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蓮という人(の、素描) 中

【あわせて読みたい:これは短篇『大人の領分⑤澪里』の付録です。シリーズラストにつき特盛!なにやら複雑な事情を感じさせるこの人に、さまざまな角度から光をあてるこころみ。の、中巻。タカラくんという人(の、素描)、人は見た目によらないという驚きを数回経るとタカラくんに直接会えます、繊細な奇人・ハルカさん、柚希さんの普通力、続きます ほか】

さて…タカラくんタカラくん言ってるタカラくんとは一体、何者なのか? 美青年? ただの好い人? 遊び人? 仕事できる人? 優しい人? 若燕? 慎ましい人? チャーミングな人? 元気くん? エゴイスト? バイセクシャル? …いまさら、読者の皆様にこのタイプの驚きを求めても、まあそれほどのびっくりはないと思います、タカラくんは見たところ、普通よりは目鼻立ちの整った印象はありますが、びっくりするほどごく普通の外見の、ごく普通よりは少し仕事が忙しい、ごく普通より頭ひとつ抜けてるものの、割と普通のアラサーアッパーミドルです。中小企業といっても小の方にかなり近いがゆえの営業部長兼人事部長兼システム部門長。システム部門長になってる理由なんて「役員の中で一番若いから」です。はい人手不足〜。中小企業じゃなかったらまあ、純粋に仕事力の方は課長どまりくらいなのかも。減点もなければ加点もない感じのサラリーマンいますよね。あんな感じ。眼鏡にツーブロックでカジュアルスーツが制服がわり、営業比率多いんで靴もブランドとかじゃなくて、歩きやすい曲がるソールのやつ。

普通…?

そう。普通。見たところはね。だってタカラくんが素晴らしいのは、眼鏡を外して脱いでから、だから。

素晴らしい。裸のタカラくんは、何をしても、美しいです。

こんな人も、います。ね。

内面的なところでいくと、タカラくんは眠り姫型の恋愛道を歩んできた人。遠い遠い昔、タカラくんが小学5年生の頃、クラス替えで隣の席になった、初めて同じクラスになるサワイくんにタカラくんは淡い恋心を抱いてたんですが、このサワイくん、結構はっちゃけた子でして、高校生の彼女がいて、なにかと振り回されてて大変で、その話を隣でソワソワ聞くタカラくんも大変だった。サワイくんは夏休みに脱童貞しましたが、これを問題視した周囲の大人が、秋からサワイくんをどこかに転送してしまいました。タカラくんに残されたのは、夏休み明けに新しいのと一緒に返そうと思ってた、鉛筆と鉛筆ホルダーだけ。

ちなみに、タカラくんはこれを恋とは思ってませんでしたのでその後、それなりに彼女作ったり婚活してみたりして、ヘテロ社会での男としての自信みたいなものにアイデンティティを求めてましたが、本当のところ、今でも鉛筆と鉛筆ホルダーは文房具入れにあります、サワイくんのことがずっと、どんより続く曇天に一瞬あらわれた晴れ間のように感じられていて、もしかしたら、もしかしたらとは思ってました。子どもも欲しかったけど、愛する女性、というのがまずピンとこないし、そんな人と生殖エッチするというのもピンとこない。タカラくんはほら、脱ぐと別人のような人なので、だいたいの人は「…?!」となり、思わず愛でてしまうんですが、裏返しますと、男性の本質的に受け身な部分というのが、タカラくんの大部分を占めてまして、セックススタイルも、どっちかというと、ゆっくり、しかもドライの方が好き。けどまあ、セックスだけが目的で女性と接するわけではないんで、というかそもそも女性にそれをしてほしいかというと、そういうわけではないわけで、基本、言えないし、言わない。

外はこんなに晴れてるのに、どうして家のクローゼットにこもっているの? と言ってもです、タカラくん自身、何が好きなのか、誰が好きなのか、自分の「好き」がどういう「好き」なのかさえ定かでないうえ、見たところ「普通」に生きれてて、そんな状態で集合地帯には、怖くて出て行けなかった。という次第で、このタカラくんにとって、破壊的な可愛さと蠱惑的な性格の絶妙なミックスが特殊能力の域に達してる蓮くんを連れて人生に右往左往してる、穂南海さんとの出会いは、あたかも運命のように思えたわけなんですね。振り返るにきっと、運命だったわけなんですが、運命が辿る道、というのは自分で思っていた道筋とは違うこともあり、違っててもやはり、それが運命であることにかわりはなかったりするものです。

