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『レ・ミゼラブル』(原作)

 じゃあ語らせてもらおうか。
 言っとくが俺の場合は沼じゃねぇ。大海だからな。
 1件2件の記事じゃ利かねぇんだ。畏れおののくなよ。


大前提

 私が『レ・ミゼラブル』(原作)にドハマりした理由は、
 物語の底層に流れるキリスト教精神に胸打たれた、
 ……からじゃない!

 キリスト教精神など微塵も感じられなかったからだ!


あらすじ

 大体を思い描ける方のためにも、
 そうでない方のためにも、
 あらすじをざっくりまとめますと、

 パンただ一つを盗んだ罪で、
 19年投獄された男ジャン・ヴァルジャンが、
 荒れ果てた心を司教様に救われ
 その後なんと市長にまで上り詰めるものの、

 自身と間違われて逮捕された男を救うため、
 自ら法廷に名乗り出る。

 同時に不幸の末亡くなった市民から預かった、
 娘コゼットを大切に守り育てるため、
 警部ジャヴェールの執拗な追跡を逃れ

 パリの片隅で穏やかながらも隠れ潜む生活を続ける中、
 世間には革命の気運が高まっていた……。


解説1:司教様の存在感

 司教様に救われてるじゃん。
 めっちゃキリスト教のイメージだったけど。
 ……みたいに思われた方のためにこそ語ります。

 原作のミリエル司教様、
 キリスト教組織の中で、
 上手く立ち回れていません。

 司教にまで上り詰めていながら質素な暮らし振り故に、
 出世を望む若い神父なんかはまぁ寄り付いて来ません。
 しかも言う事がまぁぐうの音も出ないほど真っ当なので、
 はっきり言って、嫌われてます。

 彼自身はキリスト教そのものというより、
 散歩しながら見上げる星空に毎晩深く感動する、
 ただの人間だった、
 
って原作にしっかり書かれてある。

 ただの人間がただの人間として接してくれたからこそ、
 ジャン・ヴァルジャンは、とりあえず、救われたのだと、
 まず明記しておきたい。


解説2:あらすじもう一回よく読んで

 何か変じゃない?
 原作読んだからこそ前後に背景詳しく知ってるけど、
 映画やミュージカルでも大抵はしょられてるとこだけど。

 自身と間違われて逮捕された男、
 ……て逮捕されるだけの事何かやっとるやん!
 それも司教様に心を救われた後に!

 警部ジャヴェールの執拗な追跡を逃れ、
 
……てそりゃ追い掛けるよだって警察だから。
 仕事なんだから!

 いや。悪いとは言わない。
 ドハマりした一読者として、
 ジャン・ヴァルジャンの葛藤も多分に含んだ行動は、
 どこまでも、ただただ人間として理解できる。

 だからこそあえて問わせて頂きたい。
 ……どこにキリスト教精神が?


解説3:読書の醍醐味

 原作か映画かといった論争は私にとって笑止千万。
 両方良いに決まってるだろ。
 もちろん映像には映像の、
 文章には文章の良さがある。

 文章の良さはとりもなおさず、
 人の心中であれ名も無い端役のちょっとした行動であれ、
 細部までもを思う存分味わい尽くせるところだ。

 そして細部こそが心に残り、
 いつまでも折に触れ輝き続ける。
 原作を読み通した方であれば、
 「マブーフ老」の名を聞いた時点で涙せずにはいられまい。

 そして私が特にお気に入りの細部は、
 連行されて行く囚人達を偶然目の当たりにした、
 愛娘のコゼットが、

 「お父様、あの方々は人間?(多少の意訳あり)」

 
なんてほざきやがった後の、
 ジャン・ヴァルジャンのただひと言。

 「ああ。時には」

 「ああ。時には」……って!

 このひと言を絞り出した瞬間の、
 ジャン・ヴァルジャンの心境が、
 時代も性別も年齢もかけ離れ、
 その人生のしんどさなど理解しようもないはずであるのに、
 切々と伝わって来るじゃないか……!

 そうしたひと言が私も書きたい。

 しかしそのためには一人の人間の人生を書き上げ、
 しかも興味を抱いて読み通してもらわなくてはならない。

 私の小説は現代には有り得ないほど、
 長く読みづらくもなるという、
 執筆沼、いや、海にまで繋がっている。

#ハマった沼を語らせて

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