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死神こそ平和を愛している

 平和に関しては一家言があり過ぎる。


 毎年8月6日から9日にかけては、
 とんでもなく気持ちが沈み込むのだ。

 平和教育を施している小学校に、
 いじめが存在しないとは言い切れない。
 名門校の運動系部活に所属しているからといって、
 精神が鍛えられているとは言い切れないのと同様。

 というよりむしろなぜそのように思い込む?


 九州は長崎県においては、
 高確率で夏休みの登校日にもなっており、
 記念式典などにも有志で参加させられる建前になっているが、
 現実にはそんなめんどくさいイベント、
 子供の中でも権力が弱くて逆らえない奴に押し付けられる。

 「ピースメッセンジャー」と称させられ、
 語り部たちの話を聞かされ書かされた感想文は、
 先生たちの添削を入れられてコンクールに出され表彰され、
 給食の時間に校内放送で読まされた挙句、
 生徒たちからは「飯が不味くなる話聞かせんな」と、
 イジられ笑われそれ以降を邪険に扱われる。

 メッセージするようなピースが果たしてどこに。


 小学生にして原爆はもちろんのこと、
 731部隊に南京大虐殺にアウシュビッツに、
 同和問題に環境問題も、
 後に朝日新聞内の記述には虚偽があったと報告された、
 従軍慰安婦問題も学ばせられ、
 どんなに過酷な話からも「目を逸らすな」と見せつけられた一方で、

 真面目に学ぶ者たちは、
 「先生に言われるがまま気持ち悪い話ばっか読んでる気色悪い連中」
 と子供社会で嘲笑われる。

 大人たちそれぞれの立場から見た思想の差にも巻き込まれる。
 歴史も理念も国家としては確立させないまま、
 個々人の認識に基づいて次世代は理解度を測られる。

 その結果がいつまで経っても「記憶の伝承」問題だ。
 そもそも何をどこまで伝えるか目標でも立てていたか?
 あと長崎と広島の原爆資料館にはアーカイブ残ってるから、
 残されてるものを多少は信用しろよ。
 僅かずつでも残してきた人たちに失礼だろうが。

 「はだしのゲン」くらいは個々人で読め。
 ほとんどその一作のみに教育を依存してきたこれまでを恥じろ。
 「火垂るの墓」を毎年見せていれば事足れりとしていないか。
 ついでに野坂昭如さんの「マッチ売りの少女」も読んでおけ。
 それすらも、
 「火垂るの墓」の原作を読むよりははるかに心を蝕まない。


 話は変わるが社会人になって以降の私は、
 プログラム能力は人並み以下だったものの、
 バグ検出にかけては我ながら天才的だったもので、
 同じチームの者たちは的確に指摘する私に頭が上がらず、
 敬意を持って「死神」と呼ばれていた。

 日本人は誰もご存知ないフランスの文献で読んだ逸話だが、
 死神の背後には豊穣の女神がついて来る。

 即効性は存在しないが堅牢性は保証する。

 それが私がプログラマー時代の売り文句であった。
 おそらくは私の小説の売り文句にもなるだろう。

 一読した程度では意味も分からず面白みも感じないかもしれないが、
 精神的にどん底まで落ち込んだ際に思い浮かぶ文句は、
 おそらくどこで読んだかも忘れてしまった私の文章になると思う。

 死に際に寄り添い真っ先に魂を連れさらう行為なんか、
 慈悲無くして出来ないに決まってるだろ?

何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!