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【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・25

4.ベトナムー2018年

 初めての日本人?

 ホイアンの船着き場で解散となり、一人で旧市街の散策を始めた。
 さすがに世界遺産というだけあって、歴史的な建物が並ぶ雰囲気ある街なのだが、何しろ観光客が多く暑いので、一旦ホテルに戻って日が暮れてから出直すことにした。
 夜7時。色とりどりのランタンが17~18世紀の中国式の建物の並ぶ街を彩る様子はとても幻想的で、目をつぶれば当時の貿易商たちの息遣いさえ聞こえてきそう……だったらいいな、と。昼間にも増して賑わう観光客で情緒など微塵もなく、人影を入れずに写真を撮るのも至難の業。そういう私も観光巨悪、もとい観光客なのだが。きっと、観光客であふれ返って久しいという京都もこんな様子なのだろう。
 3日目はホテルをチェックアウトし、自転車で郊外のトラ・ケ村までサイクリングすることになっている。ところが、やって来たのはバイクに乗ったツアーガイド。
 「あれ、自転車は?」
 「バイクにニケツの方がラクだよ」
 いや、そうではないんだけど。私のスーツケースだってどこに乗せるの?
 ガイド君は私にヘルメットを渡すと、スーツケースはハンドルとシートの間に挟んで両脚でロックオン。私は後ろに乗ってガイド君にロックオン。
 ホイアンの田舎道を風を切りながらサイクリングする気満々だったので不満があったが、理由を聞いても英語が通じないので答えは返ってこない。しかし、ほかのバイクに混ざって街中を走っている間、なんだか自分も地元の人になったような気分で結構面白い。ほかの車両を縫うように走る荒っぽい運転にも、がたがたの凸凹道にも身体が慣れてきたころ、バイクが横道にそれて裏道に入ると、辺りには一面のどかな田圃風景が広がっている。ほどなくして、アジア人男性を先頭にした白人のサイクリンググループが合流してきた。私の乗るバイクを先頭に、顔を真っ赤にして必死に自転車を漕ぎ続ける白人のグループ。なんだか、自分だけがラクをしていて申し訳ない気持ちになってくると同時に、サイクリングでなくて良かったと胸をなでおろしていた。何しろ、途中で休憩はあったものの、更に30分近くこぎ続けていたのだ。
 トラ・ケ村では裏に畑の広がる屋外レストランに到着した。白人たちはフランスからのツアーグループとわかった。当然、ガイドの解説はフランス語。私も大学の専攻はフランス文学で、当時は“翻訳本を片手”に原書を読むという典型的なバブル世代の大学生だったので、聞き取りも読みも単語とフレーズレベルでしか理解できない。
 「ボンジュール」
 と、皆とあいさつはしたものの、その後の会話が続くわけもなく、ガイドの話していることもほとんど理解できない。ランチの前に裏の広い畑を歩きながら、植物や収穫の話を聞き、農民の服を着て、種蒔きの手伝いもさせてくれた。その後は、フットスパで休憩し、料理教室では各自が各自のバインセオを作り、いよいよランチの時間になった。
 フランス人グループの大きなテーブルのそばに、二人掛けテーブルがひとつ。「さびしいー」。そんなことを言うのも大人気ないので、一人分だけセットされた二人用テーブルに腰掛け、料理の写真撮影に専念しようと決めた。景色も良いし、雰囲気の良い写真が撮れるじゃん、と自分に言い聞かせて。グスッ。
 「エクスキューズミー!」
 と、フランス人の一人が大声を出しているのが聞える。楽しそうでいいなーと聞いていると、視界の隅で手を振っているのが見える。
 「ねえ、こっちに来て一緒に食べない?」
 英語だ。椅子を持ってテーブルの端に移動しようすると、
 「いいからいいから、こっちこっち」
 と、テーブルの真ん中にいた一人が席を譲ってくれた。
 「ご招待、ありがとう」
 「私の名前は、モニークよ」
 私も自己紹介をすると、堰を切ったようにテーブルの全員が自己紹介を始めた。
 「日本人だけど、オーストラリアのメルボルンに住んでるの」
 「私、メルボルンに行ったことあるわよ!」
 どうやら、このグループで英語が話せるのはモニークだけらしく、私の話すこと、ほかの誰かが話すことを通訳してくれている。このグループは、フランスで募集したフランスから一緒に来た、ベトナムを巡る3週間のツアーなのだそうだ。よくよく見ると割と年齢層が高く、いちばん若く見えるのがモニークか。「どうしてオーストラリアに住んでいるの?」「なんでベトナムに来たの?」「日本はどこの出身なの?」「日本とオーストラリアとどっちが好き?」……などなど、モニークは通訳に大忙しで、この人たちは日本人に会ったことがないのか、と思っていると、
 「私、初めて日本人と話しをしたわ。友達に自慢するから一緒に写真撮っていい?」
 ええっ、そんな外国人っているの? そういえば、フランス出身とは言っても、南部の聞いたことのない地方の名前を言っていたっけ。
 ほんの一時間弱、しかも通訳を介しての会話で、全員と話ができたわけではないが、楽しいひとときだった。そしてやはり思うのは、自分が日本人であって良かったということ。日本人は大人しいのでバカにはされるかも知れないが、姿形が似た隣国の人たちのように嫌われることはまずない。
 「オウヴォワール」
 フランス語でさよならを言ったので、モニークは一瞬驚いたようだった。
 「フランス語、話せるの?」 
 「あいさつだけね」
 日本の学力レベルを貶めてしまうので、大学でフランス文学を専攻していたとは言えない。真面目にフランス語を勉強しておけば良かったな、と反省することしきり。高校で日本語を選択している息子には常々、“二つの言語ができればチャンスも友達も二倍、三つの言語ができればチャンスも友達も三倍”と言っている。それは自分の経験から学んだことで、それができなかった自戒でもある。
 
