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音楽の源流

 昨日の記事を読まれていない方はまずどうぞ↓

 昨日から引き続きお越し下さった方は、
 聞くも涙、語るも涙だ。心してかかれ。


娯楽は存在すらも知らん

  私の故郷、と言っても両親の故郷であり、
  私自身は住んだ事の無いその集落は、
  半島の縦位置としても横位置としても、
  中間辺りの山あいだ。

  海の物が滅多に届かない上、
  火山ガスで荒れた土地には実りが少ない。

  「島原の乱」により処刑され尽くした、
  農民を補うために関西から、
  税金を免除されたので移住したと聞かされているが、
  それにしても酷い土地を割り当てられたものだ。

  (つまり生粋の九州人では無く、
  300年以前江戸時代における関西人の、
  イントネーションや精神性が混在しているかもしれない)

  300年に渡り同じ姓の人間しか住んでいない。
  令和の今現在に至るまで、
  自動販売機も信号機も駐在所なども存在しない。
  半島のぐるりを囲む港町に、
  フェリーで行けるすぐそばの島、
  いや。五島列島は福江島の方が栄えている。

  本屋も無ければ映画館もレコード店も無い。
  寄合所がある切りで祭りもイベントも無い。
  書籍に音楽に、芸能人というものは、
  偶然その時間に点いている、
  テレビかラジオで観るだけの存在だ。

  個人の好みを追求する感覚など無い。
  繰り返すが、無い!

  そうした中でさて唯一に近い娯楽とは何であったか。
  現代人の感覚で恐れおののくが良い。

方言が織り成すリズム

  酒の席で男達が語り合う中、
  ひょっと語句が重なり合って生まれ出る妙味。
  ほぼ、これだけだ!

  卵売りをやっていた初代先祖が、
  馬小屋の火事から馬達を救い出した際、
  自身は大火傷を負い生死の境を彷徨ったものの、
  やがて歩き回れるまでに復活した。

  その快気祝いにて偶然語られたひと節を記録しておこう。
  ちなみに火傷を負った事でそれ以降、
  先祖は「ヤケしゃん」の愛称で呼ばれる事になる。

  また、「馬小屋」や「火事」の件には直接触れず、
  「鬼に喰われた」と表現されている事にも注意されたい。

  「なん、ヤケしゃんは喰われんと帰って来たたい」
  「まずぅて喰われはせんじゃった」
  「鬼さんにゃ、まずかくらいがちょうど良か」
  「鬼さんの口に合う者が、ヒトに混じって生きらりょかい」
  「ああもっともじゃ。もっともじゃ」

寄合所での村の男どものひと節

  どうやら同じ語句が2回繰り返されると、
  皆「だははは」と笑い合って、
  座は一旦締めくくられていたようである。

  おそらくこうしたリズムから徐々に、
  御囃子が生まれ民謡が形作られていくのだろう。


座興の裏事情

  ちなみに卵売りをやっていた初代先祖は、
  この時生まれて初めて寄合に、
  参加させてもらえたのだ。

  おそらく生まれが悪かったのだろう。
  「頭が悪い」と蔑まれ、
  村の一番端にある小屋に、
  土地も与えられず放り置かれていたため、
  行商を始めざるを得なかった彼は、

  顔を焼いてまで馬達を救ってようやく、
  集落の一員に加えてもらえたのだ。

  嬉しさのあまり生涯に渡って、
  妻子にその時のひと節を語り続け、
  祖母に父を経て今私にまで伝わっている。


  ……心ある者は泣けぇっ!


  
二代目は連れ子だったので、
  血も繋がっていない先祖だというのによくもまぁ、
  末裔である私の胸を、
  ここまで張り裂かせてくれるものだ。

  二代目が鬼の手先となったのも、
  擁護など出来ないが頷ける。
  せめて酒に酔った陽気なリズムなりと伝わらなくては、
  とても聞けた話ではない悲惨だ。

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