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ミーはおフランスにかしずいて

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 Pixivで公開してきた小説以外の文章を、
 noteに移して行きます。

(文字数:約1400文字)


 どうもここ半月ほど、
 似たような話を聞かされる機会が多い。

 いや、
 一つ一つは全く異なる場所の全く違う話で、
 私が似たように感じて、
 ざっくりまとめて眺めているだけなのだが、

 まだ若かった二十代の頃に、
 良くテレビで見ていて面白かった人物や、
 旨いと気に入って通い詰めていた店や、
 優れた技術を持った職人さんに、
 いつかは彼の作品を手に入れたいと願っていた芸術家、

 そうした人達が次々と、
 跡継ぎを見付ける事が出来ず、
 引退したり店を畳んだりするという。

 誠に残念だがおそらくは、
 哀しんでいられる筋合いが無い。
 そうした技術に店の精神を引き継ぐべきは、
 本来私が属する世代であったはずだ。

 修行に耐え抜けない軟弱な世代であった、
 と言い切ってしまえたなら実に簡単だが、

 実質としては前の世代が、
 引き継がせる事にあまり積極的ではなかったのだろう。
 希望はあっても胸に留めておいたのだろう。

 真に継がせるべきものであれば、
 また継がせる意志が充分にあれば、
 これまでの間に跡継ぎは見付け切れている。
 要は絶えるべくして絶えるものだ。

 「私の師匠が今年亡くなってね」

 シャンソンではレッスンに入る前に、
 先生が軽く雑談をしてくれるのだが、
 その日の話は師匠との思い出も含めて実に長く、
 一時間半の予定が正味一時間に。

 それは全く構わない。
 そもそも私は自分が知らない世界の話を聞くのが好きだ。
 トークも含めて勉強だろうし、
 受け答えも含めてレッスンだろうと思っている。

 しかしながら話を伺っていてふと、

 「あ。私もしかすると、
  この先生の最後の生徒になる」

 と思った時に、
 顔は澄まして聞いていても、
 背中側を滝のような冷や汗が流れ落ちたわけだ。

 分からないが。
 明日にでもまた別の生徒さんが、
 やって来るかもしれないが。

 少なくとも世代としては最も若い内に入るだろう。
 思えばご詠歌もだ。
 太極拳は意外と若い方次々に来られている。

 やべえ軽い気持ちで入ったけども、
 そうおろそかにも出来ねえぞ。
 わりかし継がなきゃならねえぞ。

 だって正直同じ世代で、
 こんな所に興味持ってる奴、
 見渡してる限り少ないもの。

 しかし何にせよ、
 多かれ少なかれ誰しもが、
 何かは継がなきゃならないんだ。
 今の内に自分から選べているだけマシかもしれない。

 そして継ぐとなるとまだまだ、
 知らん事分からん事がたっぷりだ。

 本好きで文章を読むのは得意だけれども、
 それぞれの人が専門分野に関して、
 言葉にならないだけで辞書並みの、
 おそらくは広辞苑クラスの知識を持っている。

 まとめた文書があったところで、
 全て読み終えたところで太刀打ち出来ねえ。
 知ってると出来るは別物だからな。

 つまり言葉だけでは何の意味にもなりはしない。

 それなのに私はなぜ言葉の世界で遊んできたか、
 またいまだに遊び呆けているか、
 と訊かれたならそれは、

 外から否応無しに入って来たものを、
 入り過ぎたものだから、
 ただただ外に出したいだけである。
 出す方法が私の場合は主に言葉だっただけである。

 それ以外に大した理由など、
 無い。


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