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starT LINE

何も得るものがなければ、それは価値のない無駄なものなのだろうか。

目に見える何かを得なければ無駄なのか、賞賛されなければ価値がないのか、って言ったらそうではないはず。ひとは、どうしても「目の前のもの」を意識せずにはいられない。

こんなに頑張っているのに、なにも成果に結びつかない。あの人はあんなに輝いているのに、自分は暗闇でつまづいてばかりだ。
出来なかった、誰も見向きもしなかった、誰も褒めてくれなかった。だから自分のしていることは、自分は、無駄で価値がない。


本当にそうだろうか?

賞賛されている人が、一切の無駄もなく生きてきた結果そうなっているのかと言ったら違うと思う。いや、絶対に違う。

すぐに目に見える結果を得られなければその夢は色褪せてしまうのか?スポットライトが当たらなければその胸は熱くならないのか?


たくさんの"無駄"も諦めずに歯を食いしばって積み上がっていくから、そこから一歩踏み出すからさらに高いところに行けるんだと思う。積み上げずに、傷つかずにそこに到達した人なんてきっといない。

むしろ傷つくことを知らず、自分の血の味を知らない人間が生み出すものに価値なんて生まれない、その事を人は忘れがちである。

無駄なことではなく、賞賛されなかった自分ではなく、輝かしい未来に到達できないからといって、目の前のものに、人に熱くなれないその自分こそ恥ずべきなのだと私は思う。

誰かに認められるとしたら、その決定的な何かがあるからではなく、それでも諦めなかった、歩み続けた自分なのではないだろうか。
何かを得るとしたらそれは与えられるのではなく見つけるものなのではないだろうか。

目の前にある事実だけが人生を決めるものなら、こんなに楽なことはない。ダメだったからと言って、それに落ち込む自分を諦めてはいけない。

ゴールばかりが賞賛される世の中で、何が正解か分からない世の中で、スタートを切れる人の方がよほど少ないのだ。
ゴールに、輝かしい未来に到達できるのは、いつだって自分の目の前に、自らスタートラインを引ける人だけ。

今は辛くとも、目の前が真っ暗だとしても、その胸がまだ熱く灯るなら、自分以外の誰かのために無我夢中になれるのなら、大丈夫、貴方は強い。

人は、暗闇の中では真っ直ぐ歩いていけないという。だが恐れるな、目の前にある光だけが道標ではない、暗闇の中にいたらゴールに辿り着けないのではない。スポットライトはその熱い胸に当たるものなのだから。

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