へーご

都内、不自然に顔のテカったパワーカップルみたいなのが闊歩するのが似合うロケーションに在…

へーご

都内、不自然に顔のテカったパワーカップルみたいなのが闊歩するのが似合うロケーションに在る米屋で働く、主にテレビやラジオ、音楽を摂取して生きる、取り立てて何も無い、特に趣味も無い40代半ばくらいの一般中年既婚男性の、取るに足らない日常の雑感のようなもの。

最近の記事

「ありがとう」で送られた愛犬

妻の実家で飼われていた犬が死んだ。 危篤状態との報せを受けた妻は、翌日の新幹線で帰る予定で動いていたが、その後に掛かってきた電話により、死んだことを告げられた。 電話越しに、家族みんなの悲しむ声や、その状況が伝わる。 妻もひどく泣きじゃくっていた。 私と結婚する以前より、長きに渡り一緒に過ごしてきた、可愛い小さな犬。 年老いて、少し弱ってきたことを心配して、ここ1年程は以前より近い間隔で、1人で会いに行っていた。 私が妻の実家に顔を出したのは、これまで3回ほどで、その際は

    • 大谷翔平と上杉達也は羨ましい

      幼少期に好きになり、始めたことが性に合っていて、体躯、あるいは環境にも恵まれ、練習や努力が素直に結果に結び付けば、それはもう、ブレることなくその道へ邁進して行く他ない。 大谷翔平って一番理想的で、幸せだと思う。 彼を尊敬するといったことを割とよく聞くが、私にはそういう感覚はなく、ただただ、生き方として羨ましいというか、語弊を恐れずに言えば、楽だろうと思う。 でも、やはり大いに語弊はありそう。 ただ、余計な事を考えることも、寄り道も少なそうで、広義で"最短"ではあると思う

      • 桜とトイレと盗撮と

        私が住むマンション前の通りの先にある1本の桜の木。 それが部屋の窓から半身の状態で見えるのだが、その見え方も含め、妙に魅力的に映る。 もちろん、それがバーっと立ち並ぶ様も綺麗であり、そういった場にも足を運ぶ。 しかし、意図せず見えてしまっているようなものの方に、喜びや贅沢さを感じることがある。 それは他においても、開けっぴろげにではなく、何故か"チラッ"と見えるものの方に価値を見出す節がある。 何の話しかと問われれば、「男性なら察しが付くだろう」と言ってしまえば、もうわか

        • 「soraya」 live at 東京キネマ倶楽部

          3月29日、ピアニストの壷阪健登とベーシスト / ヴォーカリストの石川紅奈によるユニット「soraya」のライブを観に行った。 以前よりこの石川紅奈という人が気になっていたため、目の当たりにできて嬉しい。 ウッドベースを弾きながら歌う、それだけでもう魅力的だ。 知ったきっかけ、入り口は彼女だが、でも単純に、このsorayaというユニットが良い。 また類は友を呼ぶように、この二人のセンス、実力、あるいは人脈ゆえといった、サポートメンバーの演奏も素晴らしかった。 これを率い

        「ありがとう」で送られた愛犬

          好きな「つまらないラジオ番組」

          好んで聴いている"つまらないラジオ番組"がある。 それは40過ぎくらいのコンビの芸人さんと若い女性のアシスタントによるローカル局のもので、毎週ある曜日に2時間生放送をしている。 もう何年か続いており、そこそこの人気番組ではあるのだと思う。 まず、その芸人さん自体の"つまらなさ"がある。 私は極力、特に芸人さんに対してつまらないという表現は避けるようにしており、それはきっと自身がその面白さを"わからない"だけなのだろうと、そういう、ある種キチンとわきまえた、遠慮の意識を持って

          好きな「つまらないラジオ番組」

          とどのつまり「ユニクロ」が好きという話

          私はスマホにユニクロのアプリを入れており、良さげな商品は"お気に入り"に登録している。 そうしておくと、それが値下げされた際などに通知が届くため、ユニクロ好きの私としてはありがたい。 好きなら定価でさっさと買えという話だが、それはそれで。 また、そのお気に入りや、過去の買い物の傾向を分析して、「あなたにおすすめの商品」なる報せが届くこともある。 これは「こんな商品もありますけどご存知ですか?」といった意味合いであるが、日頃から漏れなく、くまなくチェックしているため、私には不

          とどのつまり「ユニクロ」が好きという話

          さくらももこ「コジコジ」という作品の難しさ

          トップ画像は、ハウステンボスに行った際、絵付け体験で描くものが思い付かず、苦肉の策でやっつけで生み出した、ハウステンボスの永久非公認キャラクター「テンボスくん」なるもので、掲題とは無関係である。 自身の幼少期をモチーフに、皆が共有しやすい普遍的な感覚や感情が盛り込まれた「ちびまる子ちゃん」に対し、メルヘンの国を舞台とした特殊な設定である「コジコジ」は、さくらももこのセンスとナンセンスが遠慮なく詰め込まれたハイセンスな作品であり、それを理解出来ていない第三者が扱うとなれば当然

          さくらももこ「コジコジ」という作品の難しさ

          いい歳こいて「ニューシネマパラダイス」を未だに観られないでいる

          間違いのない名作だということは、かねてより、とうの昔から知っているし、実際にそうだろうとも思っているが、40過ぎて、未だに観られないでいる。 ちなみに物理的にではなく心情的なことだ。 とは言っても、これに関する何らかのトラウマを抱えているとか、そんな深い話ではない。 感動するとか泣けるとか心に響くとか、そんなことを聞き過ぎて、もはや観るのが恐い領域に入ってしまっているのだ。 また、思わぬ感動や泣きは仕方ないし良いのだが、それとわかっているのにわざわざ拾いに行くのが、ちとしん

