晩節なんて汚せばいい。西岡、大松の選択に思うこと。

イチローが引退を発表した4日後の今日、2019年3月25日。元千葉ロッテマリーンズの大松尚逸選手がBCリーグの福井ミラクルエレファンツに入団することが発表された。昨年ヤクルトを戦力外になって以来、大松の動向をずっと気にしていた僕は、ツイッターでそのニュースを知り思わず「よかった!」と叫んでしまった。海外を目指すという話も聞いていたけれど、国内で行く先が決まったことは良かったと心から思う。監督も元ロッテの田中正彦さんだし、故郷石川県にも近く、心行くまで野球をするには良い環境だろう。

これで、ロッテOBであり昨年末に所属球団を戦力外になっていた西岡、大松の両選手がBCリーグに所属することになった。両選手には、新天地で悔いのないように頑張ってほしいと心から思う。

野球は「チームスポーツ」であり「個人競技」

西岡と大松から離れてしまうが、イチローの引退会見で思わず頷いてしまったコメントの一つに、野球の面白さについての話が合った。「野球はチームスポーツであり、チームが勝つことが目標ではあるけれども、自分が全く打てなくてもチームが勝てばいいかというとけしてそうではない」という話。野球というスポーツは、チームスポーツでありながら、個人競技でもある。もちろん、プロとして飯を食っているのでプロスポーツは大体そうなわけだけれども、野球は特に、プロのチームスポーツの中では1対1のシチュエーションが多い競技ではあるだけに、個人としても活躍しなければ、チームが勝てばそれでよしとはなかなか言えないのが野球だとイチローは言う。

この話は面白くて、SNSで感想を語り合えるようになった現在、この「チームスポーツ」の側面と「個人競技」の二面性というのは、案外ファンの間でもとらえ方が異なるということを感じる場面を時々みかける。同じチームのファン同士であっても、「チームを応援する」のか、「個人を応援する」のか、で価値観がぶつかることが有る。同じチームの選手を応援しているのだからそこはぶつからないように思えるけれど、案外そうではない。

例えば、不調の選手に対する思いというのは相反することがある。

チームを応援することを優先するファン曰く、「選手はアイドルではない。選手が良い時は褒め、悪い時は批判するのは当然だ。なんでも認めるのはファンとはと言えない。」

個人を優先するファン曰く、「活躍した時だけ応援し、不調になると離れていくのは本当に応援しているといえるのか。悪い時にこそ応援をして支えてあげるのがファンなのではないか。」

一例ではあるけれども、こういった食い違いというのは、ファンの間でも時々、いや、頻繁に起こっている気がする。この後を読んでもらったり、そもそも僕のnoteを読んでくれている方はわかるかもしれないけれど、僕は後者よりである。できるだけフラットに書きたいけれども、この投稿は特に後者に寄ってしまうので、ご容赦いただきたい。

さて、そんなファンにとっても「チームスポーツ」でもあり「個人競技」でもある野球において、「選手の辞め時」というのは結構ナイーブな問題だ。特に、かつて偉大な実績を残した選手が、少しずつ衰えを隠せなくなった時。そして、次世代が育ち始めた時。長く続ける選手のことを、「いつまでも現役を続けてくれる」選手ととらえるか、選手枠もある中で「いつまでも枠を奪い続ける」選手ととるか、は、人それぞれなのではないかと思う。

名声も記録も手に入れたその先

もう一つ、チームのファンか個人のファンか、という事とは別の軸として、「名選手には美しいままやめてほしい」タイプのファンと、「どこまでもくらいついてほしい」タイプのファンがいるということも最近感じている。これはもう、価値観の違いとしか言いようがないと思うのだけれど、この件も僕は、後者のタイプだ。

いや、正確に言うと、「選手自身の決断を応援したい」と思っている派だけれども、いつまでも続けようとしている選手に対してより胸が熱くなる。

ここでいう引退とは、NPB、MLB問わず、BCリーグ、社会人、海外リーグを含めて選手として完全に引退するタイミングの話をしている。なので、先ほど挙げた「チームのファン」「個人のファン」とは別軸の話と書いた。贔屓チームを離れた後、どこまでも粘る選手についてどう捉えるのかの話も含まれるからだ。

「選手自身の決断を応援したい」と書いたけれど、野球を退くタイミングについては、これはもう、他人が口を出す問題ではないと根本的に思っている。以前、某議員がサッカーチームのサポーターに「他人に自分の人生かぶせるな」と公言して炎上していた。あの一件は本当に言葉がひどかったし、流れ的にも全く同意できない発言だったのだけれど、言った言葉自体には一定の真理があると思う。これは、ファンと選手という関係だけではない。親子関係でも、友人関係でも、師弟関係でもそうだ。子供も、友人も、弟子も、部下も、その人の人生を生きているわけで、けして自分の人生ではない。相手の人生は相手の人生であり、自分の理想を相手に押し付けたところで何もかわらない。「贔屓のチームを去った後、どこまで野球を続けるのか」なんて本当にプライベートな問題であって、ファンが口をだす話ではないと思う。なので、好きな選手がどこまで現役を続けるかについては、何を選んでも、応援したいと思うだけだ。

