見出し画像

【短編小説集vol,5】鎌倉千一夜〜胡蝶の夢よ

第23夜 シュレディンガーのシャッター

 生まれた時からリビングの壁にかけられている大きく引き伸ばされた写真。朝日を浴びて際立っている水蒸気のアップのカットだが、明らかに水蒸気を構成しているのは無数の粒だ。その粒たちが周りの空間に拡散していこうとしている。それはまさにそれぞれの粒に意思があるようだ。この写真は親父が高校の時に所属していた写真部で撮ったものだ。家には各所に写真が掛けられているが、それらは親父が足で稼いだ純粋無垢な感動の一コマたちだが、とりわけこのリビングの壁の写真はいつ見ても不思議な瞬間だ。
 親父は大学で物理学を学び写真好きが高じて光学メーカーに就職し定年まで勤め上げた後、昨年の冬83歳で他界した。会社ではシュレディンガーというあだ名で呼ばれていたと聞いたことがある。シュレディンガーは量子力学の巨人。学生の頃に強く影響され、いつも同僚との飲みの席でも彼の学説を熱く語ってたらしいからそう呼ばれたのだろう。息を引き取った後、親父の書斎を整理していたら学生時代に何度も読み返したのだろう、元の1.5倍くらいまで膨らんだシュレディンガーの著作が並んでいた。探求心が強いともいえるが、この執念は一種のオタク? というのも、通夜の御斎の席で同僚の人から聞いた話では、皆カメラのメカやレンズに心血を注ぎたがるところが、親父はひたすらシャッターの滑らかさにこだわっていたとのことだった。それは狙った瞬間をいかに逃さないかというのはもちろんだが、親父はシャッターが開く瞬間にしか興味がなかったのだ。真っ暗な筐体に外界の光が入り込むその瞬間、画像が転写される。生身の視力を超えた観測・記録がそこでは行われる。いわば撮影者の意図を超えた結果が現れうるのだ。親父はいつかこんなことを言っていた。
「物事は都度振る舞いを変えるんだ。たまたまお前がみている世界はその一瞬一瞬が静止画みたいに切り取られた記録の繋がりなんだ。その一コマ一コマは初めから決まっているものじゃなく、お前が見たことで決定されるんだ。その意味がわかるか? もう少し説明するとな、素粒子の振る舞いが関係しているんだ。お前が見る、つまり観測するまでは素粒子はどう動くか誰にもわからないんだ」
都度状態を変える素粒子のその時の目撃者となるということ。シュレディンガーの学説だ。
「この世はな映画が上映されている劇場みたいなもんだ。この世が時系列の動画だとしたら、シャッターで切り取った静止画は素粒子で構成されている宇宙空間の中でのいち瞬間の記録ということになる。滔々とした川の流れの水面に顔を出した大石、そこだけ流れが変わり音を生み出し空気を切るように、淡々と流れる時間の中に人知れず出現する奇跡的な現象。それらはシャッターを開くまでは既定されてはいない。シャッターが開いたまさにその瞬間に起こったことがまぎれもなくそこに写る。これは当然だが予測不能だ。何度も言うがシャッターは現象の目撃行動なんだ。ムービーのonスイッチとは意味合いが違う」
 親父との思い出を頭の中で甦らせる。次から次へと去来するシーンはむしろ輪郭は曖昧なピンぼけなものだが、しっかりと私の記憶に焼き込まれている。さらに目を閉じると記憶の動画は暗転する。しばらくは脳が働き残像を映すが、その後は暗黒だ。やがてそこは黒一色ではなく無数の点の集まりであることに気づく。これはリビングの写真の水蒸気に近い。ひょっとして親父はこの状態を表現したかったのではないだろうか?
 もう一度書斎の椅子に座る。親父の好きだったものに囲われたこの空間。あちこちに親父の足跡を感じる。机の引き出しの中に気になる箱があり開けてみると、ひとカットだけ切り出したネガフィルムがあった。光にかざしても何が写っているかはわからないのでプリントショップに出してみた。サービス判では小さくてわからないだろうから四つ切りにした。上がってきたプリントは一面黒かと思われるが、よく見ると無数の点だ。宇宙空間の星のように見えるが、星というよりもう少し長さを持つ点だ。その短い紐のようなものは無秩序な方向で存在している。これが何を写したものか、どうやって写したものかはもはや確かめようはない。

