その③嫁に見放されたくない男の育休日記

いよいよ育休期間に突入した。

育休を取れば、
「ロングバケーションを謳歌しつつ」
「育児に積極的に参加する優しいパパというイメージまでゲットできるんじゃないの」
という極めて不純な動機から始まった1ヶ月間の育休生活である。

先に結論から述べよう。

「夫婦というものは、あんまり四六時中一緒にいるもんじゃない」です。

ほどよい距離感。

付かず離れずの絶妙な関係。

「たとえ人生を共にする伴侶であっても、24時間ずっと一緒にいると疲れてしまうから、ほどよく離れる時間も必要である亅
という、至極あたりまえのことに気付かされた1ヶ月間だった。

もちろん、まだ新生児期である我が子の成長を間近で見られたのは得難い経験であった。

自分も父親として、たくさん「できなかったこと」ができるようになったのは良かったと思う。

但し、妻からすれば私の「できるようになった」の評価が極めて甘く見えるそうなのである。

いうなれば、私の自己評価はロールケーキの生クリームのように甘く、妻の審査基準は激辛カレーの唐辛子のように辛い。

例えば、私にとって赤ちゃんに服を着せることは「難しい」ことだった。

自分で服なんて着られない赤ちゃんに袖を通してあげて、星の数ほどあるんじゃないかと思えるようなボタンをとめるのに四苦八苦する。

やっと着せられたかと思えばボタンは付け違えているし、時間はかかりすぎているし、妻からすれば「どうしてそんなこともできないの」と怒り心頭である。

にもかかわらず、私は「服を着せられた!」とその程度のことで喜んでしまう。
 
すると妻は怒り心頭どころではなく、怒髪天を突く勢いでダンナへの不満が噴出するのだ。

いっぽうのダンナといえば、「せっかく頑張っているのに、ダメ出しされてはやる気が失せる…じゃあ全部ママがやってよ」という気分になるのである(もちろん、そんなことは口が裂けても声に出してはいけない)。

これが俗に言う(言わないけど)「パパの甘さとママの辛さのミスマッチ」である。

客観的に見れば、これはダンナが全面的に悪い。
できないならできるようになるまで練習し、努力すればいいのである。

ただ、世の中のママさん達にひとつだけ言っておきたいのは、「男というものは、「コイツはもうひとりの赤ちゃんか」というぐらい未熟な存在である」。

どうか、なけなしの優しさをそそいでほしい。

褒めて伸ばすことでダンナのやる気は増進される。

まったく手がかかる生き物である。

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