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【小説】『エニシと友達』6/12

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(12回中6回目:約3000文字)


 エニシが5歳は過ぎた年の、家族皆が集まって過ごすようなお祝いの日に、アルファを代表としてひと箱のクレヨンをもらった。
 それはアルファの計らいで、去年までは家に揃っていたフォックストロットが、今年以降は来ない事に決めたので、
 つまり今後は家族として付き合えないという意志を、明確に示したわけだが、エニシはフォックストロットになついていたので、寂しさにはそれほど気付かせないよう皆でいつもと違った贈り物をしたのだ。
 更にもう一つの思惑があって、ひと月ほど好きなように絵を描かせ、色を塗らせて遊ばせたあたりで、アルファは、
「『お友達』はエニシ、絵に描けるか?」
 と訊いてみた。
「うん。描けるよ」
 エニシが見やった先でペトラは、眉間にシワを寄せたものの黙っている。
「描けるの? 見えないのに?」
「見えるとか見えないとかじゃなくて、いるんだよ」
 はいはい、とソファーに座ったまま、笑っているミルカを見詰めている。
 壁際に出した小さな机に、画用紙を広げてエニシはまず自分を描いた。自分の名前も書き添えて、顔は笑顔にする。エニシにしてみれば、ペトラが気付かれてみんなから、もしかしたら謝ってももらえるかもしれない事が、嬉しかったので。
 傍らに屈み込んでアルファは描かれる絵を覗いている。机の向かい側でペトラはミルカを見詰めたままの横顔だが、大人が描くデッサンでもないので構わない。
「ずいぶん、エニシと比べて大きいんだな」
「うん!」
「友達と、言っているからエニシくらいの、子供かと」
「大人の、女の人だよ」
 それを聞いてソファー辺りでは、デルタにエコーが顔を上げる。チャーリーの隣でミルカも、笑みを消したようだった。
「色は、使わないのか?」
「ほとんど真っ黒なんだ。ちるちるした長い髪も黒いし、着ている服も」
 話している途中でエニシは、少し笑う。
「服、って言うのかなコレ。カラダにピッタリ張り付いて、きっと、本当は、誰にも何にも見せたくないんだよ。初めて見た時はすっぱだかだったんだけどね」
「裸?」
「うん。ボクに見つかって恥ずかしいから多分、服着るようになった」
 ミルカがソファーを立ち上がった。「おい」と呼び掛ける、チャーリーの声も聞こえない感じに、エニシとアルファがいる壁際まで進んで行く。クレヨンの並びからエニシは、一本だけ明るい色を取った。
「目の色が、ちょっと変わってる。だけどキレイだよ」
「見せて」
 アルファは立ち上がって止めようとしたが、
「見ない方が」 
「いいから!」
 アルファの横をすり抜けてミルカが、机から、エニシがまだ描いている途中の画用紙を奪い取った。
「お母さん?」
 そして見るなり叫び声を上げた。と言っても意味の通らない声ではなく、
「ペトラ! ああペトラぁ!」
 とはっきり名前を叫び、エニシの目の前に泣き崩れた。
『ペトラなの? エニシ、あなたのお友達って! あなたの、あなたが言ってたお友達は、自分からペトラって、そう名乗ったの?』
 興奮のあまり生まれ故郷の言葉になっているが、ペトラで慣れていてエニシには伝わる。
「うん。『お母さんと、同じとこから来た』って」
「ペトラって。おい。誰が教えたんだエニシに!」
 ソファーからチャーリーの怒鳴り声が聞こえたが、
「誰も教えやしないわよ!」
 ミルカの泣き声が上回った。
「いたのよ。あの子もあの場所に! あなた達があの子も!」
 エニシの腕をアルファが引き、ミルカから遠ざけて近寄って来ていたエコーに渡す。
