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お金のことばかり考えてる。ジンバブエにて。

ジンバブエに来て半年が経ちました。
私は、お金ことばかり考えています。(タイトル画像は、みんなのギャラリーから、タイのお金です。)

それはなぜか?

ジンバブエの経済が不安定で、お金の価値がコロコロ変わるのを常に気にしているからです。

USドル:ボンドノート(国内通貨)は、1:1だったものが、現在1:14です。
ちなみに半年前は1:2.5でした。
タクシーの料金なんかは、前は8ボンドノートで済んでいたものが
今では35ボンドノート払っています。

あとは、常に途上国ジンバブエと日本の違いを比べているからです。
例えば、食パンは日本だと150円か200円。
ジンバブエだと0.7ボンドだった食パンが今では9ボンド。これはUSだと0.8ドルぐらいで日本円だと90円ぐらい?
という風に。
学校の先生の給料はジンバブエだと5000円ぐらいで、日本だと、勤続年数浅くても25万円ぐらいはもらえますよね?
そうなると、パンの値段はどのように感じるか?などという風に。

こんな記事を読みました

研究のためにアフリカのタンザニアで暮らしていた、小川さん。
滞在費は支給されていたのですが、より深く入り込むために現地の人と同じように古着のジーンズを路上で売ったりしていました。

黒い肌の人たちの中に、ポツンとアジア人。お金の無心のを毎日せがまれ、
誰にあげて誰にあげないか、そんなことを考えるのが嫌になり
持ち金を全てタンザニア人にあげたのです。
スーツケースも広げて、欲しいもの全部持っていけと。

これで何が起きたか?

もう日本に帰国しないといけないかなと覚悟した小川さん。
小川さんの言葉からぜひ感じ取って欲しいのですが、
「ねだられる側」から「ねだる側」になることで、彼らと同じフィールドに立ち、彼らの助け合いにより、お金がなくても生活ができたのです。

服を借り、物々交換し、車に乗せてもらい。
誰かにお金を貸したり、返してもらえるか心配することもありません。

さらに、最近この本を読んでいました。

この本も非常に興味深かったです。
この邱 永漢さんは、「金儲けの神様」と呼ばれる日本および台湾の実業家なのですが、
お母様に「金の底を見せるような使い方をするな」と言われて育ったと言います。

「金の底を見せるような使い方」というのは、給料日に給料が入ったらパーっと飲みに行っておごりまくるような使い方、とのこと。
「月賦制」で給料をもらうことがステータスだった時代は昔に終わり、毎月お金が入ってくることをアテにするのではなく、「年棒制」のように生活を考えるということでしょうか。

話を、タンザニアの小川さんに戻します。
一方、小川さんは「金の底を見せた」わけです。
彼女が差し出した金額がどれくらいなのかわからないのでなんとも言えませんが、うーん 潔い、結構な額だったんでしょう。
なん百円の寄付では、体験できないことだと思います。

私の知人で、ジンバブエに10年以上通っている日本人ミュージシャンの方が居ます。
彼にこの話をシェアすると、ジンバブエで体感していることと同じだそうです。彼は、ジンバブエの楽器や雑貨を日本で売り、そしてジンバブエにきた時はジンバブエ人に奢りまくって居ます。
最初は、ジンバブエ人から無心されることについて、日本人の常識がつい出て腹が立っていたそうです。

でも、長い目で考えたら、

この人生において、
お金を一人で娯楽に使おうが、ビジネスに使おうが、使えずに死んで行こうが、
家族と分けようが、配偶者と分けようが、寄付しようが、ジンバブエ人とシェアしようが自由なわけです。

うーん。
お金、お金、お金。
まだしばらく、ジンバブエでお金について考えることが続きそうです。




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