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黒姫
2021年4月11日 19:32
物事を理解するとは如何なることか。それは、對象(ob-jectum)を表現すること(re-presentation)、即ち、對象の再構築(re-constraction)ではなかろうか。 かく考へた場合、哲學は云ふ迄もなくλόγοςに於ける(或いはλόγοςによる)世界の表現(re-presentation)であるが、斯くなる表現が十全に實現され得るか否かは、甚だ疑問と云はざるを得ない(畢竟
2020年12月9日 02:41
意識性の研究が我々のAufgabeである。我々は「意識がある」或いは「意識を有つ」と謂われる。然るにかゝる事實を認める時、我々は自らが意識を有つことを意識してある。我々は意識を意識する。かゝる状態を、我々は意識性と呼ぶ。 意識性は、我々が常に既に其處へ齎されてあるところのものである。我々は意識性へと呼び出され、其處へ齎されてある。意識性は、其の我々への現前に於いて、我々に齎されたものであって
2020年12月1日 14:53
我が心宙に漂ふは虚一文字 巡りめぐりて同處に歸す 文字を刻みて生命は去り 茲に殘るは死灰のみ されど胸中窃に冀ふ 爾が心に蘇らん事を 我の生きるは之事實也 我茲より出立す 懐疑と拒絶に苛まれ 死に逝く我を追ひ求めるも好し 無窮の空轉に呑み込まれ 爾は竟に沈黙す 此処に爾は我に逢ふ 我等が符牒は無言なり
2020年12月8日 01:05
自體者の自己同一は、自己表現的自己同一であり、かゝる自己展開は、我々に於ける主體の運動として實現する。(一)主體は運動的である。其の運動は円環的である。主體とは、円環運動、自己回歸運動である。(ニ)自己回歸運動とは、自己の「自己から自己へ」の運動である。即ち、それが其處から來たるところへ向かい、それが其處へ向かうところから來たるところのものの、其の運動を自己回歸運動と云う。(三)自己回