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パンズラビリンスは完全なハッピーエンド

ハロー、マオです。

2007年公開スペイン映画「パンズラビリンス」アマプラで観たので、私なりに感じたことを綴っていきたいと思います。
ネタバレしていくので、観たことある方はご自身の感想との同意・相違を楽しんでください。

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日本の影響は「千と千尋の神隠し」

第2の試練に出てくる目玉を手にはめるモンスターが日本の妖怪「手の目」に激似だと巷では言われているみたいです。

例のアイツ
妖怪「手の目」

うーん、そっくりですね。

私はこの妖怪を知らなかったので、全然別のシーンに日本の影響を感じました。
それは不思議の世界に迷い込むトリガーです。


パンの石像に目をはめ込んで物語がスタート
謎の石碑が別世界への入り口

主人公のオフェーリアは、パンの石像に右目をはめ込むと、石像の口から妖精であるナナフシが出てきてファンタジー展開がスタートします。

2001年公開世界的大ヒット映画「千と千尋の神隠し」においても
別世界との境界線に変な石碑が置かれていました。

源流をたどれば両方とも「不思議の国のアリス」なのかもしれませんが、「日本」の影響を感じたのは宮崎駿監督の「謎の石像が異世界の入り口」でした。


試練1、2はパンの擬態、そして子宮

ナナフシが妖精になるのが特徴的な今作。
ナナフシにニンフ(ギリシャ神話の妖精の意)という学名がつく種類もあって、ヨーロッパではナナフシ=フェアリーは突飛な思考ではないみたい。
ナナフシは枯れ枝などに擬態し、色も変わる不思議な虫だから妖精みがあるのかな。

そして、その親分?であるパンも、オフェーリアに課す試練に擬態していると私は考えています。

風や大地にしか発音できない名前があるらしい(すてき)

第一の試練は枯れ木の穴の中に住むカエルから鍵を吐き出させて奪ってくるものでした。
肥えすぎたカエル(ファシスト政権)のせいで痩せた木(スペイン)を象徴しているものですが、試練の仕掛け自体がパン本人だと思います。

最初の試練の木 

この木の形がヒツジのツノに似ています。

次の試練は怪物のいる部屋から短剣を取ってくるお題でした。

絵本に浮かび上がった例のアイツ

このイラストでは、腕の形がヒツジのツノを表していると思います。
パン自身がオフェーリアに対して課題を課しているのではと感じています。

また、第一、第二の試練のフォルムが女性の子宮っぽいなとも思います。
これは地底の王国=黄泉の国=現世に生まれる前のピュアな世界なので、王国のプリンセスに再生するための試練を暗示しているようにも感じました。

また、この絵の女の子はオフェーリアではないですね。
オフェーリアは黒髪ボブ、この絵では赤毛のロングで描かれています。
それはなぜでしょうか。

世界中の女の子は軒並みプリンセス候補

この作品の陰の主人公、オフェーリアの心の母
メルセデス、彼女は大佐の家にゲリラ側のスパイとして侵入しています。

貧困時代らしく、頬がこけています。女優さん見事!

彼女は「妖精は昔は見えていた」と言っていました。
また、彼女の母親は「パンに気をつけろ」と言っていました。
そして、地底の王は、姫が王国に帰還するための入り口を、世界中に用意していたそうです。

このことから、
パンの試練に遭遇し、乗り越えられた女の子は魂がひとつに統合されて、冥府の姫に戻るのではないかと考えます。
人類補完計画的な?
試練を乗り越えた子は仏教でいうところのニルヴァーナ、現世の業から解放されて、安寧の王国(死後、あるいは生前の世界)でしあわせに暮らしていけるのです。

試練を乗り越えられなかった女の子は、子供の頃の不思議な記憶を覚えていたり忘れちゃったりしながら、このツライ現実を生き、死んだあとまた輪廻転生してツライ現実をループします。生きているうちにパンの試練に気づいて乗り越えなきゃこの苦界から脱出できない仕組み。

では、男の子は?


もちろん男子にも、男子でも女子でもない性の子にも、別の物語が用意されていると思います。ただ、この映画で語られている切り口は女の子のストーリーということです。

メリバではない、ハピエンなんだ!

