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第56夜 化粧坂情話

 私は女子校の頃からショートカット。バスケ部だったこともありそうしてたんだけど、いつからか後輩から憧れられるようになり女子の園の中で私は唯一の男キャラだった。そう、宝塚の男役みたいなものね。周りから期待されるとそれに応えたい気持ちが大きくなって、私は男になった。だけど身体は歳と共にメリハリが出てきて、バスケをやっていたこともあり望んでもいないのにグラマーになってしまった。私はそんなのを強調したくないから、和服の着付けよろしく毎日胸を締め上げ、パンツスーツを着ている。だから家に帰ると早く楽になりたくて解放するんだけど、鏡に映る私は街にいる女性なんかの数倍女性特有の体つきだから気が滅入ってしまうの。ちょっと必要なものがあって部屋着のままコンビニにいっちゃうと、だいたい男性の下心いっぱいの視線をあちこちから感じて早々に帰ってきちゃう。
 だからって私は女性が好きなわけじゃない。間違いなく男性の方を選ぶ。でも、どんな男性でもいいわけじゃない。私が普通じゃないからか、男性にも普通じゃないものを求めるのかな。みんなが熱狂するスターたちにはどうも興味が持てず、かといってこういう人って言う自分の好みがわからないの。なんて言うのかなぁ何故か惹かれる人はクールな人。それもカッコつけた感じじゃなくて本当に人に興味がないかのような、言ってしまえば冷たい人。人と目を合わせることも顔を向けることもない、全く別の次元で自分一人で生きているような。そんな人に惹かれる。
 ある日、海蔵寺の手前にある自宅に向かっての帰り道、英勝寺の前に差し掛かった時、ここの名物、入り口の花便りを凝視している人がいた。この花便りはその日境内に咲いている花を知らせる掲示板みたいなもの。今は冬から春への移行期なので蝋梅や椿や水仙。その人はそれらの文字を何回も読み返してるのかなってくらい長い時間見ている。「ひょっとして外国の人でその意味がわからないでいるのかもしれない」助けるつもりで声をかけてみることにした。
「May I help you?」
「あ、いえ。私はこの花便りに考えさせられてしまって…」
何のことはない、日本人だった。その人は考えているという理由を自ら話す気なんて毛頭なさそうだったが、私はどうしても気になるのでさりげなく聞いてみた。
「花便りってそんなに珍しいですか…、それで何を考えてらっしゃるんですか?」
「確かに花には形も色も大きさも全然違うものが無数にあるでしょ。なのに人間は多少の差しかないのは何故かってね。ひょっとしたら同じように見える人間も全く違う種類じゃないかって」
度肝を抜かれるような内容だ。でも言われてみれば花を花と括っているのは人間だから、花にとっては梅は梅なのだ。紅梅も白梅も蝋梅もそれぞれが紅梅で白梅で蝋梅だ。
「あれ、そう考えれば人間も一括りじゃないのかも…」じゃあ私みたいな心体が裏腹な人がいてもいいような気がしてきた。
気がついたらその人はいつのまにか踏切を渡って亀ヶ谷坂の方に向かって歩いている。
「なんか不思議な人」
 土曜日の朝はポメラニアンのチャッピーの散歩を、いつもより足を伸ばして源氏山から葛原岡神社まで行くようにしている。家を出て海蔵寺方面にしばらく歩いて左に曲がる。その先の化粧坂を上ると源氏山だ。化粧坂、けわいざか、秋の色とりどりの紅葉から着いた名前のように感じるけど、全然違う。本で読んだところでは鎌倉時代に遊郭があったという説と、戦いで血に染まったという説、どっちにしても穏やかじゃないものばかり。爽やかな朝ながら鬱々とした気分でチャッピーのリードを手にしながらいくつかの葛折を曲がると源氏山公園に出る。銭洗弁天の方へ向かいながら脇道を入ると、あまり知られていない小さな公園に出る。公園と言ってもベンチが二つだけある眺めのいい空き地みたいなところ。一望できる海に向かって右側のベンチが私たちの定位置。チャッピーと一緒に作ってきたサンドイッチとコーヒーの朝ごはんを食べる。斜面には自然繁殖した菜の花が広がっている。
