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砂漠、薔薇、硝子、楽園、(23)

feat.松尾友雪 》》》詳細 序文

》》物語概要 / 登場人物紹介

》》》22.
merci.
   beaucoup.


>23.イヅル_

イヅルの護衛は、並んで友人に見える年齢の、日本国籍の男性と相場が決まっている。その選定は《ヂェードゥシカ》が直々に行なっており、大抵は、《業界》人の二世か三世で、しかし、生まれてからその年齢まで《業界》に生き延びてそこにいるという点で、大抵の二世・三世とは明確な一線を画していた。

《業界》に入ることを選べば、子の必然として、弱点になり、標的になり、獲物になり、餌食になる。その局面を乗り越えても、力を付け、親を出し抜こうとすれば、親を潰す前に、親に潰される。彼らがなお生き延びている、ということは即ち、彼らが「家族」として愛され守られてきたという証明であり、かつ、守られてきた温情を忘れずに「家族」を守り抜く信念と、実際に「家族」を守り抜くだけの力とを持っていると「家族」から認められている、という、証明でもあった。

彼らは誇りと、野心と、実力とを持って《シベリア・セキュリティ》の門戸を叩き、登りつめて《ヂェードゥシカ》の目に留まり、黒い力を持ちすぎたこの老人の、冷徹で残酷な試練に耐え忍んだはてに、とうとう、その《御前に立つ》に至る。

武者震いを抑えながら遂に、《ヂェードゥシカ》に謁した彼らが、老人から言いつけられる「大切な仕事」に対して、しばらくの間は首を傾げて過ごすのもまた、お決まりの成り行きではあった。彼らの目にまず映るのは、高慢な話しぶりが鼻につく、出不精で、不活発な、美しい青年だ。彼らにとってのイヅルは初め、ふとした瞬間に夢想的な静けさを湛える姿の、はっとさせるような雰囲気くらいしか見るべきところのない、「若い愛人」にすぎない…外出には必ず同伴し、命に代えても守るよう言われるものの、イヅルはといえばせいぜい、着飾って飲食や散歩に出掛け、そこで出会う女たちとの束の間の交流や、公的賭博を常識の範囲で嗜む程度だし、軍人上がりの護衛が別に一人付いているうえ、そもそもイヅルを知る者のない「外界」でどれほどうろついたところで、何が起きるわけでもない。

おかしい。声が掛かった経緯に鑑みて、お祓い箱というのはおかしいし、自分がこの愛人のように寵愛され、囲われはじめているようにも見えない。それに、老人からたったひと言授かる助言は「彼の全てを許せ」なのだが、イヅルの奇妙な点といえば、あまりにも人に関心がなさそうだということくらいで、妙な性癖や残虐なところは、欠片も見当たらないのだ。…おかしい。もしや、この「氷の女王」を落としてみろということだろうか? あるいは、生まれてからずっと「籠の鳥」らしいこの青年の、歳近い友人になってやれということか? 何をすればいい? 老人は実は耄碌していて…自分は権力をかさにきて、遊ばれているのか?

しかし、徐々に、彼らは理解し始める。

雨咲イヅルは、「違う」。

頭の作りが、普通と「違う」のだ。それだけではない。イヅルといると、失くしものが「不意に」見つかり、邪魔者が「いつのまにか」消え、「運良く」有利な出来事が起き、「たまたま」素晴らしい物が手に入る。彼らが好運に助けられた吉報を手にする時、彼らの傍らには抗い難い、例の微笑みを浮かべたイヅルがいて、しかしながら、イヅルは彼らには全く興味を持たない様子で、思うままに過ごしており…少なくとも彼らの目には、イヅルはどの出来事にも、関心がなさそうに見える。そうして、彼らが身の回りのこの奇妙な現象に首を捻るあいだにも、彼らから遠く離れた場所では危険な事件が数々と起こり、その余波がやがて、どうしたものか穏やかな日の浜辺の波のように、常なる確かさで彼らの足元を、ぬるく、甘く、潤すのだった。

「僕には、君たちには聴こえない音楽が聴こえる。…そう説明すると、君たちは僕が『恵まれている』とか『呪われている』とか考える。そして僕と共に過ごすうちに、僕が君たちに特別な感情を抱き、僕が君たちの望みを、君たちに判る形で叶えることを、期待するようになる。ところが、僕には君たちの希望に従う義務も、君たちの期待に応える義務もない」

彼らが居心地悪そうに、イヅルの表情をちらちらと窺うようになる頃合いが来ると、そんなふうにイヅルのほうから、彼らの言外の疑問に答えることもある。

「更に言えば、君たちには残念なことに、僕が君たちに対して特別な感情を抱くことはないし、君たちの希望や期待にも、僕は興味を持たない」

イヅルはそれから、柔らかな微笑を彼らに向ける。

「けれども一方で、僕は愛されないよりは、愛されるほうが好きだ。だから、ずいぶん気が乗らない時は別として、基本的には君たちの希望に添い、期待に応えるよう努めている。僕は《ヂェードゥシカ》には恩義があるし、《ヂェードゥシカ》を信頼している」

