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第36夜 宅急便の新聞

 「新米を送ったから明日着くと思うてぇ。今年の米は暑い日が多かったから出来が悪くて粒が小さいから美味しくないと思うっけねぇ、水はいつもより多めにしとけって」
母からの新米の報告は毎年「美味しくない」のだ。豊作の年はでも「天日干しじゃないから」美味しくない。そんな”美味しくない”一級品コシヒカリは、毎年孫の誕生祝金のボチ袋や、岩塚製菓や亀田製菓で母がこれぞと思った新製品せんべいとともに段ボールに詰められ宅急便で届く。今回はボチ袋が側面にセロテープ止めされてあり、危うく気が付かずに畳んで捨てるところだった。昔は秋の栗や松茸も入っていたが腰を悪くしてからは山に入れず、その部分のすき間には新聞屋からもらったタオルや新潟日報の古新聞が詰められている。古新聞は犬の散歩時の**処理に重宝するので歓迎だ(新聞社には申し訳ない気がするが…)。
 今回は新潟日報が詰められていた。いつもはそのまま散歩バッグに詰め込むところ、先月末の日付のを何気なく読み始めたら社会面に見覚えのある名前が目に入ってきた。確か彼は地元の国立大学に進んだ後、東京の最高学府で建築学を終えたと聞こえてきていたが、ここでは木構造の権威として記事を寄せていた。内容はこうだ。
「近年最大級の地震の際、大きなダメージを免れた住宅は決して鉄骨構造のものだけではなく、木構造の古いものでも雨仕舞いがしっかりしていて、ある程度太い材を使用していたものは残った。木が耐えたのだ。木は使い方で鉄やコンクリートに負けない強度を発揮する。特に湿度の高い日本では、湿った空気に木は締まり、乾燥すると膨らむ。鉄やコンクリートではこうはいかず場合によっては亀裂に繋がる。世界には木での高層ビルディングが増えており、この度日本でも東京大手町に20階のオフィスビルを建てる運びになった」
 彼とは高校時代、文系理系が分かれていない1年の時にクラスが同じだった。エリア内のたくさんの中学から目指した者がこの高校に来たので入学時は面識がなかったが同類は惹かれ合うもので、英語の授業で詩の翻訳を順に発表した時、ホイットマンの
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I celebrate myself, and sing myself,
And what I assume you shall assume,
For every atom belonging to me as good belongs to you.
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という詩を、
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私は自分を讃え、そして有頂天になる。
君にだってその気持ちは分かるだろう?
だって原子で成るこの世は皆一緒なんだから
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と訳した。
私は立ち上がって彼に握手しに行きたくなる気持ちを一所懸命押さえ、休み時間に駆け寄った。
「博くん、あの詩の気持ち僕にもよくわかったよ。でもあんな風な言葉では訳せなかった」
「あの詩は好きで何度も触れてたからだよ。それより、僕は最初はちんぷんかんぷんだったけど、君はすぐにあの詩の意図が分かったの? そっちの方がすごいよ」
「僕は鉄腕アトムが好きで、アトムって何だろ?って思ってから原子のことを本で調べてたんだ?まさか英語の授業に出てくるとはね」
 私たちは2年生からはクラスは分かれていたが、廊下などで顔を合わすたびにそのとき夢中になっていることを交換し合っていた。3年の夏、博くんは受験勉強の間を縫って白川郷に行って来たと言っていた。合掌作りについて熱く語っていた。後、卒業式以来会っていない。  
 博くんの寄せた記事ではこう締め括ってあった。
「木、すなわちセルロースの分子構造は圧倒的に柔軟性があるんです。原子は皆一緒なのに分子で固有の特徴を持つのは、例えば木には生物の側面と材木の側面があることが起因します。鉄やコンクリートと違い、木は生きていたころの水が通っていた記憶が残っているんです。人間という生き物みたいに。私は高校時代、友人の影響で分子に目覚めました。こうして建築学に留まらない発想を持てるのは彼のおかげです…」

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