見出し画像

正しい夜明け/樹海の車窓から-7 #崖っぷちロックバンドHAUSNAILS

黒いファービーが、本来ならば顔があるはずの場所に埋まったそいつは、青く縁取られたビー玉のようなホログラムの瞳をぎょろッとぎらつかせ、こちらを一瞥したかと思うと、食玩を思わせる安っぽい黄色のクチバシを三回ほどカカカッと鳴らしてスックと背筋を伸ばした。さっきまでの不安定さはどこへやら、すっかり首の据わったソイツは、突然の珍客の出現に縮み上がって震える罪なきバンドマン四人を視認したかと思うと、あろうことか一目散にこっちへ走ってきたのである。
そのスピードダッシュ、二足歩行のチーターの如し。速過ぎて脚が見えない。全身に貼り付いた紙をばら撒きながら店の奥からやってくる正体不明のクリーチャー。この状況でおれ達に託された選択肢はただひとつ。逃げる、それだけだ。
お互いに聞いた事もないようなゲイン最大の悲鳴を上げながら、おれ達は命からがら見慣れたガストの店内から逃げ出した。

転げ落ちるように階段を降り、左折。南口商店街のアーチが目に入るが勢いと勘に任せてそちらではなくすぐ脇の通りに入る。マクドを右手に見ながら無数の古着屋を通り過ぎ、とにかくひたすらにがむしゃらに脚を動かす(フッちゃんは羽ばたく)我々の方に、敵の気配と共にその全身に纏った紙切れが風向きの都合か無数に吹き飛んできては視界を地味に遮る。九野ちゃん(犬)を抱きしめて走るキヨスミが顔面に貼り付いたそいつをベリッと剥がしてなにこれウザ、と呻く。と、紙切れを二度見したヤツは眉を顰めた。
「……カレンダーじゃん」
コンクリートに打ち捨てられたそいつがおれの視界の端にも一瞬映り込む。確かにいわゆる日めくりカレンダーの一ページのようで、今日の日付が書かれていた。そしてそこで、おれは図らずも新事実に思い至る。

ここ――グー〇ルストリートビューらしき世界から脱出するために見つけなければならない、おれ達HAUSNAILSが「目的とするもの」。もしかしてそれって、おれが中心となって見つけなければならないものなんじゃないか……?
多分、である。アイツが暗示しているのは、今月の日付だ。そしてそれを今この場で一番意識しなければならないのはおれである。何故なら、月末締め切りの新曲が完成させられないから。
アイツは、“締め切りお化け”だ。

何なんや、おれが締め切りを延ばし延ばしにしているせいでこんな気の狂った空間で気の狂ったホラーなクリーチャーとハイドアンドシークせねばならん状況になっていると言うのか? そも敵は九野ちゃんが狙いだったはずなのに、何故よりにもよっておれが目下抱えている課題を想起させる刺客をけしかけて来とんのや。何やその雑な「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」作戦。ほんまに世界ってヤツは理不尽なもんやな。思わず地の文にまで関西弁出てまうわ。アルファベットでI(愛)の前にHが来てる点からも世界の理がどれ程不合理かは一目瞭然なわけだが、ご覧の通りちょっとこの時のおれは混乱していたのでとりあえず目の前の課題を何とかしなければと猛スピードで脚を動かしながら考えも巡らせる。そこでおれはやっと気がついた。自分が、超能力者である事に。
こう言う時はまずテレポーテーションだと相場が決まっている。本音を言えば時空の切れ目をこじ開けてこの異世界からリアルワールドへと逃げ出したいところだが、先月テレポーテーションをマスターしたばかりのポンコツエスパーには流石に無理だろう。せめてこの異世界に存在する茶沢通りのクローンぐらいまで移動出来れば、ヤツの目を欺いて撒く事ぐらいは出来るはず。おれは咄嗟に九野ちゃんを抱いて走るキヨスミの腕を掴み、フッちゃんを肩に乗せてスキップの要領で飛び上がった。
ウサイン・ボルトもびっくりの大股一歩を披露して目の前の薄青い空が一回転、した気がする、鼓膜の奥で小型犬とオウムと二十一歳オトコの叫び声がこだまする。次、つま先が地面に着いた瞬間には背後には締め切りの影も形もないはず、きっとそうだと念じながらつま先が地面につく体感五秒前、おれ達の身体はチョロQのように猛スピードで滑り出した。