「チャッピー、気持ちいいね」
チャッピーは夢中にご飯を食べている。遠く下方に見える由比ヶ浜は凪いでいる。この時間があるから実家を離れられない。毎日東京まで通勤するのは正直辛いのだが、金曜に帰って週末に鎌倉で過ごすのもなんだかいいとこ取りみたいで気が引ける。
 朝ごはんに夢中になっていたのは私もそうだったみたいで、気がつくともうひとつのベンチに人が座っている。目が合ったら会釈しようと思ったけどこっちをみる気配はない。しばらく海を見ていたその人は。おもむろに手帳を取り出して何かを書き続けた。それはこれまで温めてきたことを一気に書き留める感じだ。私もブログを書くから何となくわかるけど、忘れないうちに残しておくんじゃなくて、脳が手を動かす感じ、いやこの世にその考えを何かの力が強制的に具現化させようとしているような感じというのが正しいかも。あの人もその奴隷になっているんだ、今は。
 しばらく書き続けて手が止まった。そして我に帰ったように周りを伺った。その時初めてその人の顔を見たら昨日の英勝寺の人だ。あちらも私を思い出したようで軽く会釈した。
「朝からお仕事ですか?」
私は昨日の話の先を聞きたくなり、まずは声をかけてみた。
「いえ、私は無職なんです。とはいえ親が残してくれた遺産で少しづつ食べてはいるので何とかなっているのですが。お聞きになっているのはのは今の書き物ですよね? 何故か急に頭に浮かんだことを書きたくなったんです。というより書かされたような気分です。昨日お会いした時からずっと考えていたのですが、男と女は同じ生き物なのかって。花たちは同じような形をしているけど、性質は全然違ったりするじゃないですか。私は女の人と付き合ったこともないですが、街で買い物なんかで接するたびに全く理解のできないことを言ったり、全然違う匂いを発していたり、正直馴染めない」
「それ、なんだか私もわかります。男の人って何も私の中に入ってこないんです。包容力があっても優しくされても、美しい顔をしていてもいい匂いがしても。でも決して女の人の方が好きってわけじゃないんですよ」
「それでも男の体にだけは惹かれるでしょ?」
初対面でなんてことをいいだすんだとは思ったけど、正直間違いなかった。日に焼けた熱い胸板、もっとそれより下の腹筋、さらにその下の…、私の同じような器官が熱く疼く。私自身も受け入れたくはないが体が勝手に反応するのだ。しかし何故この人はそれを確信もって決めつけるのだ? 何か私がそういう空気を出しているのか?
「そんな急に失礼じゃないですか」
「あ、失礼しました。あまりに私のペースにあなたが合わせてくれるので、ひょっとしてと思って」
「ひょっとして?」
「一般の人とは異性への感情が違う人なんじゃないかと思って」
「何故そう思ったんですか?」
「説明はできません。そう思っただけなんです、本当に失礼しました」
私へのその感想が気になってしょうがなかった。今日は土曜日、休みだ。時間はたっぷりある。
「もう少しお話しできませんか?」
 男としてではなく対話相手としてこの人は完璧だった。私の興味対象、それはヨガだったりヴィーガンだったり仕事のソフト開発だったり、全てに話しは深まった。
「あなたは無職とおっしゃったけど、前に何かお仕事されていたんじゃないですか? 
