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砂漠、薔薇、硝子、楽園、(28)

feat.松尾友雪 》》》詳細 序文

》》物語概要 / 登場人物紹介

》》》27.
> 言ったろ 君は 嘘つきだ _

>28.ニキ_

仁綺は、ディスプレイに動きがない様子を見て立ち上がり、広間のカメラを、見上げた。ミュールを履かずに裸足で、サーバールームへ歩き出した。

入口とは、認証が違った。仁綺は広間への入室用に教えられていた方法を試して、入れないことを確認した。

立て続けに、背後のディスプレイから、通知音が鳴った。

仁綺は動悸を抑えながら、来た道を足早に戻り、ディスプレイの前に立った。

> なんてね 冗談よ
> けど
> あなたはやっぱり 待っているのね _

「ルリ。私はあのドアを開けようとした。アヤノが、来てしまうよ」

>_

「アヤノは、その人を殺してしまうかもしれない。私が説明するまで、絶対に、開けては駄目」

>_

「ルリ」

>_

「ルリ…」

静まり返った広間に、長く、高く、小さな電子音が響いた。

ディスプレイを挟んで仁綺が見つめる先、サーバールームのドアが、開いた。

「…ナメられたものだね。この一帯のシステムは、『制圧』済みだ。君が心配すべきは僕の命ではなく、《アヤノ》の命だよ」

サーバールームの、入口近くの壁に背を凭れて胡座に座り、その上へ置いたラップトップで仁綺の画像を見ていたスグルは、ドアが全て開いたところで仁綺のほうへ、体を向けた。《仕事》へ行く時の、白の麻シャツに黒のスラックスの格好で、ただし、斜め掛けに携帯端末のホルダーを、提げていた。控室の薄暗さを感じさせるサーバールームの翳りのなかで、ホルダーに差し込まれた4つの端末の光が、スグルの白麻の胸元をほのかに、色付けていた。

「スグル…」
「君は僕が犯罪者だということを、忘れてる。いや…『忘れる』というのは違うかな…君やイヅルの世話をしてた僕の姿は、世間一般でいう、僕の姿ではない」

スグルは、ラップトップに目を落として、仁綺には見えない、画面の右上あたりを、指さした。
「つまり、こういうことさ…《アヤノ》にはいま、排煙区画でおとなしくしてもらっている。僕はこの区画から、酸素を抜いてしまうことができる。僕は例を示すために、彼女と同じ状態にある警備員を、殺してみせることもできる」

「できるけど、しない。大切な人たちだよ」
「さあね。まあ、しないけどね。できなくはないということだよ。僕にだって、一時の感情に任せて決定的なキーを押した経験は何度かあるし、これからも、何度かはあるだろう」

>_

「ルリは…」
「ちょっと『眠って』もらった。強制的にじゃないよ。少し二人で話がしたいと、僕が頼んだからだ」
「…いつから、そこにいたの?」
「明け方から。ルリとはこもごも、君のことを語り合ったよ。ルリは、君と会話しているあいだにもこっち側で、僕と会話してた。さすが『天才』は、器用だね」
「ふうん…」
「君が弱音を吐いて励まされてるのは、新鮮だったな」
「……」
「それに、ちゃんとした服を着てる。メイクもしてる。意外だ」

スグルが話すうちに、サーバールームのほうへ歩いて来た仁綺は、敷居を挟んだ広間側に、膝を抱えて、腰をおろした。

「おしゃれするのは、嫌いじゃない。ここでは頻繁に脱いだり着たりしない。メイクは、やってもらえる。これはこれで、気に入ってる」
「僕も、してあげられなくはなかったのに」
「服にすごく興味があるわけではないし、メイクのまま眠り込んでしまうのは、肌によくない。私は気にしてなかった」

スグルは、ため息をついた。
「僕は、気にしてたよ。そのまま寝れるタイプの化粧品だって、あるだろ。君はそのままのほうが好きなのかと思ってた」
「私は、気にしてなかった」

スグルは、掛けた左手の指で、ラップトップの背を撫でた。
「そうだね…何を着てたって、何も着てなくたって、君は、君だ」

二人はしばらくのあいだ、見つめ合った。

仁綺はワンピースに添えた指を裾へ滑り込ませて、その屈託のない脛を辿って覗かせながら、ぽつりと、呟いた。
「さすがに少し、ロマンチックに過ぎると思ったから、やめて帰ってきたのに。…スグルが、追いかけて来てしまった。どうしようかな…」