第24夜 大路勅旨の夏

 古い家屋が代替わりで新しい家になっていく中で、鎌倉の個性がどんどんなくって行くことを危惧した人々がSNSなどで発信し始めたことで、古都の佇まいへ回帰していく声がうねるように高まっていった。ずっと跡地としてその基礎構造のみを公開していた永福寺の建物全てが現代に蘇った。ただしVRの中ではあるが、細部まで再現された左右均衡のとれた鳳凰の姿に人々は時代を超えたロマンを味わうことができた。さて、これに気をよくした人々は次の対象を求めた。目をつけられたのは執権の世に構想したと言われる石畳計画。ぬかるみの多い幹線道路を整備する目的だった。情勢により頓挫したが、それがなければ勅旨となり鎌倉の様相は一変していたはずだ。石畳は寺社の参道にはよく見られるが道路は今やアスファルトばかりなので確かに新鮮だ。初めはネット上の小さなチャット交換レベルだったが、ある時から歴史学者がその場に参加したことにより議論がヒートアップし、やがてVRに留まらずリアルの再現(というより実現)に向けたクラウドファンディングが立ち上がり、外国をも巻き込んで億単位のビッグプロジェクトとして条例が可決された。
 そこからは早かった。施工業者、交通規制に積極的な協力があり、電線の地中化も合わせ半年ちょっとで極楽寺から十二所、名越に至る範囲の公道はすべて石畳に生まれ変わり、電線が消え空が大きく広がった。プロジェクトは環境保全にも発展しこのエリアの走行許可車両は電気自動車のみとなった。さらに住民は指定された時間のみに走行が限定され、鎌倉住民はこの土地の番人であることを背負い環境維持を課せられた。海岸線の国道134号線は江の島の交差点から材木座のトンネルまで自動車帯が茶色、自転車帯が青色、歩行者帯は緑に塗られ、この管理された鎌倉エリアに入ったことを意識づけられれた。
 このエリア内の移動は専用ビークル『KAGO』で行う。KAGOはゴルフ場にあるような4人乗りの電動カートで、最高時速20Kmでの自動運転。好きな場所で乗り捨てることができる。客を降ろした車両は掃除機ロボットのルンバが充電に戻るように指定の待機場所へ向かい充電しながら次の乗車客を待つ。客は乗車のバッティングがないよう、必ずアプリで予約する。もちろん住民も対象だ。市中では各商店が競う様に往時の空気を独自に表現することで、自然食メニュー、伝統技法のインテリア、雅楽のBGMなどが急速に取り入れられ、日本文化の再発見につながっていた。 観光はもはやガイドブック頼りではなく、KAGOのマイクがリクエストを聞きチャットGPTによりその時の気分でルートを作る。あとは勝手に運んでくれるのだ。乗車中もどんどん話しかけることで季節に合わせた花の開花場所や、席が空いた飲食店の案内をして予約もしてくれる。出店は事前申請により指定の場所で行うことができるので、路上は思い思いのポップアップショップやマルシェで賑わった。専用アプリで出店場所とショップの詳細がわかるのでKAGOで自由に行き来でき、買ったものはショップに託すと、ポーターKAGOが管理鎌倉エリア外に設けられたパーキングセンターに届けておくので、帰りに自分の車に乗せて帰るだけだ。パーキングセンターでは調湿の整った管理庫で野菜も鮮度を保ってくれるので鎌倉ブランド野菜は大人気で需要が大幅に伸びたことで拡大した計画栽培が可能になり不法投棄地などがどんどんみずみずしい農地に変わっていった。朝比奈インター併設のパーキングセンターでは、復路のドライブ需要を狙ったフードカウンターが軒を連ねる。チェーンのカフェはもちろん起業家たちがオリジナリティを競い、サービスエリアグルメのメッカとなった。
 さて鎌倉石畳、初年度の夏は物珍しさと海水浴客が相まって多くの人々が訪れたが、秋風が吹くころになると人も減り、エリア内の走行可能時間には石畳に揺さぶられた地元住人や配達の乗用車がスピードを上げられずにノロノロ走る様子が目立つようになった。その姿はあまりに牧歌的でさしずめ中世の牛車のよう。それがさらに往時を思わせ現代的解釈の古都鎌倉が出来上がった。

