石塚 亮 心の風景 雑記帳

石塚 亮(あきら) ※1955年1月14日生 ※愛知県豊橋市杉山町字知原 ※のんびり一…

石塚 亮 心の風景 雑記帳

石塚 亮(あきら) ※1955年1月14日生 ※愛知県豊橋市杉山町字知原 ※のんびり一人暮らし ※現在警備員 ※趣味は絵を描くこととCD音楽(クラッシック)鑑賞 ※指原莉乃さんとHKT48のライトファン

最近の記事

飽きなければ続けられるかも

頭の中はコンプラ違反になるようなことばかり考えている。まずいな。 これまで病気とは縁のなかった私も前期高齢期に入った途端いろいろ不調が続くようになり、まあ歳だから仕方がないよね。と言い聞かせてはいるが、どこかで衰えの現実に抗いたいと思っている。 自転車散歩もいつまで続けられるかわからない。いずれどう頑張っても身体は動かなくなるだろうから、頭だけでも働くようにしておかないと。という気持ちと当然歳と共に頭も働かなくなるのにここで抗っても無駄という気持ちとの葛藤もありつつせめて

    • 散歩かリハビリか

      高額療養費の自己負担限度額適用認定 (名前が長いっ。朝鮮民主主義人民共和国かっ) という制度がある。これが無ければとっくに死んでるか、借金まみれになっているか。私のような者でも、手術入院ができるのは日本という国に住んでいるお陰である。有り難いことだ。 颯爽と髪をなびかせクロスバイクで走り去る制服を着た女子高校生に追い抜かれたり、ハンドルに寄っかかりながら漕ぐお爺さんに追い抜かれたりしているが、去年の10月あたりから自転車散歩は高師緑地公園へ行くことが多くなった。自宅か

      • アテローム摘出

        いきなり気持ちの悪い画像で申し訳ない。 鼠径ヘルニアの手術を受けた20日後、背中にできたアテロームの摘出手術を受けた。この歳になって前から後ろから、ずれた骨にネジを締められたり臍に穴を開けられたり背中に切れ目を入れられたり、もう踏んだり蹴ったりでまるで人生の「お楽しみコース」を巡っているようである。 アテロームというのは、粉瘤(ふんりゅう)とも言い、ネット検索で調べると、皮膚の内側に袋状の構造物ができ、本来皮膚から剥げ落ちるはずの垢(角質)や皮膚の脂(皮脂)が、袋の中にたま

        • 腹腔鏡手術(鼠経ヘルニア)

          便座を上げて座ったり、便座の蓋の上に座ったり、なんだか老後というのは場末感が漂うものだ。  鼠経ヘルニアの手術を受けた。  9日午後2時渥美病院へ入院。簡単な問診のあと病室に案内される。4人部屋。この日は何もすることはない。明日の手術を控えての今日だ。2年前市民病院の時がそうだったように、今回も睡眠不足の入院生活になりそうで憂鬱。前回の失敗を避けるべく、耳栓「勿論いびき対策」に、携帯とウォークマンの充電器は忘れずに持ってきた。と、ここではまだ言えない(ボルデモートではない)

        飽きなければ続けられるかも

          30年ぶりに聴きに行った演奏会はとても素敵だった

          意識になり日本国内でオーケストラの生演奏を楽しめる機会は当分無いだろうと思っていた。 それから何年後かに豊橋交響楽団の演奏を聴くことのできる機会に恵まれ、あまり期待はしていなかったが、バルトークの弦打チェレスタのための音楽が演奏プログラムに入っていたので この難しそうな曲をアマチュア楽団がどんな演奏をするのか興味本位で聴きに行ったところ素晴らしい演奏を聴かせてくれた。以来豊響のコンサートに行くようになったがいろいろな事情からある時期から行かなくなり30年が過ぎた。 それが10

          30年ぶりに聴きに行った演奏会はとても素敵だった

          高師緑地の秋

          今年の夏は、あまりの暑さに徒歩での散歩を避けていた。その代わりに自転車で散歩をしていたが歩かなかったことで脚の筋力が落ちてしまった。 おまけに8月初め辺りで足がむくむようになり、薬の副作用かな と思い医師と相談したがなかなかいい処置法がないまま月日が経った。10月を過ぎ、ようやく涼しくなったが一度落ちてしまった脚力はそう簡単に戻らない。 春まで歩いていた杉山町内の起伏を繰り返すコースの半分しか歩けなくなってしまっていた。 このままではどんどん悪くなるばかりで引き籠もり生

          忘れた校歌

          あまりにも当たり前のようにそこここの痛みで、年寄りの病気自慢をする余裕もない。 昼12時になると市役所では歌が流れてくる。以前からもこの歌は杉山小学校から下校時に放送で流れてくるのが聞こえてきていたのでてっきり杉山小学校の校歌だと思っていた。歌詞が聞き取れず何を言っているのかさっぱり解らない。何の歌なのか…市役所でわざわざ流すくらいだから市歌かもしれないと、ネットで検索してみたら、やっぱり市歌だった。作曲はあの古関裕而さん。作詞は丸山薫さん。学校でも流しているくらいだから私

          美味いも不味いも

          ピーマンと茄子の煮びたしを覚えた。麺つゆを使うとほぼ失敗しない。隣が発泡酒というところで生活感を表現している。いい作品になった。自画自賛 楽しみと言ったら食うことだけである。一切れ98円の塩サバを食って満足をする生活レベルだから楽しみのレベルも知れている。 5月にタバコをやめてからますます食べる事への執着が強くなった。 テレビで「孤独のグルメ」というドラマが人気らしいが、外食は好きではない。独居老人が店で孤食は侘しい。だからもっぱら自宅で食う。だからもっと孤食。 高校