仁綺の呟きに、スグルはおどけた表情を作ってみせた。
「ロマンチック、ね…確かにあまり、現実には経験したことのない感情ではあったよ。君のメッセージを見たときの僕の気持ちといったら、それはもう…いや、…伝えようもないな。そのうえ、『完全武装』してへいこらへいこら、追いかけたりしてさ。こんなふうに」

それを聞いて微笑んだ仁綺をみとめてふと、言葉を止めてから、スグルはため息とともに、呟いた。
「僕は、ロマンチストだったらしい。陳腐かな。…陳腐だな。陳腐だよ」

「全く新しい何かというのはたぶん、宇宙の開闢以来、存在しない」
さっぱりとした口調で応じた仁綺に、スグルは尋ねた。
「イヅルは?」
「イヅルはわからない」
「ニキ」
「イヅルはわからない。それ以上のことは、言えない」
「自白剤を打たれても?」
「わからない」
「打たれたことなんて、ないんだろ。君に父親なんて、いない」

微笑を湛えて黙る仁綺に、スグルは畳みかけた。
「君に、父親はいない。いるとすればそれは、雨咲ルリの父親だ」

仁綺は鹿毛色の、烟るほど豊かな睫毛の奥に星を浮かべる、漆黒の瞳で、スグルを見つめながら、囀るような軽やかさで、答えた。
「調べなくても、よかったのに」

スグルは、ラップトップの背を握っていた両手を、両膝の上へ移し、呼吸を整えてから、口を開いた。

「君は、『雨咲ルリ』だ」

仁綺は当惑したように、首を傾げて見せた。
「私は『幣原仁綺』。雨咲ルリではない」
「ニキ」
「…少なくとも、『雨咲ルリ』と呼び習わされている個人とは別の、一個人だよ。『幣原仁綺』という素敵な名前の、戸籍もある」
仁綺は、苦笑しながら、付け加えた。
「死んじゃってるけどね」

スグルは、軽く肩をすくめて応じてから、続けた。
「君の…遺伝上の『父』は、ロシア系の諜報員で、宇宙開発の機密漏洩に関与したことがある。君の『お父さん』は宇宙人じゃなく、日系ロシア人だったわけだ」

仁綺は、楽しげな声音で言葉を挟んだ。
「日系ロシア人として生きる、宇宙人だったかもしれない」

「その点は本題じゃない。譲ろう。宇宙人だったかもしれない。素性はともかく、職業は、スパイだった。そして雨咲財閥の令嬢がそのスパイとのあいだに作って、入り婿の子どもとして産み落としたのが、雨咲ルリだ。ルリの実父の名は、『幣原・《エヴゲニー》・恭二』…ただし、彼が持っていたIDは彼によく似たロシアンクォーターの、原田潔のものだ。原田潔は《エヴゲニー》にIDを売って、たぶん、消された」

仁綺は、スカートの上から、脛の上で指を組んだ姿勢で、瞬いた。
「すごいね。そんなに詳しい話は、私も聞いたことがない。スパイだったというくらいにしか」
「僕は、調べた。詳しくね。筋金入りの、スパイ物語さ」

スグルはラップトップを確認するために、視線を落として、それからまた、顔を上げた。

「100年も前に揉み消された人間関係の痕跡を漁るなんて、ヒマラヤでミイラを探す探検家みたいな気分になったよ…君の言葉を聞いて、ひと昔前ならどうにかなると思った。けど、いくらなんでも1世紀前はきつい。何にも、残っていやしない。どうにか行きあたったと思えば、今度は『極秘ファイル』と来るからね。なかなかに、やり甲斐があった」

「探検家には小さい頃、憧れてた」
微笑んだ仁綺の言葉には答えずに、スグルは続けた。
「…。『極秘』じゃないほうのデータも…あるにはあったけど…だいたい、移行されないハードのデータなんて、どんなに長くても数十年で死んでしまう。なんとか生き延びてても、途中で消去されれば、初めからなかったのと何も変わらない。『完全なる無』さ。電子データというのは、そんなものだ。結局は人づて、モノ頼りなんだ。幸い、君の『お父さん』はアナログ世代でアナクロ趣味なうえ、剽軽で、感傷的な人だった。古代人らしく、思い出の品を私有地の山小屋の床下に埋めてた。昔ながらの方式の、粗悪な遺伝データと、僕には疑いようのない、『君の』写真だ」

