見出し画像

拾えなかっただけなのに

前を歩く人が落とした傘袋を拾えず、そのまま雑踏に紛れてしまった自分を恥じる、雨の通勤。

正確に言うと、斜め前の人が落としたのだが、視界には入っていた。
言い訳をすると、仮に気付かなくても仕方のない、そちらの方が自然な位置関係だったとも言える。

しかし、無視したという事実に変わりはない。

そのような行動に至った経緯を、探っていきたい。

まず、私は閉じた、クローズな人間である。
いい歳して、どうにかならないものかと、我ながら飽き飽きしているが、こんな自分が、また、嫌いではない。
しかし、閉じたままでやっていけるほど、世間は甘くはない。
そのため、必要に応じてスイッチをパチっと「開」に切り替えるが、そのような仕組みなので、瞬発力はなく、冒頭のような事例が起きる。

加えて、親切な人間でもない、というのがある。
やってあげたら良いのだろうな〜とか、言ってあげたら良いのだろうな〜、とか、そういったことを、やはりパパッと行動に移せない。
しばらく泳がす形となってから、"どっこいしょ"となる。

しかし、また言い訳じみたものだが、いずれも例外はあり、その状況次第で気持ちも動きも変わる。
落とした物が、財布、あるいは携帯であれば、それは考える余地もなく、視覚中枢から脳へ伝達するや否や、パッと手を出しながら腰を屈め、咄嗟に拾い、声をかけるだろう。

こう改めて記してみると、要は、その視覚から脳へ伝達してうんぬん、その瞬間でまさに取捨選択が行われているのだと思うと、なかなか無駄に仕上がりの良い人間である。

正しくは、親切心の薄い、閉じたタイプの仕上がりの良い人間。

また、拾って渡したときに、"塩対応"だったら嫌だな、というのもある。

自分の見積もりだと、
「落としましたよ!」
「あっ、すいません!ありがとうございます!」
これが妥当かなと、そんな想定で行くと、
「落としましたよ!」
「あ、はぁ…どうも…」
これぐらいの場合がある。
別に失礼ではないし、全然悪くはない。

ただ、私がこの"受け手"だった場合、「閉」の状態であったとしても、声をかけられた瞬間、緊急装置が作動し、パチっと「開」に切り替わり、よそ行きの即席快活人間へ変身することが出来る。
そんな機能が私には備わっている。
やはり重ねて、仕上がりの良い人間である。

しかし、そんな仕上がりの良い人間でも、ちょっとした想定外の"塩対応"に、イラっとしてしまう側面がある。
そんなの流してしまえば良いのだが、しばらく引っかかってしまう。

これは、器の小ささである。

落とし物を拾えなかっただけで、こんなに自己分析をすることになるとは。

それにしても、傘袋という絶妙なアイテムを、試すようなポジショニングで落とす。

あれは神様だったのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?