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描いた将来の夢

幼い頃は ヒーローに憧れた
まぁ、そんな男の子は多いだろう!
僕の父方は剣術一家だったので
幼稚園の頃から剣道を習わされた
正直 好きでは無かった
その時は 武器を持って相手を叩くって
行為が 嫌だった

父は剣術と空手 様々な武術を習得していて
酔うと 誰に迷惑を掛ける訳では無いが
実際酔っては いないが普段と違う 行動や
言動が嫌いで 父より強くなりたかった
唯一 父が苦手だったのがボクシング
高校時代 人数が足りないからと
ボクシング部の応援を頼まれ らしいが
見事に負けた!と母から聞いた

剣道と空手を習い 同じ事を しても勝てない
だからボクシングを学んだ ジムに通い
部活も ボクシング部に誘われ そんな単純な
動機から始まった

ボクシングを始めた頃は アニメや漫画 そして
アメリカンドリームを描いた映画 その影響も
大きく チャンピオンを目指してたが 所詮は
動機が不純すぎた……

アクションスターにも憧れた!
ジャッキー・チェンや、ブルース・リー
真田広之さん 中学の時は体操部だったので
体育の授業は必ず 模範演技を やらされた
体操部と剣道 空手 理想だと自分では思った
日本のアクションスターは少なかったし
色々な役を出来るって 芝居にも興味が有った
両親が劇団で知り合い結婚したし
母は女優でモデルだったし

高校に なるとボクシングで挫折して バイクばかり弄って 乗り回す事が多く やがて峠を走るのが流行り 毎日 走りに行った
面倒を見てくれていたバイク屋 バイク屋に
部品やバイクを持ってくるメーカーさん
その お陰でバイクのロードレースに出場して
何時か 鈴鹿の4時間耐久に出て ステップアップしたら8時間耐久を やりたい! なんて
普通に考えて プライベーターが そこまで資金が
ある訳が無い……

ヒーロー、ボクシングのチャンピオン、アクションスター、バイクレースでの優勝 ……
10代ながら まぁ頑張ったものだ 何より
小2で離婚して母子家庭の中 母には本当に
感謝しかない。

18の時 母はステージ4の末期癌で
倒れた ……倒れた日は 僕が航空自衛隊の試験を
受ける日だった……様々なアニメや映画を見てきて 戦闘機が好きだった バイクも同じ様に
戦闘する為の乗り物だと 思っていたから
母が倒れた事で 試験には行かず 一緒に試験を受ける予定だった同級生だけ陸上自衛隊に行った

戦闘機 国を守るヒーローであり 最高の
乗り物  何故あの後 試験を受けなかったのか
もう思い出せない 
母が亡くなり 彼女と2人だったから 駐屯地が地元では無いから だったのかも

母が亡くなり 全てを無くし
行く宛ても無いまま 父親からの伝言で
関西へと
まぁ、父親の友達は全国に居たが 本当にピンキリ
関西では ピンとキリ 両方を見て 経験して
なりたい、やりたい 憧れなど皆無だった
ただ、叔父に教わった事が 今でも役立ち
それには感謝を している。

日本を離れ 2年 帰国とともに上京した
父親が居るから……ただ父親は何しろ
モテる……その時も若い女性と一緒に暮らしていた ……僕と 差程変わらぬ年齢の女性と……
だから一緒には住めず 言われた東十条に
僕より5つ?程 歳上の 兄的な存在の人と
渋谷道玄坂で 夜な夜な働き ボロいアパートで
共同生活が ……
上京する時 夢は青山のマンション 車は真っ赤な
Ferrariと 考えていたが 東十条に中古のセダン
まぁ、そりゃあ 当たり前だよね……

関西ではポルシェを2台 キャデラックやベンツにも 乗っていた10代最後 からの 中古のセダン……
勿論 文句など無い! 自分で稼げば好きに買えるのだから! ただ、夢は無かったな
車だけなら バカなの?位には年齢と合わない台数には乗った ……真っ赤な奴も 
スピードが好きなのだろう!戦闘機の様で

不動産、ボディーガード、建築業 
建築業が1番長かった 作る仕事から
壊す解体業まで 作る方は クロス(壁紙)以外なら
基礎工事から配管 配線 鉄筋 型枠 鳶 様々な
事が出来る  資格も沢山取得した
世界最大規模での仕事も職長として 頑張った
表彰も2回受けた  が ……夢は無かった
途中2回 独立して自営も やった
年収は1千万を超えてた ただ夢は無かった

建築業も辞め 中年となり散々 辞める事も
悩んだが 新しい事にチャレンジしたかった
今、やらないと もう やる機会も気持ちも
無くなると思った

色々な道を歩み 様々な体験をして
闇も光も見て来て  考えたのが 如何に
人の為に働けるか 偽善的な事だと思う
解ってはいる! 
だけど 世の中には親が居ないから
親が駄目だから って理由で 間違った方へ
向かう子供が居るのも事実
そんな子供を虐めたり 利用する大人が
存在するのも事実……

趣味だったカメラを手に 街を徘徊して
写真を撮り 海外でグループ展に参加させて
頂いたり 
子供達の為に 児童施設や学校の問題を
取り上げ 改善させたり 
夢なのか良く判らないまま現在を生きる

人の夢って 何だろう? 
スポーツ選手なら そのスポーツに全力で取り組み
成績を残すのだろう だが、引退した後は?
お金が全てだとも思わない 必要ならば
自給自足をするだろう! 
結局 僕は 何がしたいのだろうか……
褒められる事も無く 形で残るのは写真だけ
たかがスナップ写真  風景でも無いし
人に裏切られる事にも慣れ
親友は行方不明  彼女は男を作って出て行き
結局 自分だけが頼りで 何をするのだろう

そんな小さな男の くだらない物語
名もなく 大したプライドもなく
人との縁だけは 1人前な  そんな男の夢とは?

自叙伝に なってしまったね ………
夢はね 殺処分ゼロと 児童施設を作りたい
殺処分ゼロは 犬と猫を分け カフェを
譲渡出来る様な!
児童施設は 審査や、結局は何処かしらの
大きなバックが付かないと 開設は出来ない
信用性とか色々あるのは理解しているが
どっかの法人団体に所属 または、バックアップ
なんて 何か無駄な気がする!
ただでさえ 児童施設は足りていない
今この時も 親から虐待されても
行き場の無い子供達がいる……
児童相談所も人手不足と 各自治体に
足りていない!!!

他国の可哀想な子供達も沢山いるが
日本にも 沢山いる事は知って欲しい

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