helmsman470

富山県砺波市出身。海上自衛隊OBです。

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最近の記事

嗚呼還暦

最近60歳の誕生日を迎えました。いわゆる還暦。赤いちゃんちゃんこなど着ることなく、ちょっとだけいい肉を買ってきて家族ですき焼きしただけの誕生日でした。60歳に特別の感慨はなかったのですが、造船業に今かかわっている者として船の寿命がだいたい20年から30年、これから送り出す船が寿命を終える頃には私はもうこの世にはいない確率が高いのだなと考えると、60歳という年齢に実感がわいてきます。一日一日を大事に過ごさなければ。残りの人生、どう生きるか。

    • 令和6年能登半島地震に思う

      令和6年の幕開けは悲劇的なものとなりました。発災直後、NHKから流れる山内泉アナウンサーの大津波警報の絶叫、次々と入ってくる現地の悲報。決して他人事とは思えません。 心から犠牲になった方々へのお悔やみと被災された方々へのお見舞いを申し上げます。 私は前職が海上自衛官であり、平成時代に起きた震災とはほとんど何らかの関わりがあり、過去にも何度かnoteに書きました。  平成5年に起きた「北海道南西沖地震」の直後に奥尻島沖を航行し、甚大な津波の被害を目の当たりにしたこともありま

      • 安部元首相を悼む

        私が、安倍元総理死去の第1報に触れたのは帰宅中の路上でした。 たまたま小さな居酒屋の前を通りかかったときに入口の戸が開いていてテレビの音が外に漏れていました。そして、「安倍元首相が亡くなられた。」の音声を一瞬耳にし、思わず引き返してテレビの映像を外から覗き込んだところ、あの信じられない映像が、、、、、、しばらく動けませんでした。 帰宅すると、家の中には沈痛な空気が流れ、家族がニュースに見入っていました。 私は、元海上自衛官で平成31(2019)年2月に定年退職しています。第

        • 転出者の不在者投票(その2)

          本日、広島県呉市選挙管理委員会から送付された不在者投票用紙を横浜市金沢区選挙管理委員会の設置した不在者投票場で投票し参政権を行使しました。 双方の選挙管理管理委員会の対応が面白過ぎたので紹介いたします。 まず、呉市選挙管理委員会です。 この封筒に入っていたのは、参議院全国区の投票用紙と封筒、参議院広島選挙区の投票用紙と封筒、そして この案内 私が送った返信用封筒です。 順を追って呉市選挙委員会を糺していきます。 まず、「投票用紙等の送付について」とタイトルをつけ

          転出者の不在者投票

          久しぶりのnoteです。 今日は、今年3月に広島県呉市から神奈川県横浜市に転出した私の参議院選挙の不在者投票の手続きにおいて感じたことを書きます。行政に対するクレーマーにはなりたくないのですが、やっぱり問題だと思うことはあるので敢えて書きます。 選挙人名簿は転出して3ヶ月経った人が記載されるこもになっているそうです。参議院選挙の投票日は7月10日なので投票日には3ヶ月経過している私は当然現在居住している横浜市で投票するのが自然のように感じますが、呉市選挙管理委員会から投票の案

          転出者の不在者投票

          阪神淡路大震災の記憶

          今日は、阪神淡路大震災から22年。もう、そんなになるのかという思いです。私自身は、前職、海上自衛官として直接災害派遣に従事したわけではなかったのですが、記憶にとどめるべきことは多々ありましたので、記憶のままに記しておきたいと思います。 当時、私は横須賀の2隻の護衛艦で編成される護衛隊に所属していました。隊付と俗に呼称される指揮官の副官、幕僚のような仕事をしていました。前年に結婚し長女が前年の9月に誕生し、部隊から車で30分位の場所の官舎で新婚生活をおくっていました。当日の朝は

          阪神淡路大震災の記憶

          東日本大震災から10年

          もう10年、でも、昨日のような感覚です。 当時、私は海上自衛官で佐世保を母港とする某護衛艦の艦長を拝命していました。私たちの艦は艦齢25年を超えた老齢船舶であり延命工事のためドック入りしていました。 震災直後に佐世保から次々と災害派遣のため緊急出港していく他の艦を横目で見送りながらお役に立てないことに歯がゆさを感じたことを記憶しています。 血気盛んな乗員たちも艦がドック入りして動けない状態にあり、災害派遣のお役に立てないことに対する苛立ちを感じているような空気を私は感じ

          東日本大震災から10年

          57歳の誕生日を迎えて自分のファミリーヒストリーを想う

          誕生日を迎えてあらためて思ったのは、私をこの世に生み出してくれた両親、とりわけ21歳で私を難産の末生んでくれた母への感謝、そして祖先への想いでした。 私の祖父は1894年生まれ、富山県砺波市の小作農の四男でした。当時のスタンダードでは、おそらく小学校で学歴は終わりだったでしょう。しかし、地元の篤志家が進学の援助をしていただいたので、祖父は中学校に進み、更に学費の要らない陸軍士官学校に進学しました。明治には、このような篤志家が全国津々浦々でこのような援助をしていたようです。古

          57歳の誕生日を迎えて自分のファミリーヒストリーを想う

          マイナンバーカード再発行顛末記その2

          呉市窓口に対する質疑を一時中断し総務省窓口に問い合わせたところ次のとおり回答がありました。 要点は、 1 呉市広支所の対応は誤りであり、説明が不足していた。 2 交付受付時間は自治体によっては住民に御迷惑をおかけしており改善を上申する。 でした。2の回答を引き出したのは一定の成果であったと思います。 1については、説明不足もありますが、制度上不具合であると考え、更問いを送りました。 ----------------------------------  大変よくわ

          マイナンバーカード再発行顛末記その2

          洋上慰霊祭

          統合幕僚監部や海上自衛隊のホームページで海外に派遣されている海上自衛隊の艦艇における洋上慰霊祭の写真が公開されることが増えています。 洋上慰霊祭 不肖、私も海上自衛官時代に洋上慰霊祭に何度か艦艇乗員として参加し、また、最後の6年間は、洋上慰霊祭の執行者として弔辞を捧げたこともありました。海上自衛官として着任した最初の船で戦艦武蔵が沈没したシブヤン海においてレイテ沖海戦において戦没した海軍将兵に対する洋上慰霊祭に参列したのが昭和62年です。その後、30年以上経ってから同じ場

          洋上慰霊祭

          マイナンバーカードの再交付顛末記

          1 経緯(1) マイナンバーカードの再交付申請  私は、令和2年8月中旬に横浜市から呉市に仕事の関係で転居しました。その際、マイナンバーカードを利用した転居手続きを行いましたが、マイナンバーカードの追記欄の余白がなくなり、転出後の住所の記入ができなくなったとの理由で再交付申請を行うよう、転入手続きを実施した呉市役所広支所で指示されました。その際、「保有しているマイナンバーカードは使えないので広支所で預かる。」と言われましたが、マイナンバーを保有していないと自分のマイナンバー

          マイナンバーカードの再交付顛末記

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          たまたまKAZUYA Channelで紹介されていたので原文を読みたくなり検索してみると見つかりました。筆者である佐官自衛官のリアルが伝わってきて、時々、笑えたり、ちょっと泣かせたりする、読み応えのある内容です。 KAZUYA Channel 自衛隊イラク日報 バグダッド日誌/バスラ日誌 一覧

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          どのように活用するかは、これから。

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