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自分は何をしている時が楽しいのか、「生きている」と感じられるのか。落合陽一氏と東浩紀氏の対談を聴いて。

フルバージョンを聴くのに、何日もかかりました。

東さんと、落合さんは、解り合えてるみたいです。

東氏は、
技術の進化によって起きることが、人間にとって「それはいいことなのか」という問いや、「人間の問題解決になってないのでは?」という、人間の視点から語っていて、そして語りながらも、本人も言われているように、捉えきれていない未来について、迷いながら、考えながら真剣に話されているという印象でした。

落合氏は、もうこの先を「見切っている」という印象。
そして、その問題を解決する方法は、「人間には到底コントロールすることなどできない自然を、どう受け入れて生きるのか」を考えている。

日々、自分にとって大切な喜びを生み出しながら、体験しながら生きることを真剣に考え、実践している。
そこは、東氏も同じような・・・。


私は、デジタルネイチャーについての落合さんの解説noteなどを最近読むうちに、ようやく「デジタルネイチャーとはこういうことなのか」と腑に落ちた事を少し書き留めておきます。

以下のChatGPTとの会話は、私の疑問をOchyAINoteと会話したものです。

技術が進化した、デジタルネイチャーの世界は、デジタルなどの技術を「人間のために使おう」などという発想の世界ではなくて、今の地球環境に「デジタル技術の自然」が浸食し、相互作用が今以上に加速する未来の自然は、今の自然でさえも人間のコントロールは効かないのに、(そう、日本は元旦から大きな地震に見舞われている)一層人間のコントロールの及ばない自然になるのかもしれないということ。

この地球上でゆっくりと生命の営みに任せて進化してきた自然。
それらに対して人間の技術の影響が、相互作用して、急速に変化しながら生み出される「計算機自然」。その自然もやはり、人間がこのように進化したことで生まれる自然なのだからそのまま受け入れるしかない?

東さんの言う「人間にとっての問題は、今の技術の進化では解決していない」というは、その通りだなと。
でも遅かれ早かれ、人間というのは、遺伝子組み換えで一般的な進化からは生まれないものを生み出し、人間も、自分の身体拡張を技術によっていくらでも進化させたいという人から、そういうことを拒絶する人までいろいろと生まれてくるでしょう。
そういう「違い」を社会は受け入れて、「違い」を尊重しながら生きられる社会を創ることは出来るの?

複雑な未来社会をイメージしながら、今私は、それを受け入れつつ、今自分が何をしている時が幸せなのか、「生きている」と感じられるのかを考えるしかないと思うようになったのです。



何十年も痛みを抱え、その痛みは単なる痛みだけではなく「人間の身体はこういう物理現象のメカニズムで、それが崩れれば命が終わるのだな」というようなことを、絶えずイメージさせられるような毎日を生きています。
なので、せっかくの人生「自分がやりたいことをやらないともったいない」という感覚は強い方なのかもしれません。

今、技術の進化による未来を私なりに想像するとき、それは決して私たちに優しい自然ではないと思いました。だからこそ、「人間という生物としての喜びを日々感じながら生きることが大切なんだ」ということを、私は落合さんの日々の発信から感じています。

GDPという物差しで測ったとき、先進国の今の現状の中でいる人たちより、貧しいと言われる国の人たちが「喜び」を感じながら毎日を生きている場所はたくさんあります。そのことをもう一度考えてみることが、今の課題であって、人間が技術を使って自然を都合よくコントロールすることも出来なければ、それをしたところで、人間としての喜びは得られない。

ただ、自然をコントロール出来なくても、それを受け入れながら、新しい技術を上手く使い、人間らしく生きることは可能なはずです。

人間らしく生きるために、新しい技術の力を存分に活用する。


自分は、何をしている時が楽しいのか、「生きている」と感じられるのか。
何が大切で、好きなのか。

「ダーリン!!! 愛してるよ~~~」
(という、キャラもスキ💖💖💖😂😅😆)
いろんなキャラクターを発揮して生きましょう!!!


この動画でマイクロソフトのBingを使っている場面。参考になりますよ。
エクセルなどと連携したAI。使うと使わないでは大違い。

そして、

「自分なりのAIを育てる」のと「自分なりのキャリアを育てる」は、ほぼ同じ!

by落合

この言葉、凄いですよね。
これはどういう意味なのか・・・。


今年のAIは、どうなるの?
気になる方は、どうぞ。

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