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『張山光希は頭が悪い』第2話:鬼の棲み家

 第1話(末尾に全28話分のリンクあり)
(文字数:約5300文字)


第2話 鬼の棲み家

 異世界もののマンガとかアニメとか見たって、ちっとも面白く感じないのは、僕の実家がそのままふもとで暮らす人達にとっての、異世界にしか思えないからだ。
 山の頂上近くの無人駅を出て、草に埋もれるみたいな舗装路を、ちょっと上った所に建つ家が、僕が元々生まれた小石川こいしかわ家。この集落では人が住んでいる家の上限。と言っても山の頂上には「仏教の聖地」と呼ばれている町があって、そっちの方がまだ栄えている。
 コケがこびり付いて取れない外塀に、絡み付いた緑色のツルには赤とオレンジのちょうど中間みたいな色合いの、大ぶりの花が咲き誇っていて、いつ見ても咲いてるみたいに感じるのは、僕が一年の中でも夏休みと、あと二、三の行事くらいしか、この家には帰らないから。
「ただいま!」
 って玄関戸を横に引き開けたら見える、薄暗がりに向かってまっすぐ伸びた廊下から、
「わざと、声を立てる必要は無い」
 足音も聞こえないくらいに忍ばせて、遠近感がおかしくなりそうなくらい、背が高くて肩幅も、筋肉質で太い男が歩み寄って来る。
「お前が帰った事は駅に着いた時から、伝わっている」
 僕のお父さん、なんだけど、僕とはちっとも似ていない。あとこの図体で、耳を澄ませていなきゃ拾えないくらいの小声。
「おかえり」
 顔は微笑んでいて一応、嬉しそうだ。だけど、黒い髪を天井スレスレの高さでマゲに結っているし、着ている物は思いっきりの羽織に袴で、いっそ刀を挿してサムライに見えた方がしっくりくる。向けられた背中を見ながら進んで行く家の中は、昼間でも薄暗くて、ふもとは夏だってのにいつもひんやりしている。
 必要最低限の電気しか、使おうとしない。ご飯はいまだにかまどで炊いておひつに入れて出されるし、お風呂は薪で焚いている。と言ってもこの家には地域の人が、いつも二、三人はお手伝いに働いていて、僕たち家族は家事だけに、時間を取られる必要が無い。どうしてかって言ったら、

 僕のお母さんはこの土地の生き神様として祀られているから。

 ……なんて話を、他所ではしゃべらないように注意されているんだけど、しゃべったって信じてもらえない。僕の方がどこかおかしいみたいに思われる。
 僕には人間に見えているし、家を出て人里に降りる事も出来る。だけど、この集落にいる間、この家の一番奥の座敷で顔を合わせる間は特に、言葉を使う必要が無い。
 ほんの少し微笑んで見せるだけで、僕の帰りを喜んでいる、事が言葉じゃなく空中を、感覚的には波みたいに伝わってくる。
 そしてものすごく美しい。息子の僕が言うのも、変に聞こえるけど。
 年に一度、十月の末に行われる神事で、ふもとからは鬼神楽おにかぐらって呼ばれているんだけど、お母さんは毎年ふもとの寺まで駆け下る、「鬼」役を務める。
 一度でも「鬼」を務めた者は、肉体的にも精神的にも、その人物に本来備わった最良の状態が引き出されて、「鬼」を辞める時までは保たれ続ける。だから、辞めた途端に老け込むんだけど、そこはお母さんも了承済み。
 だけど「鬼」を務め切れるのは女性だけで、つまり僕は男に生まれた時点で、この家には要らない人間なんだなって、
 思った途端にお母さんの眉間にはほんのちょっとだけどシワが寄って、正座で向かい合っていた僕の視界の端に、姉のゆかりが立って来た。
 僕も姉も基本の作りはお母さん似、なんだけど、姉は女性だから尚更だ。強いて言うならお母さんの髪は年々白くなっていくけど、姉は艶めくほどに真っ黒な髪を、首元辺りで一つ結びにしている。
 僕より三歳年上で、つまり「鬼」を継ぐ身だから、小学校は僕と同じでふもとに通ったけど、送り迎えを付けて実家で、育てられてきた。
「え。今帰って来て、もう?」
 静か過ぎる家の中に、ふもとに馴染んだ僕の声だけが浮き立って聞こえる。姉はただ、頷くだけで僕を立たせて、家に併設された道場に僕を向かわせ切れる。
 奥の座敷を出る時に母がそっと笑みを深めた。がんばってね、って波が伝わってくる。道場に向かう背中を一度だけ、強めに押されて、
「あの部屋ではアンタのグチだって届いちゃうのよ」
 って伝わってきた。

