見出し画像

ジョーカーを見たのだ(ネタバレあり)

ヘライさん昨夜は映画好きの夫婦の家を訪れてアマゾンプライムでジョーカーを見てきたのだ。
ホームシアターがあるから一緒に見ないかい?という誘いだったのだ。
映画は一人で見るのが好きだったりするけれども、後で答え合わせ的なのができるのも複数人で見るののいいところでもあるのだ。

以下ヘライさんのネタバレ満載ひねくれ感想文なのだ

主人公アーサーがジョーカになるまでを描いている映画なのだけれども
アーサーは重度の精神疾患を抱えながらコメディアンを夢見ながら売れないピエロをしていたのだ。
彼は悲しくなったり、極度の緊張や泣いてしまいたい気分になると、むせてしまうのではないかというほど笑ってしまうのだ…それはもうケタケタと

ピエロとして働く職場から理不尽な扱いを受けながらも心臓の弱い母親の看病もしていたのだ。
一見すると心の弱くて優しい悲しい青年に見えるのだな。

そしてすこしづつ理不尽が大きくなり彼の環境は変わり始めるのだ

職場の上司からひょんなことから銃を受け取ることになったのだ
そして3人殺めたのだ。

母親は毎日テレビ番組を見ながら時期市長選に出馬予定のお金持ちの中年男性を何故か信仰していたのだ。
その理由はここでは伏せることにするのだ。

そして彼が殺めてしまった3人とはその市長選に出馬予定の中年男の関係者だったのだ。
警察はアーサーを追い始めたのだ。
そして警察がアーサーの家を訪れた時彼は留守だったが彼の母親が頭を打ち、より身体を悪くして入院することになってしまったのだ。

全体の物語はアーサーの妄想と現実とうまく区別がつかないような感じの演出で進んでいくのだ。

病院で母親の見舞いに付くアーサーの隣についていた隣人もおそらくアーサーの妄想であると推測するのだ。
彼はずっとずっと誰にも話も聞いてもらえない一人ぼっちだったのだ。

そしてアーサーは、母親の発言を信じていた自身の行動によって自分の出生のこと、子供時代のこと色々と不遇だった己の過去のことを知っていくのだ。

そして、病院で眠る母親の顔に枕を押し付けて殺めてしまうのだ。
ヘライさんはこのシーンで「始まったな。」と思ったのだ。

そしてまた一人殺し、テレビのコメディショーに出る頃には彼は覚醒していたのだ。
カメラの前で大胆な行動を取り、3人の男を殺めたのは自分だと不敵に笑いテレビショーの司会者もカメラがまわっている前で撃ち殺したのだ。
その時の彼はもう病気で笑いが止まらなくなってしまう青年アーサーではなかったのだ。

彼の住むゴッサムシティは貧困で荒れていたのだ。
3人の富裕層を殺め、テレビショーで司会者を撃ち殺したジョーカーは町ではもうカリスマだったのだ。

そしてパトカーで連行されるジョーカーをゴッサムシティの住人たちが囲み救急車で追突してジョーカーをパトカーから下ろすことが出来たのだ。

ヘライさんはここでジョーカーは死んでエンドかなって思ったのだ。
だけれども素晴らしい続きがあったのだ。

彼は血を吐きながら息を吹き返し自分を担ぎ上げるオーディエンスの前で、自ら吐いた血でピエロのスマイルメイクをしパトカーの上で軽くダンスをするのだ。
そこにはもう笑いたくないのに笑ってしまうアーサーはいないのだ。
ヘライさんにはまさにそれはオーディエンスのためのダンスと言うより真の開放・心の開放を喜ぶダンスに見えたのだ。
彼はうまれてはじめて心の底から嬉しさで笑ったのだ。

そして場面は変わり医療刑務所でカウンセリングを受ける彼。
きっとここで彼は死刑になるのであろうのだ
おそらくカウンセラーを殺した彼は医療刑務所の白い廊下で追われ右に左に逃げるのだ。
ただ、その足取りがヘライさんにはとても軽いものに見えて、死刑になろうが死のうが殺そうが彼の中で本当の開放があってよかったね。
そう思ったのだ、ヘライさんの感想なのだ。


余談だけれども一緒に見た2人は始終彼のことを最期まで“可愛そう”と言っていたのだ。
こんなに不遇な人生を生きてきて狂気に落ちてそして死刑だなんて可愛そうだと。

ヘライさんはむしろ最期は爽やかな気分で見られたのだ。
彼が全てのコンプレックスや過去や苦しみから開放されてあんなに足取り軽く刑務官を喜劇のようにからかうなんて、よかったね、ほんとうによかったね そう思ったのだ…

以上ヘライさんのひねくれ感想文でしたのだ、うまくまとまって無くてごめんなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?