スグルは胸ポケットから、端の磨耗した、古びた白黒写真を出した。サマードレス姿で、レース掛けのアップライトピアノに凭れてこちらに微笑みかける、ポニーテールの仁綺がいた。
「ルリは、僕には『極悪おばあちゃん』だった。まさか、こんなに美しい女性だったなんて、想像もつきやしない。人生が、人間を歪めるんだ。恐ろしい発見だ」

仁綺は手を伸ばし、写真を受け取って、眺めた。
「ルリは…おしゃれなのに、あまり、人前に出たがらなかった。綺麗な女の子や男の子が、大好きだった」
「奴隷として飼うくらいにね。人間の仕業じゃないよ。そんな人に…育てられて、君は…」

そこで、顔を上げた仁綺は、スグルと目を合わせてから再び写真に視線を落として、静かな口調で語った。
「『私は宇宙人だ』は、夢が怖くて泣いていると《バーブシカ》がしてくれるお話で、私は大好きだった。最後に、『仕方ない、司令官には叱られるかもしれないが、こんなに可愛い子がいるんだから、滅ぼさないでおこう』って、高い高いをして笑い合うお話だよ。《父》が、いなかったらそれはそれで、面白かったのにな。ちゃんと、いたんだね」
「…実在の人物かどうか疑わしいほど強烈な経歴の、《父》がね。幣原・《エヴゲニー》・恭二は、裏切者や逃亡者を『狩る』のが得意な、極秘の死刑執行人だった。『豚を挙げる』のが専門の《エヴゲニー》は、衛星情報強奪事件の時には大人しく、日本のために機密を取り戻したが、本当のところトロイの木馬よろしく、切り札になる二重スパイとして、ロシアから送り込まれてた」
「『とんかつ屋だった』のくだりも、私は大好き」
「しかし、潜伏期間中に本国の諜報組織の体制が変わったせいで、ロシアの諜報員としての出番を見失った。およそ60年前、ひと花咲かせて雲隠れした。君は嘘をついた。《エヴゲニー》を守ったのは国の保護プログラムじゃなくて、『シベリア・セキュリティ』だ。『セキュリティ』に最新型戦闘機の設計書を売った《エヴゲニー》は、アルゼンチンに高飛びして、そこで『ニコラス・カッチェッリ』として、人生を終えた」

「…いちいち、その調子で答え合わせをするの? それは、いまここで、しないといけない?」
困惑顔で尋ねた仁綺に、スグルは憤然と答えた。
「君は寮に入ったこともない」
「《バーブシカ》が羨ましかった。私も、入ってみたかったんだよ」
「僕が君の嘘に気付くことは、織り込み済みだった。おそらくは、いま、僕がここにいることもね。ニキ。君はいったい、何を画策してる…?」
「何も。せっかくの『休暇』だから、思いつきで実家に戻っただけ。やっぱりちょっと、ホームシックだった」
「…。あんな、立ち去りかた…」
「他についでの用があって、しばらく、目くらましの期間が必要だった。更に言えば、面白いと思ったから、やってみたかった」
「……」
言葉を探すスグルを前に、仁綺は写真を両手に持った姿勢で、ひとりごちた。
「ただ、…私が気づかないうちにスグルが来られるとは、実は、思ってなかった。ちょっと困ってはいる。人質までとって、犯罪者みたい」

スグルは、大真面目に応じた。
「僕は、凶悪な犯罪者だ」

「んー…」
仁綺は、考え深げな表情を見せてから、ぴょこりと、立ち上がった。
「私は、行くよ。スグルはそこで待っていて」

「行く…って、どこへ?」
尋ねたスグルに、仁綺は微笑を向けた。

「スグルを殺さないよう説き伏せて、アヤノにご飯を作ってもらおう。お腹が、空いているでしょう?」
「ニキ。僕は、…」

スグルは言葉を止め、眉を顰めた。スグルの腹部から、切なげな音が聞こえた。




>次回予告_29.スグル_

「心?」
「どうしようもなく、惹かれる気持ち」

》》》》op / ed

今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。