 正直に言って、息が詰まる。ふもとでは夏休み、なんだけど、ちっとも休んでいる気分になんかなれない。
 ふもととは違ってずっと着物に袴で過ごさせられるし、鬼神楽に向けて装束を整えたり繕ったり、家や道場の掃除もさせられる。無駄な物音は立てないように気を使いながらだ。その分急かされる事はないけど、怠けてサボろうとしたって伝わってしまう。
 テレビにラジオなんて無いし、音楽を聴こうとする人も集落の全体にいない。食事も一緒に取るけどそれぞれに、お膳を作って席は離して、家族同士でも会話らしい会話も無い。
 だけど何だか伝わってくるし、伝わってしまう。慎重に冷静に小声になって、呼吸の一つ一つを整えて行く。夏休みが終わる一週間以上前にはふもとに戻らないと、今度はそっちに慣れるのが大変だ。

 集落全体の産業としては、花を育てていて、頂上の町はもちろんだけど、ふもとや山を降りた先の都会にまで出荷する。今日は早朝の集荷から手伝わされて、僕を送り届けるためだなって分かった。ついでにお父さんも都会に出て、ひと息つくのがいつもの流れだから。
 四輪車がすれ違えないギリギリの車道を、だけど、僕の家が出荷に出る日時は伝えているから集落の人も車を出さないから、スムーズに降り下れる。無人駅の次の駅を過ぎたところで運転席からはため息が聞こえて、やがて車がすれ違える道幅になった辺りで、小さいけど笑い声も聞こえた。
「お父さんは、他所の人だったんだよね元々。良く住み着こうって思えたね」
「出来る、という事は、自分にしか出来ない、という事だと、悟って腹をくくったんだ」
 久しぶりにふもとっぽい大きさで言葉が聞こえて、言葉にされないとはっきりとは伝わらない事だってあるよなって思う。
「苦しさや不満が無いわけじゃない。しかし良い思いも相当に、させてもらえたしある程度は幸せだ。全方位での満足は、求めたところで不可能だろう」
 山道はちょっとずつ広くなって左右に見える木立は幅が広がって行って、舗装のコンクリートもしっかりしてくる。
「どうして光希をムリヤリ、入学させたの」
「ムリヤリ?」
 前を見たままお父さんは本当に分からない感じでいる。
「ついていけないよ光希。高校での勉強になんか」
「もちろん同時に筆記試験も課しているんだが」
 ちょうど信号で車が止まった。
「張山光希の成績は受験者の中でもかなりの上位だったぞ」
 意外が過ぎたのと久しぶりの言葉だったし突き刺さるみたいに感じる。
「どれだけレベルの低い高校だよ」
 助手席でガックリうなだれたけどお父さんは不思議そうな表情のままだ。
「レベルは低くない。生徒たち本人が望むなら、ある程度の大学にも行けるくらいにはしておかなくては」
 信号を越えたらまだ新しくてキレイな、頂上の町までの幹線道路に合流する。
「ただし京大東大、早稲田に慶応、阪大関西、九大といったトップレベルの大学は、度外視している。そうした所に行きたい生徒は、他所を選んで欲しいし現に選ぶだろう」
「僕だって高校、選びたかったんだけど」
 って久しぶりに心からの不満を乗っけて言ってみたら、
「悪いが道の駅に寄らせてくれ」
 って車は橋を渡って幹線道路からは逸れる道に向かった。

 道の駅のお手洗いを借りた後で、お父さんは必ずみたいにここで売られているアイスを買う。僕もバニラを選んで二人ともカップに入れてもらって、外に向けて並べられたベンチに座って食べる。禁欲、って感覚は、山の上にいる間はそこまでは無いんだけど、実際に質素な生活をひと月ほど続けていたから、頭に響き渡りそうに甘いし美味い。
「お前も十分身に染みているとは思うが、うちの家は普通じゃない」
 ベンチの隣で微笑みながら話してくる。
「普通じゃない中でも極めて、特殊だ。ふもとでの、常識や社会理念が通用しない、ところもある」
 通用しない、ところばかりに僕には思えたけど、口の中の冷たさ甘さを意識して飲み込んだ。
「張山の家だって普通、とは言い切れないところもあるが、小石川の人間がいずれは外に出たいと願うのなら、徐々に段階を踏んでいかなくては無理だ」
「だったら最初っからもっと町の家の、養子とかにしてくれれば良かったのに」
「それも最初は考えたんだが、弓月ゆづきに止められた」
 普段呼ばないから違和感があるけど、光希のパパの名前だ。
「いや。止めてもらえたんだ」
 でかい図体でちっちゃなカップから、ちびちび食べていたお父さんも、食べ終えたみたいでカップを置いて、
「今年はお母さんが務める、最後の年だ」
 僕の方に顔を向けて微笑んできた。
「来年からは、紫が務める」
 膝の上で握り合わせた両手に目を落として、ため息を、笑顔を作って飲み込みたいんだなと感じた。
「お母さんが、数えの十六で継いだものを、満の十八に変えてみる。山の上でも少しずつだが変えて行こう、変わってみようとはしているんだ。俺は、それを助けたい。僅かずつでも変化を求める気持ちには、希望が持てる」
 僕とはちっとも似ていない広くて大きな手のひらを、僕の肩に乗せてきた。
「お前の、助け手もいる。来年再来年、くらいまではな。そこから先は、自由だ。お前の好きに選んでいい」

