ヘレン・ケラーから考えるオナラのリスク管理 山中りんたそ

 「世界の歴史キュレーションプログラム cotenラジオ〜」
 
 今日も、樋口聖典さんの声でスタートするこのラジオ番組は、ドライブに欠くことのできない大切なお供である。今回のシリーズは”ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン編”。すでに1度聞いているシリーズだが、全シリーズの中でも3本の指に入るほど個人的には好きな内容である。

 その内容とは、幼少期のできごとから見えない・聞こえない・話せないの三重苦に陥ってしまったヘレンと、家庭教師として赴任したサリヴァン先生が二人三脚で成長していく物語である。その中でも、1つのハイライトシーンである、ヘレンが言語の概念(最初はwater)を習得するまでの経緯は、涙なしでは聞くことができない。

 そんな内容なので、ついつい自分自身がヘレンの立場だったら、と考えてしまう。

 まず、目が見えなかったら。アイマスクをした状態で生活を送ることを想像するが、これは大変だ。娯楽として楽しんでいる好きな読書ができなくなってしまう。プロ野球も見れない。そもそも1人で移動することがとても制限されてしまう。

 次に、耳が聞こえなかったら。これは、ノイキャンのイヤホンを着用したままの生活を想像する。この場合、移動の制限は少ないがコミュニケーションをとる上でのストレスが大きそうだ。あと、家ではずっと音楽を流していたい私にとって、音楽がない生活は想像ができない。

 ここで、生活で困りそうなことをさらに詳しく具体的に考えた結果、変な答えに辿り着いてしまった。ただ、その内容が聴覚障害を抱えて生活をしている人に対して、失礼ではないかと危惧している。誠に勝手ながら、決して差別的な意図がないことをご理解いただきたい。

 私は聴覚障害だったら「オナラどうするんだろう。」と思ったのである。ちょっとよくわからないと思うので補足説明させていただきたい。

 私は学生時代の頃、塾には通っていなかったので受験勉強は県立の図書館等の学習室などのよく利用していた。その際、イヤフォンをつけて音楽を聴きながら勉強をしていたのだが、人間なので放屁をしたくなることが当然ある。放屁を実行した場合、周りに気づかれるのは恥ずかしいので、確実に消音できているかの確証をもちたい私は毎回イヤフォンを外して、消音放屁作戦を実行していた。最初にわずかな量の屁を放ち、音がでないタイプであることを確認した上ですべて出し切る、石橋を叩いて渡るような性格なのである。

 ところが、音が聞こえなかったら自分の屁が音を出しているのか、上手に消音できているのかわからない!そもそも、屁をすると音がでて、たちまち誰が犯人かバレてしまうということを知ることが無いかもしれない。

 ヘレンもオナラをする時はドキドキしていたのだろうかと想像を巡らすのも楽しい。

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