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want to do ではなく want to be 山中りんたそ

 今年の夏から、山梨県から富士山に登る場合は2000円の通行料の支払いが義務化され、1日の登山上限人数も4000人に制限されるという。富士山の課題になっている、自然環境の保護や弾丸登山問題の解消に、一役を担うことになるだろう。

 山中は大学生時代に2回、富士山に山梨県側から登っている。今、考えれば弾丸登山と批難されてもおかしくないが、朝一のシャトルバスで五合目まで行き、体力のポテンシャルのみで昼過ぎころに登頂、そのまま下山するという日帰り登山だった。

2021/08/01の富士山登山

 そもそも、富士山に登ろうということになったのは、「山頂からの眺めが見たい」や「富士山に登ってみたい」という理由もあったが、それ以上に「”富士山を登ったことがある”という俺になりたい」という理由が強かった。

 伝わりますでしょうか。「富士山に登ってみたい」との微妙な違い。”want to do”ではなく”want to be”。私の場合は、純粋な興味本位ではなく、どこかになりたい自分像があって、それに近づけている感覚がある(周りからそう思われたい気持ちも一部あるが)。このなりたい自分像は、「〇〇な俺、おもしれ〜(かっけ〜)」という、比較的ナルシスト的な思考の結果、形作られたものである。

 同じような理由でフルマラソンも大学生の時に挑戦して、大会に出場した。

 同じような理由で旅行に行く場所を決めたりすることがある。

 同じような理由で普段、行動している。

 これは、自分の興味関心や思いに素直に行動するのとは、若干違う。その状態の自分であれば、より自分のことを好きでいられるのである。ナルシストなのかな、これ。

 ちなみに、ルパン三世は次のように述べております。
「俺がお前を守るのは そういう俺が好きだからさ。」

 こちらからは以上です。

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