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菱川師宣『小倉百人一首』

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 ペンネーム岡埜由木古、
 今度は変体仮名とくずし字に挑戦だ♪

(文字数:約2700文字)



そもそも「変体」って響きがイヤだ

  しかし侮るなかれだ読めないぞ。
  墨と筆使って書かれた、
  現在のかな文字とも形状が異なる和歌なんか。

  まず当時は濁点が存在しないし、

  「か」は「可」、
  「た」は「多」、
  を使う場合が多いし、

  「す」が「春」、
  「つ」が「徒」、
  ってもはや現代感覚ではすんなり読めん。

  「ミ」や「ハ」の音は、
  現代感覚で言うカタカナを日常的に使ってるし
  (江戸時代にカタカナ・ひらがなの区別は無い)、

  「に」を表す「耳」や、
  漢字の「行」は、
  文字と言うにはやたら装飾性が高い。

  「し」の「志」や、
  「こ」の「古」は、
  どうやら語頭にだけ使うらしいし、

  「む」は歌の内容によって、
  「無」だったり「舞」だったりしてる。

  まったくのお手上げ状態だったので、
  「百人一首一覧」と、
  「変体仮名一覧」を、
  ネットで調べながら一句ずつ読み解いて行った。


あと「くずし字」も失礼だなって思った

  活字が存在しない世界では、
  筆で流れるように書き進め切れる事こそ、
  至上の技術であり美意識だったからさ。

  「の」なんか「能」「乃」「の」と、
  日頃から三種類も使い分けている。
  助詞として様々な文字と繋がるからだなきっと。

  背景地の人物像にも掛からないようにするため、
  人物の頭上に来る上の句ラスト五文字は、

  冒頭と同じ五文字とは思えないほど、
  上手い具合に書き縮められていたり、

  「世中は
     常にも
    がもななき
      さこぐ」(93 鎌倉右大臣)って、
  区切り位置が現代感覚ではおかしかったりする。  

  「活字」と言う概念すら存在しないからだよなぁ。
  ある意味自由奔放で楽しそうだなぁ。


ってか定家さんの山荘かと思ってたよ

  そんなわけでひと通り読み終えたくらいでは、
  しばらく別の本(柳田國男)読んで、
  またこの本に戻ってきた時には、

  63 藤原道雅あたりで、
  すんなりとは読めなくなっていたんだよ。

  何のかの言って百人一首の50番くらいまでは、
  色んな文献にも取り上げられる有名な和歌が多いから、
  知識で読める気になっていた要素が大きい。

  申し訳なく思ったので、
  もうちょっとしっかりそもそもの成立動機と、
  撰者である藤原定家さんについて調べてみた。

  (ところで「ふじわらのさだいえ」と呼んで、
   点訳ボランティア仲間から、
   「ていか、でしょ!」と、
   失笑を買ってしまった事があるんだが、

   当時は「さだいえ」とも呼んでいただろうし、
   そこ厳密に気にしなくてもいいと思うの)

  「定家さんが小倉山にあった、
   山荘の襖紙に選んだ和歌百首」って事は、
  ぼんやりとだけど知ってたし、

  小倉山の観光番組なんかでも、
  「定家の山荘がどこだったかは謎なんですよ」
  とか言われてるの小耳に挟んだりしてたから、

  勝手に定家さんの山荘かと思ってたけど、
  (多分スポンサーの)宇都宮さんの山荘だった。


それと個人的な趣味だと思ってたよ

  あと宇都宮さんは、
  「息子の結婚祝いに襖装飾したいから、
   好きな和歌百種選んで」って頼み方してた。

  多分、多分ね。
  これは小説家の妄想半分なんだけどさ。

  当時の今上天皇から任命されて、
  勅撰和歌集の編纂に携わりまくってた、
  藤原定家さんにも、
  本当のところ個人的に大好きな和歌、あるよな。

  天皇と敵対関係にあったから選べなかったけど、
  本当言うと個人的には好きな人とか、いたよな。

  とか宇都宮さん察してたよね。

  だからこそ世には公表されないような、
  身内向けの室内装飾だよね。

  だって当時隠岐や佐渡に流されてた、
  後鳥羽天皇や順徳天皇の和歌だけならまだしも、

  どこの勅撰集も載せてない、
  源実朝さんの和歌なんか選んでいる。

  鎌倉幕府の三代目将軍だけど、
  選んだ当時は確か既に暗殺されてたけど、
  和歌においては定家さんの弟子だったんだって。

  そのエピソードちょっと泣ける。


萌えポイントはマニアの連鎖

  そもそもなんで今更百人一首を読もうとしたかって、
  菱川師宣画、であるところが大きい。

  写楽とか北斎とか歌川一門とかほど、
  「知ってる。大好き!」って人には、
  現在なかなか出会わないけども、

  江戸時代出版された書籍の挿絵っつったら、
  結構な割合でこの人でね。

  しかも1680年出版された当時の序文を読む限り
  (最終的にほぼ読み下せるようになったぞ)、

 そうはいっても時代が移るにつれて、人物の官位とか身分を表す装飾の描き方も乱れて、歌の文字にも間違いが多くなった。こんなん自分が思う様改め切れなきゃイヤだ(泣)。描き直して後の世に伝えるんだ絶対!

序文を師宣のパッションを受け取っての意訳。


  実際のとこ定家さんが生きていた時代には、
  崇徳院も後鳥羽院もまだ、
  亡くなっていないか諡号が贈られていないから、
  今とは異なる呼ばれ方をされていたはずで、

  山荘の襖絵だったものを誰が広めたか、
  についてはまだ謎が残ってるみたいだけど、
  今現在の形に整えたのは、
  菱川師宣版と言っても過言ではなさそう。


余談:偏光ベスト3

  藤原定家さんが膨大な和歌の中から選んだ百首の中で、
  ワタクシ偏光はどれが好きかって、
  誰が興味あんねん(@ヤナギブソン)な話ですけど。

  第3位:12 僧正遍照
    天津風 雲の通い路 吹き閉じよ
         乙女の姿しばし留めん

  第2位:86 西行法師
    嘆けとて 月やは物を 思はする
          かこち顔なる 我が涙かな

  第1位:10 蝉丸
    これやこの 行くも帰るも 別れては
           知るも知らぬも 逢坂の関

  ……見事に坊主ばっかりだな自分。

  達観が好きってわけじゃないね。
  遍照さんなんかしばしだけど煩悩のさらけ出しだし。
  ただ「乙女の姿しばし留めん」って心境は、
  分かるし語句の流れとして素敵よね。

  西行さんは、
  「嘆きなさい、と、
   月の光が私を物思いに誘うのだろうか。
   (いやそうではあるまい)」って、
  どっちなんだよってヤキモキさせる、
  そこはかとない反語法が萌える。

  だけども盲目で琵琶の名手だった蝉丸さんの、
  結局人の世なんか何だってアリな感じが、
  私個人の価値観ともマッチして大好き。

以上です。

ここまでを読んで下さり有難うございます。

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