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「人は一人では生きられない」的な言葉は分からなくもないけど助けてくれ

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 サラッと精神的にダークな話に、
 突き落としますけれども、
 付いて来られる方はお付き合い下さい。

(文字数:約2000文字)


 昨日の記事↓で私は、

 「この世に生存している実感すらも無い
  (以下、実在感と略)」と、

 「生きている実感が無い
  (以下、生存感と略)」は、
 似て非なるものだといった表現をしたが、

 両方それぞれに深刻だと思うので、
 更に掘り下げて考えてみた。


生きている実感が無い(生存感)の場合

  これを語れるのも、
  配偶者が割とこのタイプで、
  隣で見聞きして来たからなんだが、

  この感覚に発言はあくまでも、
  「生きている実感をかつて、
   味わった事がある
   (何なら実感に満ちまくっていた)」
  方のものなんだ。

  そして生存感を失っている理由としては、
  (あくまで配偶者一人の実例に、
   頼っているので要注意だが)
  超ざっくりまとめて主に以下の二つ。

  1、とにかく忙し過ぎて疲れている
    
→ 休め!

  2、生存感に満ちていた当時の、
    体力やら環境やら人間関係やらを、
    ほぼ完全に失ってしまった。
    
→ すなわち深い喪失感。

  この場合に限っては、
  主に仏教で語られるような、
  「全ては空である」とか、
  「無常である」とか、

  タイトルにある、
  「人は一人では生きられない」
  といった話も、
  上手く組み合わせたなら有効に、
  働いてくれると思うのだが。

生存している実感が無い(実在感)の場合

  自分独自の感覚に存在に思考は、
  完膚無きまでに否定されまくってきたので、

  極端な話、
  自分が今息をしている事すら恐ろしい。

  吐く息も他人様より汚れている、
  くらいの事は容易に思い込まされている。  

  1、とにかく忙し過ぎて疲れている
   
しかし「休め」と言ってやったところで、
   「休んだ」感覚はもちろん、
   「疲れている」感覚すらも無い。

   何なら「休め」という「命令」と心得、
   一生懸命に気合を入れて休もうとする。

   周りの人に「しっかり休んだな」と、
   「もう十分に働けるな」と、
   思わせるような休み方しか知らない。

  2、そもそも特殊な環境下で育ってきた
   たとえ心の底では愛していようとも、
   少なくとも言葉に関してはひたすらに、
   否定的な絶望的なものばかりを浴びている。

   言葉を適切に扱えるわけがないし、
   一般的な語句もまるっきり、
   違ったものとして受け止める。

   「全ては空である」とか、
   「無常である」とか、
   「人は一人では生きられない」とか、
   物心付いた時からの大前提だ。

   今自分の身体を動かしているのも、
   自分だという感覚が無いのだから。

   自分一人ではまともに動く事も出来ない
   (実際には動けていても、
    育った環境において、
    そう評価されている)ので、

   誰か(主に育った環境の人々)から、
   動かしてもらえてどうにか、
   まともに見えていると錯覚しているので、

   ますます周りの言う通りに、
   動けなければ許されないと励むだけだ。

   そして周りの言う通りに、
   いよいよ従えないとなったら、

   おそらく一般感覚よりも容易に、
   死を選べてしまう。

   そもそも実在感が無いのだから、
   周りから嘆かれる状態Aから、
   周りが忘れてくれる状態Bに、
   運が良ければ移行できるかな?
   くらいの感覚でしかない。

   苦痛で生存本能が働き、
   我に返ってくれる事も多いが、
   それを繰り返すとせっかくの、
   生存本能すら憎むようになる。


 今回私は何が言いたいか。

 「人は一人では生きられない」という文言は、
 分からない事もないし、
 有益な人も実際にいると思うのだが、

 万人にとっての正解ではないから、
 口に出しそうな時や、
 文字として書き記しそうな時、

 今よりもちょっとだけでいい。
 それを伝えて大丈夫な相手かどうか、
 気を付けてもらいたい。

2024年2月8日追記:
 昨夜配偶者と話していて思ったのだが、
 「実在感が無い」に特化した私は、
 わりかし極端な症例であって、

 もしかして配偶者も含めて、
 割と多くの人が、
 そりゃ生存感を感じた事も失った事もあるけど、
 無意識のうちに「実在感が無い」部分を、
 抱えてやしないかって。

 すると「ちょっと気をつけて」程度じゃ
 足りない気もしたんだが、

 これまで一切気にされても来なかったどころか、
 時に万人に対する特効薬であるかのように、
 語られてもきた語句である事を思えば、
 ちょっとだけでも前進かな。

 

以上。
ここまでを読んで下さり有難うございます。  

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