 ダナンからフエへ移動の翌朝は、午前7時半の迎えで、いわゆるマイクロバスに乗ると、ほぼ全員がアジア人の総勢11人のグループだった。海岸線を通って、ビーチで有名なランコー村でトイレ休憩を入れながら、郊外にあるティエンム寺、カイディン帝陵を見学して、フエ市内のレストランでランチタイム。
 ティエンム寺では、シンガポールから来たという比較的若い男にナンパ(?)され、微魔女も捨てたものじゃないと、うきうきして夫に報告すると、
 「Tシャツ2枚で10ドルで買えって?」
 信用されているのか見限られているのか、25年もの付き合いなのに、未だに夫の真意がよくわからない。
 ランチの後は旧市街側にある阮朝王宮を見学し、新市街のエレガントⅡホテルにチェックインした。ホテルに2泊するときは、部屋に着いたらまず洗濯。一晩で乾く方法も知っているのだが、2晩かけた方が確実に乾燥する。
 夕方、街の散策に出てみると予想外に観光客の多い一角で、タンクトップに短パン、ビーチサンダルの白人がうようよしているか、パブの店先でうだうだしている。今回はアオザイとベトナム式コーヒーメーカーを買う予定でいたので、手近なアオザイ店に入ってみる。値段も納得、お直しも数時間というので、冷やかしモードから本気モードに切り替わったものの、待てよ、アオザイを買ってどこで着るの? チャドルもサリーもチャイナドレスも買ったけど着たことないよね? 旅先で買った服って地元で着たためしがないよな。
 やーめようっと。
 ベトナムのスタバ、ハイランダー・コーヒーに入ってコーヒーとケーキで一休みし、ホテルでもらった地図を頼りにスーパーマーケットを目指す。日も暮れて、バイクにライトが灯る時間になって始めて、地図も道路標識もほとんど役に立たないことがわかった。おんぶひもで子守しているおじさんからまるで逆方向に歩いていることを教えてもらい、軌道修正して更に数十分。スーパーの買物袋を提げた白人観光客風とすれ違ったので聞いてみると、角を曲がってすぐだという。
 夕飯とつまみになりそうなものと果物を買って、シュールなマネキンが林立する店内を撮影し、ビールを買いながらホテルに戻った。6階から見下ろすホテル前の通りは、夜だというのに渋谷のセンター街のような人出で賑わっていた。

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