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自宅の前で大便を漏らすことが決定した話

朝、私は子どもを園に送るため家を出た。その時点で尿意を感じていたが急いでいたので往復の1時間くらいならと我慢した。

まさかそれが地獄の始まりになるとも知らずに。

無事、子どもを先生に引き渡した後、私は帰りのバスに乗り込んだ。
その頃には尿意だけでなく便意も感じていた。
とはいえ家までわずか10分ほど。大した問題だとは感じていなかった。

尿意と便意を感じたまま、末っ子とともに座席に座る。坂を上ったところで強い便意が押し寄せてきた。今乗っているのはルートが2種類あるうち遠回りする方のバスである。もう一つのルートであったらよかったのに…。そうぼんやり考えていた。わずかに不安がよぎる。耐えろ。耐えろ。

今度は坂を下る。その先の赤信号がやたらと長い。これは危ない。

ようやくバスが動き、私は安堵した。
便意も少しおさまってきた。私は空を見上げる。近所のお菓子屋の屋根にクリスマスリースが飾られている。きれいだ。

その先の道は工事中だが、交通整理の方に止められる事はなく、私たちの乗ったバスは笑顔で導かれた。週に2回も神社に通っている私がここで止められるはずはない。言うなれば勝利、それを確信した。

バス停。人が乗ってくる。誰も降りないので誰も乗ってこなければそのままスルーできたのに。でもそれは仕方ない。みんなそれぞれ用事があってバスに乗っているのだから。

便意がよみがえってきた。そして隣に座っていた末っ子が座席の下に潜り込み動き始めた。やめろ。やめてくれ。
「本当にやめて」
冷や汗をかきながら、そのように伝えた。

各バス停では停車するものの、信号に引っかかったりする事はなく、無事最寄りのバス停に着いた。もう信号を渡れば自宅である。
信号を渡る瞬間、歩行者用の信号は赤になっていた。しかし渡ってしまった。このような緊急事態では仕方がない。子どもも連れているのにいけないことだとは思うが、こればっかりは許してほしい。
便意は最高潮である。玄関の前に着いた。
大丈夫。間に合う。本当によかった。

バッグから家の鍵を出し、鍵を開け、末っ子が外に行かないよう鍵をかけ、トイレに入る。イメトレはバッチリだ。

バッグに手を突っ込む。鍵に手が当たらない。
手を動かす。財布がある、カードケースがある、鍵がない。

バッグの他のポケットを開ける。鍵がない。
服のすべてのポケットを触る。鍵がない。

以前、外出先で鍵を失くしたときのことを思い出した。その時は電車の中に落としてしまっていて、翌日警察署に取りに行ったっけ。

終わった。
家に入れない。私は今何歳だっただろうか、30歳は超えている。もう自分の年齢すら思い出せない。家の前で、私は30歳を過ぎて便を漏らすのだ。今ここで決定した。

こんなことがあって良いのだろうか。私は週に2回神社に通い、YouTubeで開運チャンネルを見て日々開運行動を行っている。
開運行動の効果は日々感じていた。以前より体調も良くなり、夫の仕事も順調そうで、子どもたちも元気に賢く育ってくれている。未来には希望がたくさんある。
いや、あったと言ったほうが正しいだろう。
今の私には絶望しかない。明るい未来は全て過去形になった。
開運なんて全てデタラメだったのだろうか?
自分の家の前にいるのに、今にも便を漏らしそうなのに、ドアに鍵がかかっている。鍵がない。ドアが開かない。近くにコンビニもない。

たった今、私は便を漏らすことが決定した。

悪あがきでどこにも鍵が入っていなかったバッグを外から叩いてみる。外側から硬いものの感触を感じる。
これは…?

普段使っている私のバッグは、海外激安通販で買った安物のボディバックである。
恥ずかしながら内側が破れており、表地と裏地の間に隙間がある。
そして、鍵はそこから見つかった。

助かった。神も仏もいた。私は間違いなく開運していた。

この話をここまで読んでくれた人は、もしかして今、お怒りだろうか。
私に無様に便を漏らして欲しかっただろうか。
あなたは無意識に、人の不幸を望んではいなかっただろうか。

もしそうだとしたら、どうか自分の心を見つめ直してほしい。
特にこれと言って信じている宗教がなければ近所の神社に行き、心を洗い流してほしい。
できれば週に2回ぐらい行って欲しい。

そして、人生においては一度決定したことも覆ることがあると言うことを学んで欲しい。
あきらめないで。真矢みきも言っていた言葉である。

ところで社会問題などに鋭い切り口で切り込もうと意気込んでいたはずの私はなぜ第3回にしてこんな文章を書いてしまったのだろうか。甚だ疑問である。

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