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クレタ島とアテネで過ごした11日間のこと。(1)

それは2007年のこと。当時はまだ出版業界も今のように景気が悪くなく、世間一般も、中間層の人たちがちょっといい食事のときに、今でいうミシュランの星付きレストランに通えていた頃のお話です。ギリシャ政府観光協会からの依頼で、ギリシャに取材に行くことになりました。内容としては、クレタ島で行われるフードカンファレンスを取材してほしい、というもの。しかも、カンファレンスの取材後は、編集部が企画したプランにしたがって、フリーで3日間取材をしていい、というものでした。

なんでこんな昔の話を今こうして書いているのかといえば、カルディにチーズを買いに行ったらフェタが塊で売っていて、当時は塊のフェタは、専門店でも取り寄せだったんだよなあと、ちょっと感慨深かったので。グリークサラダに欠かせないフェタですが、ギリシャではこんなふうに塊のフェタをのせて提供されます。

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ひとり分なのでちょっと少なめ。フェタを崩しながら、野菜と一緒に食べるんですが、フェタの塩気が野菜やオリーブオイルとからんで美味しいのです。

それはさておき。そんなわけで、早速企画案を編集部と一緒に考えて、ギリシャ政府観光協会に企画案を提出。先方から取材先や宿泊先のブッキング内容が送られてくるという感じで、着々と取材の予定が決まっていきました。

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旅程が決まって旅程表が送られてきた頃だったかと思うのですが、協賛にカタール航空がつくということになり、飛行機はすべてカタール航空を利用することになりました。当時はまだ中東情勢が落ち着いていない頃だったので、大丈夫かな? なんていう話にもなったのを思い出します。旅程表によると、行きの飛行機は関空からのナイトフライト。普段なかなか夜の飛行機には乗らないのでワクワクします。

しかし、日本を離れる数日前に、足首を捻挫してしまいまして。結構歩く日も多い予定だったのでこれは困ったなと。そこで、いつもお世話になっている鍼灸院の先生の治療を受けて、ロキソニンの塗り薬をもらった翌日に出発だったことを覚えています。

出発日は2007年6月7日。午後に羽田を出て関空へ。関空からドーハを経由してアテネへ。アテネを経由してクレタ島へ移動、というのが当日のスケジュールでした。ともかく移動という感じですね。

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関空の出発ゲートに向かうとき、知り合いの編集者さんにチェックインカウンターで会って挨拶をしたり。今回の取材に行くメディアは同じ飛行機なのでしょう。そう、私達だけでなく、他の雑誌や新聞なども取材に参加していたので、かなりお金をかけたイベントでもありました。またアテネでね、なんて手を振って、それぞれに時間を過ごし、飛行機に乗り込みました。

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機内は割と快適だったんですが、モニターはついているけれど、イヤフォンジャックが壊れていたために音声が聞けず、自分の持っていった音楽プレイヤーを使った記憶があります。カタール航空ではよくあることっぽいので、これから初めて利用するよ、っていう人は頭の片隅においておくといいかもしれません。

アテネへ行く途中、カタール航空のお膝元であるドーハ空港で乗り継ぎです。ドーハまでの飛行時間は11時間半。なかなかの長旅です。機内食は割と美味しかったということを覚えています。ドーハについたのはちょうどお昼時じゃなかったかと。ドーハ空港に降り立ち、縮こまった体をほぐしながら、空港内へ。なんと待ち時間が8時間もあるのです。

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ドーハ空港は新しい建物を建設している最中で、空港はコンパクトなものだったこともあり、8時間の時間を潰すのはなかなか大変だよね、という話に。とはいえお昼時。まずはお腹を満たそうと、レストランがあるエリアに行ったのですが、入ってみようという話になったのはフードコート。広いホールはそこそこ混み合っていて、カンドゥーラにクトゥラ姿の男性たちが食事をしていました。ちなみに民族衣装一式は、お土産物屋さんで買うこともできます。

肝心のお昼ごはんは、中東料理には詳しくなかったこともあり、カレーや肉料理をチョイスしたことをうっすら記憶していますが、現地の方々は豆料理を中心に、いろいろな料理を盛り合わせて、薄焼きのパンと一緒に食べていたのを覚えています。アジア料理やサンドイッチなどの軽食の食べられるお店もあったんですが、現地の料理を食べられる感じが楽しかったです。お腹いっぱいでバクラヴァまでは行き着かなかったかな。美味しそうだったのだけは覚えています。