穂南海はタカラくんより10才上、恋愛に対して一服感があって、セックスも求め合うというよりは与え合うスタイルだったのも大きいし、重荷に感じて踏み出せずにいた色々なフェーズを飛ばして、ずっと憧れていた「家庭」を持てるというのも大きかった。トントン拍子のときはもちろんのこと、タカラくんは上巻でお話ししたような難しめの状況にさしかかっても、蓮くんのお世話をサボったりはしなかったんですが、それが穂南海さんへの愛情スタートだったかどうかは、タカラくん自身にも、今となってはわかりません。平日は頑張っても帰るのは保育園ギリの19:45、バタバタしつつもどうにか、一緒にご飯を食べ、絵本を読んでおうまさんごっこしたり、「きょうのおしごと」の話をしたり、毎朝一緒にお風呂に入ったり、土日などは二度寝に料理、お出かけ、一緒にテレビ、蓮くんと父子として過ごす時間はタカラくんには本当にかけがえなく、穂南海に申し訳ないくらいだったし、実際、穂南海からどんどん心が離れるなかで、それは正真正銘の申し訳なさに変わっていった。

そんな折、タカラくんの会社の遊具を使用した子ども用娯楽施設のオープンに伴い、イメージビデオの撮影に登用されたのが「解放しろ。」すなわち舞踊家のハルカさんでした。ハルカさんは結構、なんというか、奇抜なうえに気難しい人ではあり、重度のシスコンを横においても、こんな年齢になるまであんまりパートナーがおらず、またいないのはハルカさんが気難しいからなのであって、探して見つかるとも思えない、だから自分の性的な伴侶については諦めモードというか、悩んでさえいなかった。んですが、撮影現場に来たタカラくんをひと目見、ひと言話して、バケツの水を頭から被ったみたいに恋に落ちてしまいました。ま、タカラくんのことを好きになる人はだいたい、こんな感じでタカラくんに恋に落ちますが、タカラくんのガードが恐ろしく堅いので、ゴールまで行ってその素晴らしさを実感してさらにズドーンと好きになる、ところまで行ける人って、あんまりいないんですけどねえ。さすがハルカさん、執念深い。結婚してる? 私もだよ。子どもがいる? 将来が楽しみだね。セックスはちょっと? 何を言ってるんだ、しなくたっていいんだよ君に会えるだけで。男と恋愛したことない? 私だってこれがたぶん初恋だ。夜は帰らなきゃ? 昼に会いに来るさ。土日は子どもといたい? もちろん邪魔しない、じゃあ平日のランチはどうだい?…お、おぉぉ。これ、タカラくんがハルカさんに対して何にも思ってなかったらただの大迷惑なんですが、困ったことに、ハルカさんのプロフェッショナルな姿をその目で間近に見たタカラくんも、サワイくん以来初めて、不思議なときめきを感じちゃってたんですね。うーんうーんこれは…時間の問題です…し、時間の問題でした。結論から言うと眼鏡を外して脱いでからのタカラくんは素晴らしかったですし、体に詳しいハルカさんの解放セックスは素晴らしかったです。し、二人の間に芽生えた絆というのは何物にもかえがたいものでした。はい。おめでとうございます。

いや、おめでとうじゃないでしょう。

そうなんですよ穂南海さんが停電中のネパールで電気だけじゃなくて生理用品も足りなくて困ってる時に、タカラくんは蓮くんを抱きしめながらハルカさんが足りなくて困ってる。え? 神さま…?

