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若いサポーターの増加と、今鹿児島には何かが足りていない気がする話

ユナイテッドゾーンでサポーターが年忘れのフットサル大会をしていたので、あいさつも兼ねて軽くのぞきにいきました。
そこには北九州の大学生、うん、もう面倒くさいから隠さないけど、そらくんが帰省していました。

そらくんと話をしていると、鹿児島中央高校の現役生もこちらに来てくれました。
中央高校はSSHという制度があり、生徒たちが自主的に決めたテーマに沿った探求を長期間に渡ってしています。

2年前に中央高校OBである満留さんをお呼びしたり、当時ユナイテッドでプレーしていた中央高校OBである八反田康平選手に質問をしたり、という取り組みを主導したのがそらくんでした。
中央高校(ひいては同年代)のユナイテッドサポーターを増やす、というのがテーマだった、、、と記憶しています。
そしてこの探究テーマのチームは、今も後輩に引き継がれています。
今年の1年生も多く参加しているとうれしそうに話をしてくれました。
ホーム最終戦でもわざわざあいさつに来てくれたし、中央高校ちゃんとしているなー。
満留さんは以下略

ユナイテッドのホームゲーム会場でも10代20代の姿を多く見ることができます。
2000円からスタートするU-23パスの効力だけとは思えないくらい、たくさん。

ユナイテッドにとってはとても喜ばしいことです。
ただ、その一方で、鹿児島県全体として見た時に、小林みたいにあるていど生活と家庭が安定している中年には想像しづらい閉塞感、欠損感があるんじゃないだろうか、、、みたいなことを最近考えます。
特にコロナ禍において、40歳を過ぎた自分にとっての3〜4年と、学生時代の3〜4年では影響(後遺症)は全然違うものだったでしょう。
社会、経済、地域、文化、様々な時代の潮目に自分はきちんと対応できていっているのか、、、

で、そんな彼らが求めている「なにか」が鹿児島ユナイテッドFC、ひいてはプロスポーツにあるからこそ、10代20代をはじめ、じわじわとスタジアムに足を運ぶサポーターが増えているんじゃないだろうか。
その「なにか」とは、読めない勝負事のワクワクドキドキ感なのか、みんなが同じ目的に向かって応援している一体感なのか、一体になって応援することでほんの数ミリかもしれないけれど勝負を動かせているという充足感なのか。
そういうものは、地域社会の結びつきが薄くなりつつある今の鹿児島には、他にあんまりないような気がします。(昔もそんなにあったのかと言われるとあれですけど)
みんなで闘う一体感、みんなで勝つ喜び、みんなで負ける悔しさ、次は勝つという明確に描ける方向性。
中の人が言及すべきじゃないかもしれないけど「お金を払った上で応援する」って、おかしいといえばおかしいですよ笑

しかも2023年11月26日はユナイテッドがクラブ史上最多の11,978名の観客をお迎えしましたが、プロバスケの鹿児島レブナイズも同日にクラブ史上最多の3,205名の観客が来場した歴史的一日でした。
少々の食い合いはあったはずなのに、どっちも最多更新って。

言い換えるとプロスポーツは、鹿児島におけるたくさんの情熱(時間体力お金など)の受け皿になっている気がします。
それまで発揮する先のなかった、ひょっとしたら発揮する必要性を感じることもなかった情熱。
あえて言い換えてしまえば、衣食住をはじめとした社会的インフラや税金や社会保険料以外にも、前向きにお金を使える先って社会に必要なんじゃないかなって思ったり。
話が堂々めぐりしていますが「なぜプロスポーツなのか」はもっと自分たち業界人はもちろん業界外の方々もしっかりと考えるに値するテーマだという気がします。
そこに、今とこれからの鹿児島が克服すべき課題と解決の糸口があるんじゃないかなー。

今のところ考えていることを図式化しているけどざっくりすぎるので要整備

以上、非職業歴史家が年末年始にぼんやり思ったことでした。
結論らしい結論はまだ自分には出ていないので、大人な皆さんにも考えて、、、いただきたいなー。


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