彼らは、次第に、理解を深める…《茶会》へ赴くイヅルに同伴した先には、《怪物》達がずらりと並び、イヅルの頭に冠を載せる恭しさで集まり寄り、イヅルを取り囲む。《怪物》達はイヅルの囁きに安堵し、イヅルの微笑に感謝し、イヅルの差し出した手を取り、時にはその甲に涙を流しさえする…この世のものとは思えない風景だ…なにより、そのなかには、かつて彼らのようにイヅルの護衛を務めたという、《大君》がおり、《伝説》がおり、《奇跡の人》がいて、皆、星の定めた守護天使のごとくに、イヅルの行く道の先々を掃き清め、イヅルの頭上から雲を吹き払い、イヅルの周囲を優しく照らすのだ。

彼らは、確信する。

自分は選ばれたのだ、と。

同時に、彼らは覚悟する。

《怪物》になる以外に、自分にはもはや、道はないのだ、と。




斉木も、そんな「彼ら」のうちの、一人だった。正確には、たった今、はっきりと「彼ら」の仲間入りをした…リムジンのバックシートで、雨咲財閥の会長、雨咲イヅルと、《ヂェードゥシカ》の雨咲イヅルとのあいだに入り、彼は雨咲会長の背腹部に、銃口を当ていた。

「ああ、…《蘭館》の、斉木くんの息子か。君にしては、つまらない仕事を引き受けたものだね」

雨咲がスーツの腿の間に手を組んで、運転手に目配せすると、車は緩やかに、移動し始めた。

雨咲の横顔があまりにもイヅルにそっくりで、斉木はすこし、動揺していた…今まで、雨咲には何度か会ってはいる。しかし、イヅルを知ってから改めて見ると、二人はまさに『親子のように』、そっくりだった。

イヅルは、もう一人の護衛が置いていかれ、遠のいていくのを車窓に見つめながら、呟いた。

「そうだね。いまやっと少し、面白くなったんじゃないかな。僕をわざわざ守る必要性を、彼は疑い始めていたから」

「ふむ…斉木君、君は間違っていないよ。ぜひとも、疑い続けてほしいものだね。といっても、私は結論を知っている。彼は殺されるべき人間であって、守られるべき人間ではない」

雨咲の言葉を聞いた斉木は、沈黙を保ちながらも、銃口に力を込めた。

雨咲はため息をついた。
「私には悪意はあるが、敵意はない。いや、殺意はあるかな。けれども私には彼を殺せない、悲しい事情がある。安心したまえ。私か彼かを君が選ぶ必要は、今のところない。だが…君のお父様に私の嫌味なところがばれるのは、楽しくないな。やはり、口は慎もうか」

イヅルが尋ねた。
「…用件は? 僕を『たまたま見かける』ために朝から尾行するのは不気味きわまるが、勝手にしてもらっても構わないし、ムームーを置き去りにして僕らを『レストランまで送』ってくれるのもまあ、かなり気が利いていないと言わざるを得ないが、構わない。ただ、その馬鹿げた行動にあなたの命と名誉がかかっていることを加味すると、あなたの行動は相当、馬鹿馬鹿しい。あなたを狂わせているのは、なんなのかな。僕への歪んだ愛情かな?」

雨咲は口角を持ち上げた。
「同乗しているということは、斉木君は『合格』ということでいいのかね?」

イヅルは、雨咲には答えずに、イヅルのほうをちらりと見た斉木に、優しげに微笑んだ。それを認めた雨咲は、口を開いた。

「愛情というには微妙にすぎるが、一般的観点に照らして、歪んではいないよ。私は君の『息子』だ。離れて暮らす『親子』がときおり会うのに、こんなギャングじみた手順を踏まなければいけないのは、私には非常に遺憾なんだがね。それこそ、狂っている」

イヅルは肩をすくめた。
「公然の事実として、あなたは僕のためにならない」

雨咲は銃口の当たる胴の位置を正しながら、不満げな声で応じた。
「ほう。言ってくれるね。私はルリの手前とはいえ、君の生命と健康と安全のために、かなりの額を投じたじゃないか。厳しい状況にも、スグル君を信じて全力で警告を発し、最終的には君を《檻》から出して、《ヂェードゥシカ》の元に無傷で届けさせた」
「あなたは僕を、殺そうとしないこともできた」
「そこが、難しいところでね。私にも立場があり、示すべき態度というものがある。君への恨み嫉みもあるし、もう何もかも終わらせてしまいたいと思う、怠惰な気分もある。…掘っても掘っても君の死体が出てこないと聞いた時の、私の気持ちといったらなかったよ。私は厄介ごとが片付かなかった悔しさに歯を食いしばるかたわら、意外なことに一応、胸を撫で下ろしていたんだ。そして想像した。父に対する、子の複雑な思いというものについてね」
「あなたがいなければいないで、僕は上手くやったさ。僕の方こそ、『この子さえ生まれてこなければ』と呟きながら訪れ得なかった幸せな人生を夢見る、父親のような気分だ」

