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腹腔鏡手術(鼠経ヘルニア)

便座を上げて座ったり、便座の蓋の上に座ったり、なんだか老後というのは場末感が漂うものだ。

 鼠経ヘルニアの手術を受けた。
 9日午後2時渥美病院へ入院。簡単な問診のあと病室に案内される。4人部屋。この日は何もすることはない。明日の手術を控えての今日だ。2年前市民病院の時がそうだったように、今回も睡眠不足の入院生活になりそうで憂鬱。前回の失敗を避けるべく、耳栓「勿論いびき対策」に、携帯とウォークマンの充電器は忘れずに持ってきた。と、ここではまだ言えない(ボルデモートではない)が、去年の9月から始めたあるものもしっかりと用意してある。これは昼間の時間潰しに効果絶大になるはず。そして夜は眠れなくてもウォークマンが癒やしてくれる。
 で結局この日は殆んど睡眠できなかったがウォークマンが救ってくれた。そう言えば余談になるが夜勤の警備をしていたときも仮眠を出来たためしがなかった。
 10日、殆んど眠れぬまま朝を迎えた。手術は13時から。一日絶食になる。7時、手術前に飲む水分補給用のパック飲料2本と350ミリリットルの緑茶を指定通り10時までに飲み終え、指定通り8時にシャワーを浴び、雲子をして、歯を磨き、鬚を剃る、ここから13時までの3時間は音楽を聴いたり、まだ言えないあることをして時間を潰す。
13時15分前、看護師さんに案内され手術室に入る。手術台に乗ると急に怖くなった。2年前もこんな気持ちだったのを思い出した。やっぱり嫌なものだ。大手術でもないのに大袈裟だなと思われるかも知れないが事実だから仕方がない。マスクをつけられ「じきに意識が遠くなります」まで言われたことまでは覚えているが…。
麻酔から覚めたのはおそらく16時前だったと思う。2年前よりは強い吐き気のような苦しい目覚めではなかった。
 病室は、今夜一晩は一人部屋になった。これも前回と同じだ。痰が絡み咳払いすると腹全体に痛みが走る。普通の腹痛とは全く違う痛みである。内蔵の痛みとは違って全ての腹筋に剣山で突かれたような痛みだ。「腹腔鏡での手術だから簡単なものです」などと聞いてはいたがやっぱり手術は手術。メスで切っていた時代と同じとは言わないがやっぱり痛いよ。3日もすれば痛みは収まる、と主治医に言われているので、信じる。
信じる者は救われる。とキリストも言っていた。
 ちなみに手術後腹の写真を撮ったので載せようと思ったが腹の膨らみ具合があまりにもおぞましい感じだったのでエクセルで描画したイラストを載せた。臍と、臍から左右にそれぞれ10センチ程のところにも穴を開け、この3つの穴から腹腔鏡だの何か器具を差し入れ、珍宝の生え際から3〜5センチ左上の患部に腹筋と内臓の間で作業をするということらしい。だから腹筋だって触れたことのないものが触れてくるからそりゃあ拒絶反応で痛くもなろう。
腹直筋 腹斜筋 腹横筋 の3種類がある。その腹筋全てに痛みが走るのだ。
 一人病室で、尿道に管を差され、左腕にはやたらと時間のかかる点滴を打たれ、左手親指には心拍数を測る電極を挾まれ、右腕には血圧測定器を巻かれ、左右両膝からくるぶしまで血栓を防ぐらしいエアバッグみたいなものを巻かれ、左胸にも心拍数を測る電極を2箇所貼られ…。何だか独房に入れられた囚人とかフランケンシュタインとかの戦前の映画を思い出した。管だのケーブルだの巻かれ身動きも取れず、少し身体をよじるだけで腹に痛みが走る、じっとしていると持病の腰痛も痛む。19時頃血圧測定器がようやく外され、右手だけは自由になったが他が動かせないので現状は一切何も変わらない。結局このままの状態で夜明けを迎える。
 20時頃になったところで気晴らしにウォークマンを聴きだした。ウォークマンは看護師さんにカバンから取り出してもらった。0時半頃までたっぷり。痛みは和らぐことはなかったが、無いよりはいい。
 今思うと2年前の手術日は半分意識が朦朧としていた気がする。一睡もできていなかったが何をどうしてたか全てが曖昧だった。が今回は前回の経験からか判らないが意識はしっかりとしているようだ。
 結局明け方の数分間ウトウトしただけだった。まるまる2日間寝ていない。が、麻酔の効いた3時間半は寝ていなかったのかという問題も指摘されることなのであれは「寝ていた」ということで手を打とうと思う。
 そして3日目の11日。問題はこの日である。