さて、オフェーリアがすべての試練を乗り越えて、地底の国に戻れたわけですが義父である大佐に銃で撃たれて死んでしまう結末。

人によってはメリーバッドエンド(解釈は人それぞれ)と捉えるかもしれませんが、
私は作品としてハッピーエンドに解釈の余地はないことを描き切っていると感じました。

そもそもオフェーリアに課された3つの試練を「クリアしてないじゃん!」と思う人もいるかもしれません。
第一の試練・カエルから鍵をとるやつはいいとして、
第二の試練はダメって言われてたのにブドウ食べたし、
第三の試練に至ってはパンに弟の血をちょっとくれって言われたのに拒否します。

これでなんでクリアなの?

ひとつずつ追ってみていきましょう。

第一の試練 アタマを使って勇気を振り絞る

ダンゴムシおとり作戦で胃を吐き出させて鍵をゲットしたオフェーリア。
ちゃんと自分で解決策を考え、実行しました。
この試練クリアは満場一致で納得だと思います。

このカエルは死んじゃったのかなあ・・・・


第二の試練 指示を破る

第二の試練では、パンに「妖精の導きに従って」と言われているのに、妖精の差し示した戸ではなく、別の戸を開けて短剣を手に入れました。
そして「絶対に食べ物を口にするな」と言われているのに、腹ペコだったのでブドウをつまみ食いしました。
表面上は反抗的で大失敗ですが、そもそも短剣ゲットが目的であってパンに忠実であることが目的ではありません。
よって、指示通りにせず、自分を信じてリスクをとった行動こそが試練クリアへの道だったと解釈しています。
その証拠に例のアイツも、ちゃんとオフェーリアを逃がしてくれたし。

例のアイツ

現実でも、第一の試練で服を泥だらけにして
実母に「あなたには失望したわ」とひどい言葉をかけられますが
大人たちに屈せずに自分の信じる道を突き進んでいくオフェーリアには、非常にプリンセスの素質を感じますね。
それに比べ、母親は命じられれば歩けるにも関わらず、ずっと車いす生活になってしまったのが対照的です。

第三の試練 納得できなきゃ死を選ぶ

最後の試練で、パンはオフェーリアの弟の血を「ほんの1,2滴だけ」と望みます。
大好きな母の命と引き換えに生まれた、恐ろしい義父の息子である弟が、ほんの少し血を流すことをオフェーリアは拒みました。
その血を捧げればプリンセス・モアナとして王国に帰還できるのに。
今まで怖い試練も頑張って乗り越えてきたのに。
なぜでしょうか。

関係のない何の罪もない弟が血を流すことが、自分の幸せに繋がらないとオフェーリアは判断したのだと思います。

つまり、
政権の言いなりになって、罪もない人を虐殺・拷問し、貧民には食料配給制にしておいて自分はたらふく食べて思考停止で生きのびる大佐より
危険をおかしても自らの考えのために戦って死ぬゲリラの方が
人間は幸福であるという強いメッセージを受け取りました。

パンに無思考に従い(試練を乗り越えられず)、地底の王国への道を閉ざされ、このファシスト政権のスペインで下を向いて黙って耐えながら生き永らえていくよりも、
自らの信念を貫いて死んだオフェーリアは、めでたく姫として王国に帰還したのです。

スーパー無思考人間 大佐

一見強くてえらくて立派な大佐ですが、
ただお上に従ってるだけの何にも考えてない人間代表として描かれています。

一番好きなキャラクターでした

政府の敵を命令通りに殺して、
髭剃りルーティンのために顔を縫って、
意味はないのに時間ばっかり気にして、
息子が大事なわけでもなく、ただ親にそうやって言われてるから、自分が偉い立場だから、慣習のためだけに子を残していく。
とにかく「そういう決まりだから」で何でもやれちゃうひと、命令されないと何にもできないひと。それが大佐です。
そして、思考停止人間こそ一番残忍な行いができてしまう、
命令する人に対して、実際まっとうできていしまう実行者が一番怖いという話でした。

まとめ

ファンタジーと過酷な現実を丁寧にリンクさせた映画です。

死よりも不幸な生き方があることを提示している、そう思いました。

遠くの戦争、近くのイジメ、歴史、世間、自分の子供時代、今の自分、自分の家族、自分の所属するコミュニティー、
自分事に当てはめなおして観れる素晴らしい作品でした。

またね!

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