 ふもともそこそこ田舎だから、張山の家も一軒家で、二階は子供達に充てられている。
「かぁおぉるぅ! 助けてよぉねぇえ。今まで助けてくれてたじゃない!」
「高校生の夏季休暇課題、中学生に解かせようとすんな!」
 張山の家に帰った夜からこれだ。こっちだって実家で遊んできたわけでもないのに、課題も進んでないから大変なのに。
「おわんないよこれぇ。あと一週間でぜったいにぃい!」
「遊び呆けて何もやっていなかった光希が悪いんだろ!」
「見せて」
 ってまだ小さな手のひらが差し出されてきた。光希には三歳下の妹、茉莉花 まりかがいて、これが光希のママに似たみたいで、楽しく遊び回っているみたいに勉強好きだ。
「このくらいだったら私、解いてあげられるけど」
「ホント? 良かった茉莉花、助かるぅ」
「六年生とは言え小学生に頼り切るなよ。プライド無いのか光希」
「プライド、とかよりお兄ちゃん。私が解いて答え写して、何になるの?」
 しかも小学生から冷静確実に、説教されている。
「やって来なさい、って言われて渡されたものを、受け取ってしかもやらなかったんだから、お兄ちゃんは、叱られなきゃ」
「それは……分かるんだけどさぁ」
 部屋の畳に寝そべって、クッション抱っこして左右に転がったりしている。もうそろそろ身長も伸び切ろうかっていう高校生が。
「ボク高校入ってからずうっとなんだか、叱られっぱなしなんだけどぉ」
「だから『やりたくありません』って、正直に話して課題、受け取らなきゃ良いのよ」
 光希は身を起こして、
「そっか」
 って納得したみたいだけど、
「ってそんなわけないだろ茉莉花。適当な事言ってごまかすなよ。コイツ本気で信じ込むんだから」
「カオちゃん」
「『薫お兄ちゃん』が長すぎてめんどくさいからって微妙にしか聞こえない呼び方するな!」
 多分茉莉花は実の兄とセットにして、僕の事も基本ちょっとなめてる。
「これまでお兄ちゃんが正直に話して、信じてもらえなかった事ってある?」
 言われて思い返してみたら確かに、悪ガキどもが何かやらかして全校集会とか開かれて、「誰がやったんだ!」みたいな地獄の時間が始まっても、
「はーい! ボク知ってまーす!」
 って空気一切読まずに言い出したかと思ったら、本気で犯人とか証拠の品とかもしゃべり出してしかも当たってたし、もちろん悪ガキたちからは目をつけられて、万引きの品ポケットに入れられて店先で捕まった時も、
「薫。ここで、まってて。ボクにげたとこ分かるから、おっかけてきまっす」
 ってつまりは僕を人質にして、しかも本当に神妙になったソイツら連れて戻ってきた。
 表面だけをなぞって人に話したら、光希が「黒幕なんじゃね?」って思われそうだけど、目の前で顔見ながら声聞いてたら、その場では頷かされて信じ込んでしまう。ウソだ、とか頭にも浮かばなくなる。とは言っても、
「気をつけた方がいいよ光希。みんながみんな、信じてくれる大人とは限らないから」
「だいじょうぶー。ほんっとうにおなかの中からまっくろい子には、ボクはじめっからちかよらなーい」
「どうやって見抜くんだよそんなの」
 って話しながら家まで帰った事を覚えている。
「あのね。ビジュツのカダイは、いっぱい時間かけて描いたんだよ」
 満面の笑顔と一緒にその絵を見せられたけど、
「うわ。色使いきっしょ」
 って茉莉花すらフォローできずに引いていた。


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