第25夜 かぐや姫のガゼボ

 月は採掘場になった。月のレアムーンがあっさりとエネルギー問題を解決し、石油利権者たちが隠蔽し続けてきた新たな扉がついに数百年ぶりに開かれたのだ。レゴリウム。核融合の材料として重水素とレゴリウム1gで石油8トン分のエネルギーが取り出せる。つまり少なくともこの先数千年は地球でのエネルギーを賄うことができるというエネルギー大転換の救世主なのだ。
 この採掘プロジェクトを指揮したのは日本の女性。国連月域資源担当長、鈴鹿佐江。愛称かぐや姫だ。佐江は親から与えられた絵本の中で竹取物語ばかりを来る日も来る日も眺めていた子だった。やがて大学で地球惑星学の理学博士号を取るとアルファプライズ財団の後押しでプロジェクトを立ち上げた。月の採掘場は整然と開発され計画的に採掘できるようになったため、指揮をした佐江は国連に招かれ世界的なキーパーソンとなっていた。
 鎌倉山の自宅のガゼボ(壁のない東屋)から黄色い満月が見える。そのすぐそばに太陽光を受けて輝く人工衛星が見える。天空のパースペクティブにより大きさや距離感は普通の人には実感できないが、佐江にはリアルに映る。仕事場である目の前の月と衛星をこうしてこのガゼボから見るのは、激務の中の安らぎではあったが、今はこの眺めも秋の緩やかな夜風も心地いい物と感じることはできなかった。佐江は夫の星彦にため息交じりに嘆く。
「月の行き来が増えるほどに安全性が上がって今や航空機並みの安全性とされているけど、それは移動手段として安全なだけのことで、月に向かう移動中の環境については話は全然別なの。ああして月面への行き来は容易になったけど、地球上の新大陸に行くのとは訳が違う。月を海洋の未開島と勘違いしていたのよね。大気圏を抜けて、いわばビオトープの外に行くのだから、あらゆる想定外にさらされるの。暗黒森林なんて例えた作家さんがいたけど、まさにそう。どこからどんなことがやってくるのか想像もつかない中その森を歩き続けるのだから」
「あの衛星は高度3万キロの静止軌道にあるわけだけど月までは地球から38万4400Km、やっぱり月は遠いよね」
「テクノロジーで距離の問題は解決したけど暗黒森林状態はまだまだ全然手付かずと言えるわ。そんな状態のまま地球というビオトープに外からタフな分子を持ち込んじゃって、今さらだけど本当に大丈夫なのかな? 彗星衝突なんかもビオトープ外の物質ではあるけどそれはは放置されるけど、持ち込んだ資源は分解使用するから細分化されちゃっている。その分拡散が早い。いつの間にか地球上全体に存在することになっていく。レゴリウムは莫大なエネルギーを取り出せるからオゾン層破壊を止める画期的な資源となったけど、それに頼りっきりで地球上がすべてそれになってしまった時に、ツケがやってくることはないのかな?」
 半年後の現地立ち会いで佐江は採掘場にしばらく滞在することにした。規定では2週間を上限とされているが目一杯いて森林の異変を探ってみようと思ったのだ。上限滞在は珍しいことではないが、皆口々に居心地の悪さを漏らしていた。青い地球は絶景だが、あの瑞々しさと正反対の月面にいることに強烈な不安感が襲って来るのだと。そうなってからはすぐにでも地球に帰りたくなり、苦行に変わるのだ。例に漏れず佐江もガゼボからの安寧とは真逆の感情を持つに至った。
 佐江は5歳の時に家族旅行した上海で迷子になったことを思い出した。バンドという愛称の外灘(ワイタン)の夜景スポットで、父の手を離した途端人並みに押されて遠くに引き離された。植え込みの脇でしばらく泣いていると次から次へと大人がやってきて話しかけるが、どの人も聞いたことのない言葉で、どんどん怖くなっていった。しゃがんだままそこから動かなかったのがよかったのだろう、やがて両親が探し当ててくれた。永久にはぐれるわけではないだろうが、その間の例えようのない不安。それがフラッシュバックしてきた。わからない言語、それはここ月面においては何? 自分の他にも地球からの人間はここにいるにもかかわらず孤独感が押し寄せる。急に周囲が暗黒の森林と化す。音も風も無いが気配だけが自分を襲う。後ろを何度も振り返る。どうしようもない恐怖でしゃがみ込む。
 やがて不安は薄らいでいった。親と再会した時の父親の抱擁の温かさを思い出したからだ。それは地上を離れた月面でも感じることができる。それは思うことで叶う。思うとはその時点でそれがなされたことなのだ。肉体同士が接触しなくていい。思い続けてみるとわかる。愛する人との抱擁を思ってみるといい。心がいつしか満たされ温まるのがわかるはず。地球を出たら身体という物質に執着してはいけない。自分は一素粒子と思い、広大な宇宙空間にたゆたわなくてはいけない。そう、今は仮初の姿なのだと…。やはりここ月面は私たちの居場所ではない。地球というビオトープで守られた私たちはいてはいけない場所だ。やはり私は地球に帰ります。