ただ、やはり好みというものはある。好みとしては。どこまでも野球選手を続けようと粘ってくれる選手の方が、僕は好きだ。

再び、イチローの言葉で感銘を受けたことを上げたい。イチロー自身が、何かを成し遂げたと思うことについて語った言葉をそのまま引用する。

「今日の舞台に立てたということは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって。その後にチームと一緒に練習を続けてきたわけですけど、それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかったと思うんですよね。今まで残してきた記録はいずれ誰か抜いていくとは思うんですけど、去年の5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれない。ささやかな誇りを生んだ日々であったと思うんですよね。去年の話だから近いということもあるんですけど、どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います。」

僕はこの言葉に痺れてしまった。

昨年、NHKが放送したドキュメンタリー「平成史」の第一回が野茂英雄特集だったのだが、その中でも、野茂がMLBを通用しなくなった後、偉大な経歴を持った投手であるにもかかわらず、ベネズエラまで行って野球を続けてまでメジャーにこだわったことについて、アナウンサーから「あの野茂がこんなところにいる、という周りの視線が気になったことはないか」と問われ、「そんなことは気にしたこともない。ただメジャーでもう一度やりたかっただけだった」と答えていたことを思い出した。

イチローも野茂も、あれほどの成績を残し、あれだけメジャーで成功した。金銭的にも十分な金額を手に入れたであろうし(事実、野茂は社会人選手を応援するためのチームを私費で運用しているし)、地位も名誉も思う存分手に入れているはずだ。それでも、メジャーに拘り努力した期間を誇りに思い、それを納得がいくまで続けた。

僕がなぜそういった選手を好きかというと、そこまでして続ける背景として、「野球が好き」以外の理由が見当たらないからだ。手の届きそうな記録はあらかた達成している。年齢もベテランに差し掛かっている。一体何を求めてそこまで続けるのか。どう考えても、「好きだから」以外の理由が見当たらない。イチローも、「楽しかったわけではない」といいながら、「野球に対する愛」に胸を張っていた。自分が応援している選手には、自身がやっていることを好きでいてほしいではないか。嫌いなことを尻を叩いて頑張れ、頑張れ、と声をかけていたとは思いたくない。好きなことに取り組んでいた選手だからこそ応援したい。いつまでも現役にこだわる選手には、それを感じるから、胸が熱くなる。

晩節を汚せ

さて、話がとんでもなく遠回りしてしまったが、大松、西岡に話を戻す。イチローと野茂の話をしてしまったのでそれと比較するのは難しいかもしれないが、彼らも輝かしい成績をプロ野球で残してきた選手であることは間違いないと思う。

さらに、彼らは奇しくも二人とも、アキレス腱断絶という大けがを経験している。正直な話、年齢的な衰えを差し引いても、どれだけ頑張ったところで完全に全盛期の状態に戻るのは奇跡に近い話だと思う。そのことは、周りに言われなくともその体で生きている自分たちが一番よくわかっているだろう。

でも、でも。それでも、彼らは現役続行を目指した。イチローや野茂ほど金銭面に困っていないかどうか…と言われると、わからない。ただ、BCリーグに入ったからといって、それがどうこうなるわけでもないだろう。まして、大松や西岡である。引退を決めた時に全く野球関係の仕事がこない…ということは、おそらくないのではないか。実際、大松はマリーンズを戦力外になった時にもすでに、球団スタッフとしての打診があったと明かしている。

そこにあるのは、「野球が好き」「現役選手でいたい」という、純粋にその思いだけだと思うのだ。

合理的かどうか、という話では非合理的な選択なのかもしれない。「それが何の役に立つんだ、仮にNPBに戻れたからと言ってなんになるのか」という指摘をする方もいるかもしれない。ただ、きっとそういう事ではないのだろうと思う。今はまだ、彼らにとって現役を続ける事そのものが目的であり意味であり、それが全てなのだと思う。

現役として長く続けようとするかつての名選手に対してたまに聞く言葉として「晩節を汚すな」「美しい姿のまま引退して欲しかった」というフレーズを聞く。全力で否定したいところだけれども、正直その気持ちはわかる。スパッとカッコいい姿のまま引退する選手、これも、カッコいい。直近では井口監督の引退試合の感動は忘れられないし、あそこでスパッとやめた井口の姿は本当にカッコよかった。それはわかる。ただ、あの姿があそこまでカッコ良かったのは、井口に現役への未練を感じなかったからという事が大きい。

ただ、選手は、選手の人生を生きているのであって、「まだやりたい」と思っているのにファンにカッコいいと思われるために辞めてほしくない、というのが個人的な思いだ。自分の人生は自分だけのもの。どこまでも、いつまでも、自分が納得いくまでやってほしいと思う。他人からみて晩節を汚しているように見えようが関係ない。やりたいならやればいい。人のために生きているわけではない。選手自身の人生だ。どこまでもどこまでも、納得がいくまでやってほしい。

大松も、西岡も、心ゆくまで野球ができることを、やり切れることを、心から願っています。もちろん、NPBに舞い戻る日を、僕も夢見ています。

笑顔で引退を告げるその日まで、応援し続けます。



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