タカラくんは悩んでました。実のところ、撮影やら稽古やら公演やら取材やらでガチャガチャなハルカさんの生活は子持ち向きじゃないですし、タカラくんだって例えばスケジュール空いたからってホイホイ会いに行けるわけじゃない。追われてるうちは良かったんですが、両想いになってみると、夜に会えないのは大変な障壁でした。これが一方にあり、他方、継続案件として穂南海さんとは未だに向き合ってませんでしたし、働き盛り世代実質父子家庭の苦しみも続いてました。もう結構、色々と素敵なものを手に入れてるにも関わらず、というかそれゆえのいっぱいいっぱいで、手に入れてるものは全て大切なもので、投げ出しようがない。そんな中、もう大人ですから正妻? への嫉妬などないと言いたいところですが、というかまず自分の身の上があるのでなんとも言いようがないのですが、募りゆくハルカの配偶者、柚希さんへのモヤモヤ。しかも、え、めっちゃ美人だし、得体が知れない感じがするし、奇人のハルカと幼馴染で心通じ合って相棒みたいになってるわけですね。そのパートナーだという放浪の人タエコさんへの、ハルカさんの溺愛ぶりも正直ヤバい。といっても、自分だけ見てくれ、などとというにはハルカさんはタカラくんに没頭しすぎなんですね。天蓋付きのキングサイズのベッドにタカラくんをちょこんと座らせて踊ってくれた即興の「求愛の踊り」は、それはもう全身で求愛する踊り。疑いようもない。これ以上この人に何かを求めるのはたぶん、人として間違ってる。いやちょっと待て、所詮アーティスト、やっぱりヤバい人なんでは…。

で、それほどヤバくはなかったんですね。ハルカさんは奇人ですが、心の微妙な部分に対してむしろ敏感で繊細だからこそそうなってるのであって、鈍感ではないんですよ。骨折して治ったら骨強くなってたみたいな、筋肉痛のあと筋肉つくみたいな、そういう仕方で心の強さを身につけてきた人なんですね。ある夜、シッターさんに寝かしつけを任せてハルカさんに会いにきたカタラくんの、ソワソワした様子を見たハルカさんは悲しげに、タカラは無理をしすぎているのではと思うがどうだろう、と尋ねました。タカラくんは、もうどこからなにが無理か、なんて、わかんなかったけど、どこからなにを話せばいいか、わかんなかったけど、蓮と静かに暮らすには穂南海から遠すぎるしハルカさんを愛しすぎている自分について、それに時々、何もかもに疲れてしまった気分がする自分について、そしてそんな自分の身勝手さが、みんなの美しい好意を台無しにしていることに対して抱いている、罪悪感について、不器用に、ポツポツと語りました。ハルカさんはタカラくんを隣に座らせて、肩を抱いた。

君に他に好きな人がいようと、君が育児に専念して私に養われようと、私にはなんだって構わないんだ。そんなことは大したことじゃない。君にはそれが、わかっているね? ただし、君がどうしたいかは、君にしか決められないことだ。他は、なんとでもなるか、どうにもならないかだが、大抵のことなら私がなんとかするじゃないか。君の伴侶を見くびってもらっては困るよ。タカラ。君は、どうしたい?

タカラくんは顔を上げ、ハルカを見つめ、涙を浮かべながら、吐き出すように、言葉を絞り出しました。

僕は、蓮を、幸せにしたい…。

直ちに…ハルカさんはタカラくんにバスローブを被せて4ドアランボルギーニに乗せ、残業中の柚希をピックアップして、蓮に会いに行き、蓮に、いままで友人といっていたが、君のお父さんは私にとって、とてもとても大事な人なんだ。君のお父さんがいなければ私は死んでしまう。だから週に数日、このさい月に数日でもいい、お父さんと二人きりで一緒に過ごす時間をもらえないだろうかと頭を下げました。君には、私の命より大切な友人を貸す。なんでも言ってくれて構わないし、なんでもしてくれて構わないし、もちろん君の大切な友人にしてくれても構わない。素晴らしい人だ。それでどうにか、私たちの仲を認めてくれないだろうか。

ヤバい。こういう時はこの人ほんと、ヤバいんですよ。タカラくんはハルカさんが鬼の形相だったんで、ほぼほぼ別れ話をしたはずの自分にキレたんだと思ってびびってたし、柚希は苦笑して腕を組み、蓮くんにいたっては、あまりのわけのわからなさに思わず柚希のスカートの裾を掴みました。それに気づいた柚希は、蓮の隣にしゃがんで、背中を手で支え、覗き込んだ。