『信じられない。あの子は……、まだ誰にも自分の髪を、ほどいて見せていなかった……。好きな人がいて、その人のために……、そんな事は……、まだ何にも知らなかったのに!』
 エコーと、デルタに挟まれて、ソファーの横を通り抜けながらエニシが振り向いて見た壁には、ミルカを見下ろしたままのペトラがいて、少し微笑んでいる。
『ああ私……、助かりたいなんて思うんじゃなかった!』
 チャーリーが、壁際に向かうとペトラは、身を引いた。
『ちょっとでも、楽になりたいとか、幸せみたいに感じたいとか、思うんじゃなかった! あの子が死んじゃうんだったら! 置き去りにされてあのまま、許せない助けてももらえないなんて! 暴れ回って大声で、騒ぎ続けて、私もあなた達から殺されてしまえば良かったのに!』
「ミルカ。おい落ち着け」
 ミルカの背に乗せられた、チャーリーの手は、
「触らないで!」
 大きな害虫にでも這われたみたいに叩き払われた。
「あなたっていっつもそう! いっつもそればっかり! 今そんな気分じゃない事くらい分かってよ!」
「おい」
 アルファがちょっとだけ部屋の扉側に近寄って来る。
「頼む。エニシは連れて出ないでくれ」
「しかし話を聞かせるのも……」
「仕方ないだろ。俺達には、何の信用も無い」
 溜め息と同時に肩をすくめてまた、壁際に戻って行く。すると入れ替わりみたいにアルファの陰からは、ペトラが近付いて来た。
「ミルカ。ほら。エニシがそこにいるだろ。俺達もエニシの目の前ではさすがに」
「ミルカ。その、何だ。どの口が、どの立場からほざくって俺も、口にする気なんかなくなるんだが」
 エニシの視線が動くものだから、エコーにデルタも「何かがいる」事には気付いたようだ。
「愛してる。俺だけじゃない。この家に残った奴は全員、お前とどうにも離れたくないんだ」
 ミルカを見詰めてペトラは、口を閉ざしたままだけれど、気持ちの固まりなのでエニシには伝わるので、
「ペトラは『フォンダに殺された』って」
 そう口にした途端ミルカの、泣き声が止まった。
「『フォンダが来るから、気をつけて』って。『フォンダは、絶対に来るから』って」
 顔を上げてミルカが、涙の残る目でエニシを見詰めてくる。エニシ本人よりもおそらく、今見たい人の代わりに。
「『助けてもらえた』って。『そこそこ厚かましく暮らせてたし、ミルカくらいには上手く、やれてたよ』って。『フォンダさえ来なけりゃ、それなりに』って」
「そう」
 うつむいて、床を向いたままゆっくりと、差し出されていたアルファの手を取りながら、立ち上がって、
「ありがとうエニシ。あと、ごめんなさい。お部屋に戻っていてくれる?」
 チャーリーに身を寄せ掛けながら、笑みは浮かべないままで呟いていた。
「もう落ち着いたから。お父さん達と、お話をしなきゃ」

「何だよ今度はその、『フォンダ』って」
 エニシの部屋の、扉を閉めるなりエコーがぼやいてきた。
「お母さんの、おうちの名前、だって」
 なんだ、とエコーは溜め息をついたが、いや、とデルタが首を傾げる。
「家の名前は俺達は……、もっと違った感じに聞いていたが……」
「うん。だから……、ボクも口に出すのは何だか変な感じがするんだけど……」
 ペトラは今ここに来ていないけれど、モヤモヤにドロドロはいつだって、この家に全くいないわけじゃない。
「『ミルカの夫』だって」
 夫はいない、と男どもが聞かされていたのは単に、「不在」を表す言葉であって、ミルカの集落には婚姻関係を結んだ事を示す、法的または制度的な言葉を使う習慣が無かった。
 既婚か未婚であるかは髪型に、服の色柄形を見れば知れる。
 不在、と言うのもフォンダは、ミルカの夫は、結婚したばかりの頃に始まった戦争の、戦場へと赴いたのだ。
 国境にほど近いものの激戦地とはされていなかった集落の、家に秩序は堅く守られてくれるものと信頼して。

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