「ええ、大学を出て証券会社でしばらく働きましたが辞めてそれからずっと…」
「そのころはコンピューターも出回ってなかったでしょうから、すべて動かすのは相当お忙しかったのでしょうね」
「いえ、忙しさはいいのですがゴールが出来高というのがどうにも。で、毎日親が残してくれた裏の畑から食べるだけのを採って暮らしてます」
「それ以外の時間は?」
「本を読んでいます。駅前の古本屋さんが店をたたむとき全部引き取ったから、一生でも読みきれないほどあるんです」
「それはすごい。そんな生活ができるって、羨ましい人がたくさんいると思います」
50代半ばくらいだろうか、知の力だけで生きているからか、髪、肌、体、全て白く細いが、挙動が一瞬も揺らぐことなく石のようにしっかりしている。そして決して他者、つまり私を喜ばせようとするでもなく、傷つけるでもなく、淡々と接する。もちろん私の胸には一瞥すらしない。
「昨夜読んだ随筆に、どうしても理解できないくだりがあったんです。“あなたのものは私のものだけど、私のものはあなたのものではない“。何度考えてもわからない。女の人は皆そうなのですか?」
私にはその記述の言いたいことは十分にわかる。ただそれは原始の話であって、今は違うこともわかる。まだそんなことを随筆に書くことが信じがたい。
「私は男の人の庇護のもとになろうと思わないし、一度手にしたものを囲い守り続けようとも思わない。男女の関係って大元を辿れば繁殖のためでしょ。野生動物みたいに交尾の後にさっさと離れてもいいものを、くっつき続けているのが人類。繁栄のためにメスを守ろうというのなら、外敵の心配がない現代にその必要はないと思うわ。さっさと離れればいい」
どうしてこんなことを会ったばかりの人に熱く話してるんだろ?
「全くその通りだ。繁殖目的以外にもくっつこうとする生き物なんて人類くらいなんじゃないかな」
いつもの周りにいる男の人たちとは何か違う。本当にそうなのか試してみたくなった。
「私平日は締め上げてて週末はこうして大きな胸を楽にしてるんだけど、そういうのって変でしょうか?」
「あ、そうなんですか。その状態は大きいんですか? 私、標準がわからないので。それに大小に価値があったりするんですか?」
皆凝視するほどの胸なのにこの人は見ようともしていなかった。普通男の人は大きい方を好むと思っていた。
「いえ、子孫繁栄上は機能的に問題はないかと…」
「まあ、男女差なんて議論してたって答えは出ないんですよ。永遠に分かりあわないままなんです。ところで、うちの畑が白菜ですごいことになっているので、少しもらっていただけませんか?」
あっさりと話題が変わった。もしかしてこうして話していた間でも白菜のことで頭の中がいっぱいだったのかもしれない。不思議な人だ。10分ほど歩いて到着した畑は私の家と線路を挟んですぐなのに、こんな場所があるのは知らなかった。確かに10mプールくらいの畑が成熟した白菜で埋まっている。
「ちょっと種まきの時に間違っちゃって。間引くのも可哀想だから放っておいたら全部スクスクと育っちゃったんです」
私はチャッピーのリードを離さないようにしながら、白菜を両脇に二つずつ抱えて家に戻った。
 次の土曜日、私はいつも休日にはすることのない化粧をしてあのベンチへ向かっていた。何故だかわからなかった。あの人に綺麗に見られたい、そうではないことは自分でもわかる。本当の素肌を隠したい気持ちになったのかもしれない。私の人間として一番活気ある状態だけを見てもらいたいのだ。だから口紅もマスカラもしない。コンシーラーだけを薄く塗る。これは私の肌色に完璧に合わせてあり、テカリを減らし顔の凹凸を光の入射で際立たせてくれる最新技術を結集したものだ。平日はこれだけで過ごしている。地元の中学の同級生に通勤電車で会っても「変わらないね」と言われる。アラフォーの私が中学から変わってないわけないと思うが、でも嬉しい。そして、あの人は来た。
「白菜美味しくいただきました」
「あの品種は水分は少なめだけどずば抜けて糖度が高いんです。それを引き出すために土壌には…」
私の顔への感想など微塵も触れず、白菜の糖度を力説する。
「ところで昨夜はゆっくりお休みになれたのですね。血色がとてもいい」
まただ。突然だ。白菜から私の肌へ話題は一足飛びにやってきた。見てないと思っていたらちゃんと私を見ていた。
「いいお天気ですね」
あの人に喉を優しく撫でられチャッピーはうっとりしている。正直羨ましかった。






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