君、すごく可愛いんだね。私、君のこと、攫っちゃおうかな。ね。今日はうちにおいでよ。それで、明日の夕方まで一日中、一緒にいよう。

蓮は…大人の事情だということは、すぐに悟った。一応、タカラくんを見て、タカラは? それがいいと思う?と、訊き、訊いた蓮に、タカラくんは呆然と、首を横に振りました。タカラくんがタカラくんなりに守っていたなにかが、せめて壊れ切ってしまう前に、止めなきゃいけないと思った。ハルカは相変わらずヤバさマックスです、祈りのポーズで、蓮の前に、頭を下げたまま。蓮はハルカの祈りの両手を、小さな両手で包み、泣かないで、ねえ、おれはすごくわかるんだよ、その気持ち。だから、泣かないでほしいんだ。と、言った。

タカラくんと柚希はその時初めて、ハルカの顔が涙でびしょ濡れになっていることに、気づいたのでした。タカラくんは、呆然と、今度は小さく、首を横に振っていましたが、やがてのろのろと膝を折り、蓮とハルカさんを一緒に、抱きしめました。

蓮は柚希と一日過ごし、柚希は蓮の大切な友人になり、柚希は蓮の小学校入学に合わせて蓮と同居を開始しました。同居の練習のタイミングで、タカラくんは帰国した穂南海さんにあれこれのことをカミングアウト。その夜は眠れなかった二人ですが、泣き腫らした目を気にしながら、蓮くんを迎えにハルカさんの邸宅に来ました。穂南海はとにかく、蓮に会いたかった。それまでは、なにも考えられませんでした。まず、蓮に会って…それから? それから、穂南海はどうすればよいでしょう…?

蓮はほなみ! と叫んで手を振ってハルカ邸の門前で穂南海を迎え、泣いていたらしい二人の様子を見てとりました。蓮は穂南海の腕を掴んで言いました。

おれはずっと、ほなみのこと、だいすきなんだよ。ほなみがそれを知ってるんなら、おれは、それでいいの。ずっとね、変わらないよ。おれはいつでも、どんなときでも、ほなみのことが、だいすき。…つたわってる?

穂南海は…自分の人生というものがあまりにも自分のものだ、という側面と、自分は一人では自分を支えられない、という側面の、明るい部分の光を、この時同時に、浴びました。

うん…つたわってるよ。私も、蓮のこと、どんなときでも、だいすき…。

蓮は掴んでいた穂南海の腕を一度、ぎゅ、と握り、ね、つたわってるよ。行こう。と、言いました。

広間にはハルカさん、タエコさん、柚希さんが待っていて、蓮くんは部屋に入ると、穂南海を座らせて、自分はその隣に、穂南海と手を繋いで落ち着きました。

舞踊家と版画家については昨日ネットで調べたけど、その人が目の前にいる、という感覚以外に何が湧いてくる訳でもありません。柚希にしても、疲れ切ってる穂南海には、お綺麗ですねヒマなんですか、くらいの嫌味しか、浮かんでこないのが、正直なところ。タカラくんが重々しい口調で紹介を終えると、沈黙が走りました。

そりゃまあ、なんて言っていいかなんて、わかんない。頼っていいかもわかんないですよ。何の話をしていたのか忘れそうなほど、痛いくらいのあいだ、長らく黙り込んだ穂南海に、柚希は言いました。

ねえ、あなたは何も失わないよ。誰も、あなたから何かを、奪ったりしない。見て。あなたたちの居場所が、増えるだけ。

穂南海は柚希を見つめました。

二人は静かに見つめ合い、やがて、穂南海は涙を滲ませながら、ほんとうに、こんなこと…と呟きました。信じられなかった。信じられなかったのは、柚希をじゃない。

穂南海は本当に、何も失っていなかったからです。

普通…?

普通って、何ですか。ね。

蓮が小学一年生になった夏、穂南海さんはタカラくんと婚姻関係を解消し、今度は東欧へ旅立ちました。

愛されて、愛されて、愛されて育った蓮くんの人となりについて、やっと語る準備ができました。蓮くんの素描は次の下巻で、完結になります。




上巻は、穂南海という人の素描です:

本篇は、こちら:

柚希という人:




今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。