第26夜 胡蝶の夢よ

 「昔者莊周夢爲胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志與。不知周也。俄然覺、則蘧蘧然周也。不知、周之夢爲胡蝶與、胡蝶之夢爲周與。周與胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。-荘子」
章に区切りが来たので本を閉じた。通勤車窓からは駅へと急ぐ人々や連なる自動車の苛立ちが見える。毎日の光景。皆それを現実と受け止め繰り返す。そうやって生をカウントダウンしていくのだ。
 日常が一変する時、つまりシンギュラリティ。AIが人類を支配する包囲網は想定以上に速い。片っ端から我々のアイデンティティを脅かす。AI開発のイタチごっこが遊びを超えて脅威に変わる時、理性の一線をあっさり超える。人類、地球のためでなく、一企業のため、いやカリスマオーナー1人の自己満足のために不可逆的な始動スイッチがオンされて、脅威がベロシティに進化していく。共存の知恵などは到底追いつけず、いよいよ身の危険を感じた人類はシステムの全滅を決意する。一台残らずの抹消が必須だ。PCだけではない、全てにIOTが浸透している段階ではそれらも抹消が必須だ。生活、インフラ全てだ。そして人類は自ら明かりを消し暗黒へ身を置くことになる…。
 最悪のシナリオはシナリオでしかない。シンギュラリティの世を想像できるなら、それに支配されない姿もイメージできるはずだ。それで十分にAIと共存したことになる。恐るるに足らずだ。それ以上にAIという奴は人間という生身の物質の欠陥を補ってくれる最高の相棒ともなりうることを忘れてはならない。視力を失った人には目の前の景色をカメラが読み込み音声で説明してくれる。それは見る以上にイメージを喚起させ思考のガイドをしてくれる。歩行機能を失った人には車窓やホテルのバルコニー扉のような大画面モニターでミコノス島の朝だってすぐに見せてくれるし、サングラスのようなウェアラブルデバイスでオーガスタのアーメンコーナーを体験させてくれる。でも身体に障害を持つ者にとってはそういった疑似体験が嬉しいのではない。健常者と同じ状態で同じことをできることが嬉しいのだ。我々人間は余生を絶望的にカウントダウンするのではなく、死後という新たなステージをもたらしてくれるAIやメタバースを歓迎したい。 
 そもそもこの世は胡蝶の夢。この世がリアルと誰が決めた。今の自分が頭の中で望む状態に身を置けばいい。選択権は自分自身にある。どっちにしてもリアル幻想の日々は数十年で終わり、後は宙の粒となるわけだから。

