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理想と現実のギャップに悩んだら

私は理想が高くて、現実とのギャップにいつも苦しむタイプ。

将来20〜30年後、こうだったらいいな。
みたいな大きなビジョンがあって、今そうじゃない現実をみて苦しむ。笑
いや、不毛だって分かってるんだけどね。


あとは、
あの人は贅沢な暮らしをしてていいな、とか
会社員の人たちはお給料も保障も安定してていいな、とか

そういう他人に対して思うことだって、私が握りしめてる理想と現実のギャップ。

けど思ったことがある。
理想に目を向ければ向けるほど、心が貧しくなっていく。

私が本当に叶えたいことは、現実的にはまだ何ひとつ叶ってないかもしれない。
でも、叶えた時に感じたいことは、今すぐにでも叶ってるかもしれない。

私は、心が綺麗な人と仕事がしたい。って思ってて、
そういう素敵な人に、お仕事やお金で還元されるようなコミュニティが育まれたらいいなって思っていて、まだまだその輪は小さいかもしれないけど、少しは叶ってると思った。
それに、そういう、「心が綺麗だな」って思える人たちが、今自分の目の前にいることって、かけがえのないことだと思う。

私が理想を高く持ってしまう理由のひとつに、どう見られているのか?を気にしてしまうから、と言うのがあると思う。他の人からすれば、あんまり人目を憚らないタイプだと自負してるけど、意外と気にしてるところもあると思う。笑

文章を書くときも、誤解を生まないように…っていう思考が先行して、「書きたいように書く」文ではなくなってることが多い。
そうやって、自分に制限をかけている部分が、多分とても多くて、もっと自由にやればいいのにって自分で思ったりする。

「自分らしさ」とか「自己開示」って苦手で、自分のことを話すより、誰かの話を聞いてる方が楽。警戒心、強いタイプ。

でも、ちょっとずつ、心を開いてみたいな、とも思うの。
今まで一番身近な家族に受け入れられることのなかった、そのままの自分でも、受け入れられる優しい世界があるかもしれないなら、信頼してみる価値、あるでしょ?

話は逸れるけど、最近初めての体験をした。
ちょっとメンタルがやられてた時に、初めて守られる体験をしたの。

うちの家庭は、パパが怒鳴り、ママもヒステリックになり、誰も子供を守る人がいないどころか、本来守ってくれるはずの存在の両親が敵として立ちはだかっていて、逃げ場がない状態だったから、守られるという体験が、家庭になかった。

でも、守られた時に、「あぁ、傷ついてもいいんだ。傷ついたって感じても、いいんだ」って思った。

今までは、「傷ついたのも自分の責任」って思って、自分の身をなんとしてでも自分で守らなければ…って、頑張って立っていた。言い方を変えれば、傷ついたのは自分のせいだ、と責めてたんだよね。

そうじゃなかった。
そっか。それは傷つくよね。って、やっと傷ついた自分の隣に立って、優しく許してあげることができたんじゃないかな。

自分を曝け出すって、そう言うことかなって思ったの。
感じたことをそのままにする。表現する。
それってすごく自然体だなって感じる。

理想とかけ離れているかもしれなくても、「今ここの私」が感じてることが現実を創っていく。

理想を追って、現実を悲観していた数分前には気が付かなかった、のどかな空と景色が、今この瞬間、私の目の前に広がっている。

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