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呆けてからのお楽しみってことで

コロナ過で知らないウィルスの恐怖を感じる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
狂犬病で豊橋市内の病院に入院していた外国籍の人は亡くなったというニュースが流れ、七股池ではヌートリアの出没で農作物の被害や噛まれたときにどんな病原菌に憑かれるか心配もされるようになっている。
科学技術の進歩で人の行動範囲は広がり、同時に医学も進歩して平均寿命が延びたが、これまであまり問題になっていなかった病気の種類が増え、ますます医療面でお金のかかる世の中になった。
その中でも私にも身近な認知症が増加し続けている。2025年には65歳以上の5人に1人に上ると推計されているらしい。普段からボケまくっている私にはとても他人事としてヘラヘラ生きているわけにはいかないところだが、なってしまったものはなってしまったものでどうしようもない。
枯れ木も山の賑わい。玄関を出て100メートル歩けば年寄りの2人や3人に必ず出くわすほど杉山町界隈でも年寄りの含有率が高い。二十数年前に半フリチンで徘徊していた我が父以来、今のところボケているような年寄りを外で見かけることはない。
ボケと正気との境を行ったり来たりしていそうな年寄りは何人か見かけるが、だいたいこういう年寄りは、何十年も前から、ボケているのか正気なのか判然としないまま現在に至っているので、きっとこの年寄りたちは若い頃はからそうだったんだろうなと推測され、それは取りも直さず自分自身を顧みるような気分にもなる。こういう中途半端な人間が存在するのが現実でもある。
ボケてしまった年寄りの面倒を見る家族の労苦を思うと、これは私も自慢じゃないが、10年以上のキャリアがあるのでその辛さはわかる。一寸先の闇が果てしなく続く苦痛は経験のない者には、どれだけ説明しても理解できないものがある。
そしてボケてしまった本人が苦しんでいるのか、いないのか、これは家族にも推し量ることができないことである。ぼけた状態で長生きするのが幸せなのかどうか、ぼけた本人にしかわからないことだろう。
ケースバイケースじゃない? と、言ってしまえば簡単だが、だから余計に難しい。
死後の世界があるかどうか死んでからのお楽しみと同じで、ボケてからのお楽しみということだ。

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