          更新状況を確認するための覚書

          散髪中に一瞬鏡から垣間見えた 頭のてっぺんが、レーダーに映し出された発達中の熱帯低気圧のような白の占有率が拡がった頭皮に 来る所まで来たな ワオ って感じ。 本音であり弱音であり強がりであり諦めであり不平不満であり、五目ごはんみたいにそれらを引っ括めて覚悟のようなものを固めていくのだが、それは時とともに経年変化するので時々自分で自分自身が何なのかの更新状況を確認するために覚書きとして残しておかねばならん。 この歳になって楽をしたいのは山々だけど、世の中なかなか楽に生きさせ

          更新状況を確認するための覚書

          黄金色に輝き始め

          民家の生垣辺りで自転車を漕いでいると、耳障りな羽音を立てて胸元にぶつかってくるアブ。あぁ鬱陶しい。 蝉の声がクマゼミ、アブラゼミからツクツクボウシへと代わり、しかしながら依然残暑は厳しく秋の気配は全く感じられることなく、秋分の日を過ぎても猛暑が続く程の長い夏を何年も繰り返している。 殺意さえを感じる暑さに夏の風情はどこかへ行ってしまった。その後に来る やたらと短くなってしまった秋も、秋らしい風情を感じる間もなく、気付いたときにはクリスマスになっている。 日本の四季は一体

          熱帯夜では腹巻が欠かせない

          6月7月で暑さに慣れてきても、梅雨明け後の連日強烈な陽射しと警備している施設の石畳の熱で身体はバテてくる。 のぞみが豊橋駅を通過するくらいのスピードで目が回り始め、同時に意識は宇宙の彼方に飛び、瞼の内側では満天の星空が広がるのである。しかもビッグバン直後のように星々が飛び交っているのである。 仕事を終え帰宅し、一日の汗をシャワーで流している最中にふと鏡に映った顔はスルメになっていた。 8月に入ってからは台風にも苦しめられる。猛烈な土砂降りの直後に強烈な陽射し。カッパの中は火に

          熱帯夜では腹巻が欠かせない

          草を取ったという結果に満足したい

          長年放ったらかしの庭の草取り。 根っからの怠け者の私だ。加えて腰が悪く長時間しゃがんでいられないという言い訳に正当性を貼り付け徹底して怠けた結果、見るに耐えない景観となり、洗濯物を干したり布団を干すと伸びた雑草の種がくっつく始末。 もはや荒れ地と化した我家の庭は足の踏み場も無い。なんの気無しに足を踏み入れると、枯れて腐葉土にもならなかった何年も前の草に躓き前のめりに転び、突いた手にはこれも何年も前に枯れ落ちた枝が刺さり大きめのバンドエイドのお世話になる始末。これでは幽霊で

          草を取ったという結果に満足したい

          やっぱり薬は異物

          降圧剤の服用を抑えている。 腰椎すべり症の手術を受けて一年半が過ぎた。あれから年齢的なものもあるかもしれないが体のあっちこっちに不具合がでてくるようになった。体は老化と戦っている。入院中に血圧が高いと言われた。なんだか今は120/80mmHgが年齢に関係無く適正とされ、それより高いと高血圧扱いされるようになっている。「年齢+90」 という計算は通用しなくなっているらしい。 ちなみに私の血圧は病院で測ると160。年齢+90という昔の基準であれば現在68歳なので適性の範囲内に

          高師緑地にて

          車の定期点検中の約一時間半、店内で待っていても退屈しそうなので雨の中ではあるけれど、高師の緑地公園で少し散歩してみた。店から公園までの500メートルは259号線の車の往来で喧騒と水はねを気にしながらだったが公園に入るとパラパラと傘に当たる音と地面からのビチャビチャという跳ねる音だけが耳につく。 こんな天気だから人影も疎ら。多少靴の中が湿っぽくなるのを覚悟しながら歩いていると舗装された遊歩道とは別に茶色い細道が伸びている。路面が土にしろ、アスファルトにしろ、こんな天気だから多

          ちょっと重い話になってしまうかも

          小学校一年辺りで時計の見方を習うと、時間割やテレビ番組の時間を意識するようになることで、ここから死ぬまで時間に縛られながら一生を過ごすことになる。生前に時間から開放されるには呆けるしかない。 記憶とヨダレは垂れ流し放題な上に、括約筋の活躍もなくなり時々パンツの中におしっこの一滴も垂らしたりする。弛みもなかなかのものでニワトリの顎にぶら下がった肉垂のように顎の下の肉は垂れ下がる。 ものごとを理解するのに時間がかかり、話を聞いていても若者たちの早口は聞き取れず何を言っているのかさ

          ちょっと重い話になってしまうかも

          コルンゴルトのバイオリン協奏曲

          本気出せば5分で終わる事を始めるまでに3時間かかる。 音楽の話を書こうとすると、思っていることの百分の一ほども書けないということを言い訳にしたうえで… ラジオでコルンゴルトのバイオリン協奏曲を聴く機会が多くなってきている。 10年も経っていない前に興味本位で購入したコルンゴルト作品のCD2枚。全てを聴いてみたがメロディーから音質。どれもあまり馴染むことができなかったが、このバイオリン協奏曲だけは自分の中のバイオリン協奏曲のイメージの中になんとか納まった。その後しばらく聴こう

          コルンゴルトのバイオリン協奏曲