空港で過ごす8時間をどうにか終え、アテネ行きの飛行機の搭乗ゲートへ。中にはお祈りの部屋で爆睡していたツワモノもいたりして、仲間と話をするのが楽しかったです。クレタ島へ行くのはもちろんみんな初めて。ワクワクしながら飛行機に乗り込みましたが、この旅が波乱に満ちたものになるとは、だれも予測ができなかったのでした。

アテネまでの飛行機は5時間程度。予定では、空港で荷物をピックアップしてからクレタ島に向かうことになっていました。乗り継ぎには3時間。空港内のカフェでゆっくりお茶をしてから出発ゲートに行けば、集合時間に十分間に合いそうでした。

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が、しかし。到着した飛行機のターンテーブルに、出てこない荷物が出てしまいました。しかもカメラ機材。三脚やライトボックスが入ったバッグが見つかりません。このとき、カメラマンを務めたのは元夫だったのですが(彼はライターでしたが)、ぐるぐると回るターンテーブルに、待てど暮らせど出てこない荷物に青ざめつつも、どうしたらいいのかをまず考えました。

言葉が通じないなりに、荷物の係員の人をどうにか捕まえ、荷物がないんだけどどうなってんの? と訊くと「遺失物? そんなの今日はないよ。いいから帰れ」くらいのことを言われて相手にされず、とりあえず出てきたらホテルに送ってほしいと、カタール航空の人に話を取り付けるところまではできました。

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交渉に疲れ果てて編集部に国際電話をかけ、経過を報告。この頃はまだ携帯電話があっても、テザリングとか出来なかった頃でした。参ったねえ、とりあえず小腹を満たそう、ということで、レストランスペースを歩いていると、馴染みの編集さんがお茶を飲んでいるのにばったり出くわしました。大変だね、機材がないなりに何とかするしかないけど、すぐに出てくるといいよね、という話をしながら、なんとなく選んだ巻きずしのパックを頬張りつつ、飛行機への搭乗時間を待つことに。

すると、今度は飛行機の到着が遅れたり、大使館側のとりまとめの問題やらで、定刻になってもチェックインは始まらず、しばらく待たされることになりました。なんか初っ端からいろいろあるねえ、と口々に言いながら、飛行機をだいぶ長いこと待ちました。確か夕方にクレタ島に着くはずが、アテネを発ったのは、なんと日付が変わる頃でした。

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やっとのことで飛行機に乗ると、1時間弱でクレタ島のイラクリオン空港に着きます。その日止まるホテルは、ギリシャ政府の機関が、フードカンファレンスのために借り切ったリゾートホテル。やっと落ち着けるかな、と思うのはまだ早くて、ホテルに行くには乗り合いバスでの移動になっていました。日付も変わり、深夜に荷物を抱え、疲労困憊するプレスの面々。バスに揺られてたどり着いたのは、それはそれは立派なホテルで、鍵を受け取って案内の通りに部屋へ行くと、なんと、今まで泊まったことのない、ヴィラタイプのお部屋でした。仕事でこんな状態で到着していなかったら、さぞテンションが上がったに違いありません。ちなみにここのホテルの、デラックスシーフロント、というお部屋に泊まりました。

https://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g503710-d248492-Reviews-Creta_Maris_Beach_Resort-Hersonissos_Crete.html

やっとホッとできる! と思ったのも束の間。ノートパソコンを開くものの、Wi-Fiが来ていないことが判明。あれほど確認したのに、なぜ部屋にWi-Fi来てないの。仕事で来てるんだってば! と思うも、そうだよね、ここリゾートホテルのヴィラだわ、と我に返る。仕方なくフロントのある建物まで行き、Wi-Fiの料金を支払って、メールチェックをすることになりました。もちろん、一緒に行ったプレスの仲間はみんな同じ状況。深夜の2時過ぎに死屍累々のフロントでよれよれになりながらのメールチェックとか、今思うと懐かしいです。

トラブル続きの初日の夜は更け、翌朝からカンファレンスの取材で、スケジュールはびっしりです。明日からはなんとかなる。そう思いつつ眠りにつきました。翌日からの滞在期間に、数々の苦難が待ち受けているのも知らずに。翌日へ続く。

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