雨咲は、喉を鳴らした。
「どうもこうも、結局、私たちは『親子』なのだろうね。さて、用件だが」
「…あなたの話はいつも、前置きが長くて疲れる。嫌いだ」
「仕方ない。君も中年になればわかるよ。大人になると、語るべき思い出が多くてね…本論は、簡潔だ。スグル君を借りたい」

イヅルは、身体を倒して斉木越しに雨咲を覗き込み、退屈げに、背中を戻した。

「…スグルは、《サーシャ》に預けてある。『狩り』には、僕が斉木と出る」

雨咲はイヅルと斉木を見比べるように数度瞬き、それから、運転席の肩を二度叩いた。

「そうかね。では、話は終わりだ。レストランへ向かおう。私のお勧めはその三件隣りのあんみつ屋なんだが、この時間ではもう、閉まっているな。残念だ」

情報屋のことだ。斉木は目の前で展開される交渉劇について、深く考える余裕を持てないまま、耳をそばだてた。

「閉店間際が一番、空いている。白玉を絶賛して、死んだおばあちゃんが最後に食べたいと言って結局食べられなかった話をし、お茶と一緒にお代わりを注文したまえ。右手の第二関節全てに趣味の悪い刺青をした店長が、お代わりを出しに来るから、白玉粉の産地を尋ねる。店長は北海道産と答える。熊本産ではないかと言うと、袋を見せるために、奥へ通される。腹を空かして行ったほうがいい。奥でも白玉あんみつが出る。完食しないと店長の機嫌を損ねる」

イヅルは唇に右手の人差し指を添わせて、考え深げに言った。
「あなたにしては、気前がいい」

雨咲は腿の上で手を組んだ姿勢を変えずに、二人の方へ首を回して、気安そうな笑みを浮かべた。

「斉木君とは親子ともども、仲良くやっていこうじゃないか。前々から縁はあったが、今度は『家族ぐるみ』でね」

「言ったろう。斉木は、僕と『セキュリティ』から出る」
「聞いたさ。しかしそれは、君のためにではなく、家のためにだろう? 《ワーニャ》が嵌められている件には、私も胸を痛めている。君は君の王国の平和のため、斉木君は良きビジネスパートナーのため、私は長年の友人のため…私たちは皆、協力し合えるに違いない」

斉木は沈黙を守り、イヅルを横目に見た。イヅルは眉を曇らせ、面倒臭そうに、首を振った。
「しつこい。粘着質で、気持ち悪い。腹も黒い。やっぱり僕は、あなたが嫌いだ。今回は幸いにも、協力をこちらから拒むまでもないのが、救いだな。今日からしばらく、あなたは忙しい。『狩り』どころではないくらいにね」
「…お得意の、占星術かね?」
「あなた自身より深くあなたの人生に関わる人間からの、親切な助言だ」
「…。聞いておこうか」

「一か月以内に、『雨咲』を狙った大規模な医療テロがある。未曾有の事件として、歴史に残るような大きなテロだ。ただし、あなたがこの車を降りてから必死に東奔西走すれば、未然に防げなくもない。僕は公には手を引いているし、それが起きても起きなくても、僕が最後に手にするものの大きさはそれほど変わらない。しかし、あなたから教えてもらったあんみつ屋の白玉がとても美味しかったら、気分を変えて、あなたのせいで店が潰れてしまないよう、尽力はするかもしれない」

「……」
雨咲はイヅルが話し終えてからも、しばらくはイヅルを見つめたまま口を噤んでいたが、やがて静かな声で、吐き出すように呟いた。
「私は…君が生まれてからずっと、君さえいなければという考えと戦っている。ずっとだ。思い上がると、痛い目を見るよ」

「僕に脅しはきかない。見渡せばすぐにわかる。あなたには敵が多く、僕には味方が多い。僕には人脈があり、知恵があり、弁別がある」

「そうかな。身分も、資格も、証もない。君は言葉と夢を売って夜露を凌ぐ、憐れな、辻占い師だよ」
鼻で笑ってみせた雨咲に、イヅルは穏やかな微笑を湛えた表情で答えた。

「否定はしない。あなたは、そう言っている」

車が曲がり、《ムームー》がレストランの前に待機しているのが見えた。

「スグル君には、いつでも歓迎すると伝えてくれ」
後ろから雨咲に声をかけられたイヅルは、車から降りかけた足を止めて、振り向いた。
「気が向けばね。でも多分、『死んでも無理』と言われるよ」
「そうかね。君の死を願っておいてなんだが、その時にはどうか彼に、命のかけがえなさを教えてやってくれ」

イヅルが《ムームー》の後ろに回ったのを確かめた斉木が、銃をしまって降りると、自動で閉まったドアの窓が少しばかり、下がり、中から雨咲の声がした。
「斉木君。君には、君の王国がある。《姫》にはあまり入れ込まずに、たまには国に帰りたまえよ」

車を見送らずに、イヅルは踵を返した。





>次回予告_24.ニキ_

い、た、い…?

》》》》op / ed

今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。