          いい歳こいて「ニューシネマパラダイス」を未だに観られないでいる

          映画「ロッキー」への失礼な先入観を反省、そして恥じる

          つい10年ほど前、30歳を過ぎた頃にようやく、初めて「ロッキー」という映画を観た。 主演・脚本シルベスター・スタローンの、言わずと知れた不朽の名作、ボクシングの、あのロッキーである。 でも、それまでの見ていなかった時期も、知った気でいた。 丸太とかタイヤ担いで過酷なトレーニング、そして生卵飲んだりして、最後にリング上で「エイドリア〜ン!」と叫ぶやつ、とのイメージだけで、長い年月を推移してきた。あとテーマソング。 ポンドのステーキ、デッカい飲み物、ポテト、ケチャップ、マスタ

          映画「ロッキー」への失礼な先入観を反省、そして恥じる

          下戸の憧れ、立ち飲み角打ち

          吾輩は下戸である。 名前は授かって早、40数年。 あの作品は、その冒頭しか知らないが、早稲田の漱石記念館には行ったことがある。 併設のカフェで漱石ブレンドを飲み、コーヒー豆と手拭いを買った。 これが私における、漱石の全てである。 あと昔、お札を使っていた。 というわけで改めて、体質的にアルコールを受け付けず、全く持って酒の飲めない、ウイスキーボンボンもサヴァランも食べられない、真性の、下戸である。 仕事終わりに駅近くの商業ビルの喫煙所で1本、ないしは2本ほどタバコを吸う

          下戸の憧れ、立ち飲み角打ち

          ドキュメンタリーで免疫を付けて備える

          私はドキュメンタリーやノンフィクションといったものが好きで、そういったテレビ番組や記事などはジャンルを問わず、何かと見てしまう。 災害や紛争などをテーマにした暗く悲しいものは、内容によっては、ときに躊躇することもあるが、それでも極力、見るようにしている。 それはもちろん、興味、好奇心から来る部分が大きいが、加えて「見ておかないといけない」といった、また別の気持ちの要素がある。 無駄に大層な言い方となってしまったが、その実は、ただ単に自分のためであり、自身に同様のことが起き

          ドキュメンタリーで免疫を付けて備える

          失われゆくタモリみ

          笑っていいとも、タモリ倶楽部が終わり、その空虚を補填する役割を果たしていた感のある番組、ブラタモリのレギュラー放送も終了するとのこと。 皆んなの、我らのタモさんは確実に"店じまい"している。 とても寂しく思う反面、それらの番組を欠かさず見るほどに熱心に追っていたかと問われれば、否である。 例えば、笑っていいともならば、そもそもがその時間帯に見られるような生活リズムではなかったし、かと言って録画もせず、なんなら日曜の増刊号ですら見たり見なかったり。 そしてブラタモリに至っては

          失われゆくタモリみ

          拾えなかっただけなのに

          前を歩く人が落とした傘袋を拾えず、そのまま雑踏に紛れてしまった自分を恥じる、雨の通勤。 正確に言うと、斜め前の人が落としたのだが、視界には入っていた。 言い訳をすると、仮に気付かなくても仕方のない、そちらの方が自然な位置関係だったとも言える。 しかし、無視したという事実に変わりはない。 そのような行動に至った経緯を、探っていきたい。 まず、私は閉じた、クローズな人間である。 いい歳して、どうにかならないものかと、我ながら飽き飽きしているが、こんな自分が、また、嫌いでは

          拾えなかっただけなのに

          シアバターを髪に馴染ませるオジサン

          私は現在、美容院にて4,000円程で髪を切ってもらっている。 以前は1,000円台のカット専門店を利用していた。 その当時の毎日のスタイリングは、ワセリンで流れを付けて整える程度だったが、今は"シアバター"配合の、全身に使える自然派由来のもので適度な"ツヤ感"を演出するようになった。 ワックスなどを使用した方がもちろんキマるのだが、そこは洗い落とす面倒さが勝った。 そのシアバターうんぬんのクリームのようなものは、以前のワセリンに比べたら当然、割高である。 4,000円台の美

          シアバターを髪に馴染ませるオジサン

          バレンタイン

          バレンタインデーの大定番ソング「バレンタイン・キッス」は、発売された1986年の年間チャートでは14位であり、この順位を引き合いに、当時は大ヒットしていなかったとの紹介を"私のバカせまい史"というTV番組でされていた。 年間で14位は十分だろうと思ったが、昔は番組名にも使われていたようにベスト10、トップ10というのは大きな基準であり、そこで太くハッキリとした線が引かれていたのだろう。 私が主要な学生時代を過ごした90年代はCDが隆盛を極めていた時代であり、その時も10位以

          バレンタイン

          押しボタン式信号機に対峙した際の行動原理

          押しボタン式信号機の横断歩道が視界に入る場所で、しばし、そこの様子を何の気なしに見ていることがある。 そこで何回か見かけた行動が、ボタンを押すや否やスマホに目を落とし、その間に青に変わり、点滅し、そしてまた赤へ。そこでようやく顔を上げ、まだ変わっていないのだと勘違いして、もうしばらく待つ、といったものだ。 そして押せていなかったのだと勘違いして再び押して、さらにもう一周した人もいた。 これを繰り返して一生渡れない人、みたいなシュールなコントを妄想しつつ、改めて、この押しボタ

          押しボタン式信号機に対峙した際の行動原理