何が起こったのか一瞬何も理解出来なかった。文字に起こすなら「「「「???????」」」」とでも表記すべき大声を発しながら、映画『バックトゥザフューチャー』に登場するホバーボードにでも乗っているかのような勢いで滑り出すおれ達。左手をクラブキューが猛スピードで去って行く。茶沢通りはとうに背後へと流れ、辺りがすっかり住宅街になっても止まる様子はない。確かに追手の気配は大分遠くなったような気もするが……耐えかねたようにキヨスミが言う。「ねえ、テレポーテーションすんじゃなかったの? 技間違えてない?」
今これ何してんの? との問いになけなしの茶目っ気で返す。
「……ポケモンで言うところの“でんこうせっか”やな?」
「戻れモンスターボールに!!!」
「やかましいわメタモン!!!」
「まぁ~失礼ネ! 勝手にクロスオーバーしてんじゃねえよ任天堂とスクエニに謝りやがれゆとり世代めが」
んな事言ったらテメェも立派なゆとりやないか。握った手を放してやろうかと魔が差したその瞬間、背後に嫌な気配を感じた。思わず同時に振り返ると、何がどうしてどうなったのか、わずか五メートル程度の距離にまで締め切りが迫って来ているではないか。おれの良心はすんでのところでヤツを見捨てるのをやめた。流石の硫酸ピッチ――この通称も最早懐かしい心持ちになる。これで呼ばれんのは「組長」以上に二度と御免だが――も流石にそこまでミゼラブルじゃない。再びこだまする二十一歳男性約二名と小型犬とオウムの叫び声。若干スピードを上げる見えないホバーボード。どうやらメンタルのムーブによってスピードが変わるらしい。それにしたって、この距離じゃあヤッコさんがちょっと手を伸ばせばこちらへ届いてしまう。歯を食いしばって混乱を噛み潰していると、キヨスミが妙に自信ありげな声を上げた。
「どーやら俺が底力、見せつけてやるしかないっぽいねェ」

何やそのクソダセえ少年漫画に出てくるチート野郎みてえな台詞、と思った次の瞬間、おれは己の目を疑う事になる。
何故なら、ヤツの黒いリボンが編み上げになったドレスワンピースの背中から、青いタコの脚のようなものが何本も飛び出してきたからだ。


******************

おにいちゃん、ボク、これしってるよ! 触手っていうんでしょ? その……えっちなマンガにでてくるやつ……。
おれの脳内の好奇心旺盛な五歳児が元気に宣誓するが、ちょっと今は黙っててほしい。気が散って、足元の仮想ホバーボードのスピードコントロールが疎かになってしまう。その心の揺らぎは決して別に断じて、目の前の背中から触手を生やしたスライム美少女(但し顔面は見慣れたヤローのそれ)のやたら扇情的な佇まいによって生じたものではなく、「同行者の背中から急に触手が生えた」と言うその常軌を逸した状況による衝撃によって発生したものだと思いたい。
サナギから蝶が出てくる時の再現のように、少し丸められたキヨスミの背中はその表面がぱっかりと裂け、隙間からタコ足が何本も飛び出している。飛び出した触手は目算十本程度、更に物凄い勢いで天に向かって伸び育ち、頭上の電線に絡みついて一気に縮んだ。そいつに引きずり上げられるようにしておれ達は飛び上がり、モノレールのように移動し始める。お陰で、締め切りクリーチャーの射程範囲から大幅に距離を取る事に成功した。
成功したは良いものの、何が起こったのか全く理解出来ないままのおれ達は突然のキヨスミのウルトラCにただただひたすら呆気にとられるばかりだ。九野ちゃんは「えっっっ!? なにこれキヨちゃん背中伸びるの!? メタモンだから!?」などと頓狂な声を上げる。確かにヤツに抱っこされた状態の九野ちゃんの視界からだと、スライム娘の背中が棒状に伸び縮みしたように見えるかもしれない。
キヨスミは、背中から立派な触手を生やしたばかりとは到底思えぬ至って冷静な声音で「宇宙人だからだわ馬鹿犬」と応じる。どうやらこいつ、元々背中から触手を生やす事が出来たようだ。なんやその、駕籠真太郎もびっくりのエログロギミック。
と言うおれの心の呟きを察してか否か、触手を器用に使って雲梯で遊ぶように空中移動を続けるキヨスミは「イイでしょこれ、セルフ触手プレイ出来ちゃう♡」とジェリービーンズのような口角をドヤァと上げる。流石のおれもやっぱり一瞬手ぇ放してやろうかと思った。