第27夜 裕子の鼻歌

 孫を保育園にお迎えに行くといつもあの子が繰り返す鼻歌。とても印象的だけど何の曲かはわからない。おままごとのおもちゃを片付けながら今日も嬉しそうにふんふん歌っている。そのフレーズ、何だっけ? 私はかつてそれをたしかに聞いたことがあった。いえ、一度や二度じゃない。ある時期集中的に聞いていたはず。でもいつも思い出せずにいた。
 毎日見かけるのに、その子の名前は知らなかった。今日着ていたスモックの名札に”ゆず”と書いてあるので思い切って話しかけてみた。
「ゆずちゃん、そのお歌は何?」
「お母さんのお歌。いつもおうちでお母さんが歌ってるの。お母さんはちゃんと何かを歌ってるんだけど、ゆずはわかんないからこんなふうに歌うの」
そう言ってまたふんふん歌い出した。お母さんはたしかいつも髪を後ろで結んで眼鏡をかけている人だったわよね…。ゆずちゃんの鼻歌を聞きながら孫の持ち物をまとめていると、そのお母さんがやって来た。ゆずちゃんが飛びついてお母さんを迎える。私の方を向いて何やら話しているようなので、便乗するように会釈しながら二人の元へ行く。
「ゆずちゃんがいつも鼻歌でお母さんのお好きな歌を歌ってらっしゃるのですが、私には聞き覚えがあるのですがどうしてもその曲名が思い出せなくて…」
お母さんはどの歌だろうとゆずちゃんに聞くと、ふんふん歌いだす。
「ああ、この歌は私がいつも家で歌ってるんです。ゆずも外で歌ってたんですね。曲名どころか、誰も知らないはずの歌なんですが、本当にご存じなのですか?」
「ええ、ゆずちゃんは歌詞までは歌わないのですがメロディーは間違いなく聞いてます。というより、私がまだOLだった時にこの曲のPR担当をやっていたんです。あ、正確に言うとPRをしようという直前に会社が大手に吸収されて、この曲のリリースが頓挫してしまったんです」 
お母さんは少し居住いを正して、抱いていたゆずちゃんの髪をなでながら静かな調子で話し出した。
「あ、ジュピターレコードにお勤めされていらっしゃったのですね。私の父はこの歌を作曲したんです。仕事部屋のピアノから何度も聴こえてくるので、私もゆずみたいに体に染み付いちゃったんでしょうね。ついこの歌を口ずさんでいるんです」
「そうだったのですね。私は現場のアシスタントでしたから先生方にお会いすることはなかったんです。ところで、曲名は何でしたでしょうか?」
「『裕子』です」
「そうでした。ひょっとして…」
「そうです。私の名前です。遅くできた初めての子だったからずいぶん父は喜んでいたと母親が言ってました」
「だからこの歌を。メロディに反して詞は重い内容でしたよね?」
「ええ、歌詞は私が書いたんです。父が曲を作り上げた3か月後、両親の乗った車にトラックが突っ込んで…」
「そうでしたか…」
ゆずちゃんはお母さんの笑顔の消えた表情を見て、元気付けようとまた鼻歌を歌い始めた。そのメロディに合わせてお母さんが歌を重ねた。

私はお空を飛んでたの
牧場でも遊園地でも
高い高いっていいながら
お父さんは目いっぱい腕を突き上げてくれてた

私は旅をしていたの
お布団で肩のあたりをトントンしながら
毎晩いろんな国のお話しをしてくれた
お父さん疲れてたはずなずなのに

私は夢を見ていたの
お父さんに手を引かれバージンロードを歩く夢
それなのに
それなのに

ありがとうお父さん
裕子は空を飛んでます
裕子は旅をしています
いつも心の中でお父さんの手をとって

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?