。

微生物にとってのご馳走。

りんごの皮を捨てるために袋に入れられ、収集車が回収し、焼却するというのは、実は不要なエネルギー。

リサイクルという言葉があるように、何かに生まれ変わるという価値があると、ゴミではなくなるのかもしれない。


この世の、すべてのものは、再利用できる。


そんな「意志」が、私たちには必要なのかもしれない。


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