 2年前は幻視幻聴に翻弄された。窓から見える空や病室の壁に不規則な模様が映りだされ、それらが蠢き出したり、聴こえるはずもない音が鳴って、それは病室だけでなく院内の何処からでもその音は付き纏って来て昼夜の別なく、寝ている枕元、足先、机の隙間からも聞こえてきたものであった。幻視は2日ほどで消えたが、幻聴は退院するまで続いた。
こういうのを「せん妄」と言うのだそうだが薄気味の悪い世界である。
 最初は血圧の薬の作用かと思ったが、今になって考えてみるとそればかりとは言えないような気がしてきている。
 血圧の薬からなる副作用が出る場合があり、薬の種類により出る症状が様々で、また服用する人の個人差も有ることから複雑であり、だからこそこういう時血圧の薬の作用かと思いがちになるが、手術を受けた場合麻酔薬の影響もあったかも知れないと思えるようになってきている。ただし今回は幻聴は無い。
 体中に管やケーブルにまとわれた11日朝、9日の夕食以来に出された朝食は不自由な手つきで(まだ右手親指には心拍数を測る電極がつけられたままで茶碗を持つたびに警告音が鳴る)ひもじかったので完食。
 美人の看護師さんに褒められた。
 だから嬉しかった。
 9時過ぎにようやく全ての管やケーブルが外され、元居た4人部屋に戻る。時々ダースベーダーのような息遣いが聞こえる程度で同室の3人とも静かでひどいイビキをかく人もいなくて良かった。一人でトイレに行けるようになった。がベッドから起き上がるのがとても大変だ。腹の全筋肉に痛みが走る。起き上がった時、腹筋にかかる重力でまた痛みが走る。立ち上がり歩くとその振動でまた痛みが走る。便器に腰掛け放尿する間膀胱の内圧だけに任せる。もう踏ん張るとどうなるか容易に想像がつくからだ。珍宝も搾れないままトイレットペーパーでナデナデし、ソロリソロリとパンツを履き、ソロリソロリと立ち上がり、ソロリソロリと歩き、ソロリソロリとベッドに腰掛け、ここからがまた一苦労。身体を横たえることにこんなにも腹筋のお世話になっているんだと実感するほど痛い。これがほぼ1日続いた。
 話が逸れてしまった。言いたいことが多くてまとまらない。血圧の薬の作用か、麻酔の影響か判らないが2年前のような強烈な圧迫感はないものの、幻視のようなものは現れた。壁や天井に、街なかで見かけるような落書きに似た文字のような、そうでないようなウジャウジャと線が現れたり、顔の見えない人物が動いている。母親が子供をあやしているようでもあり、縫い物でもしているようでもあり、壁や人物の着ている衣服にはカラフルな色が付いている。まるで映写機で投影されているような不思議で穏やかでポップな光景ではあるが、幻視であるということを自覚していてのこの光景だ。
 ただ、この幻視も夕方には収まっていた。
 幻聴にしても幻視にしても薬の作用によるとはいえ意識の乱れによって現れるもの。そういう状態になったときは正常な判断ができない時なのでその時に自分が咄嗟にどういう行動を取るのかと考えたときちょっと怖い気がする。
 とまああまり真面目に考えすぎても良くないかもしれないが。また持って生まれた妄想癖が幻視幻聴をより助長しているところもあるかもしれない。
 で、11日の夜は2日間の寝不足を補うようになんとか眠ることが出来た。北陸ではみんな寒さとひもじさと絶望で苦しんでるのに、眠れた眠れないでグチをこぼしている自分が恥ずかしい。
 12日、13日と日を追うごとに体調は回復したがやはり夜はなかなか眠りにつくことはできなかった。自分が神経質だとは思わないが眠りに関しては自分の部屋でないと眠りに付けない。
 予定より1日早く14日に退院できたが日曜日だったため外来診療は無く玄関は閉まっていて、荷物を抱え裏口からコッソリ出て行く自分がコソ泥みたいな感じだなと、なんだか後ろめたい気持ちになってしまった。

 最後にこれだけは言いたい。市民病院の時も今回の渥美病院の時も、看護師さんとか医師とかみんな患者への対応が丁寧で、30年前とは全然違うなと思った。患者一人一人の性格に合った対応がされている。認知症の患者さんにも一言一言にそれに合った対応をされている。それに加えて看護師さんのキーボード入力の速さは尋常でない。回診の際に医師と患者とのやり取りを一字一句逃さずに入力しているのを見て、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが。今どきの看護師はこういう技能まで身につけないといけないのだ。
患者への対応の仕方を観ていて、どこかの役所の公務員はこういうところで研修をすればいいのにと思う。



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