そんなこんなでちょっと目を離した刹那、左肩に乗ったフッちゃんがあっと言う間に背後に吹き飛ばされてしまった。捕まえる間もなく姿を消す青いオウム。「ワーッフッちゃーん!!!」と九野ちゃんが叫ぶ。えっマジかよと思ったが戻るわけにもいかぬ。キヨスミもそう判断したようで、ひたすらに前方から目を逸らそうとしない。遂に行き止まりが見えてきた。小綺麗な低層マンションに正面からぶつかりそうになり、キヨスミが右へ方向転換しようと試みた瞬間――――背後でミシッ、と音がした。


音のした方を恐る恐る振り返ると、角に立ったピンクの外壁の一軒家の屋根に、すっくと、締め切りお化けが立っていた。


彼奴、ジャンプしやがったのだ。


世界が時を止める。首の後ろを嫌な汗が伝っていく。風はない。ゆらり、と骨組みを軋ませながら顔を上げたヤツは、黒い羽毛に埋もれた白目と黒目の過剰なコントラストをいっそう強め、黄色いクチバシをカカカッと鳴らす。一定のリズムを刻むように、カカカッ、カカカッ、クチバシを鳴らしながら近づいてくる締め切りお化け。キヨスミの触手は驚きに硬直したように動きを止め、おれもその場に浮き上がった状態を保つだけで手いっぱいだった。アクション異能力アニメなんかで、敵に追い詰められて身動きが取れなくなっているキャラクターを目にする度に行儀よく怯えてねえでとっとと反撃しろよ! とドヤしていたものだが、自分がその状況に置かれて初めて、彼等の気持ちがわかった。これは確かに、身動きが取れん。

自動車に轢かれかけてその場に立ち尽くす野良猫のような、無力なおれ達のほんの三十センチ手前に追手の手のひらが迫る。手のひらにまでご丁寧に日めくりカレンダー貼ってあるじゃねえか。せっかく仲間を一羽……もとい、ひとり犠牲(?)にしたと言うのにあんまりである。もうこれまでか。思わず身を固くした、その瞬間だった。


突如猛烈な強風が吹き荒れ、キヨスミのスカートが思い切り良く捲れた。


「やだぁ」思わず空いてる方の手でスカートを抑えるキヨスミ。その一瞬垣間見えた白いカボチャパンツ――うっかり見えてしまった――の対角線上で、締め切りお化けのカレンダーが物凄い勢いで飛ばされていった。


一瞬で紙吹雪のようにバラバラに砕け散る締め切りお化け。あっという間に全てがその場から姿を消し、あの不気味なクリーチャーは影も形もなくなってしまったのだった。


まさかおれ、巨大扇風機でも出現させたんか……? 一瞬自分の火事場のサイコキネシスパワーアップを疑ったが、風上の方角には当然それらしいものは見当たらない。
その代わりにおれ達の目の前に現れたのは、五階建ての低層マンションと同等レベルのデカい翼を誇らしげに広げた、夜空を覆う程の巨大な青いオウムだった。

「よォ! スーパーリーダーギタリスト八重樫藤丸、またひと回りデカくなって帰ってきてやったぜ!!!」


2018年設立、架空のインディーズレコードレーベル「偏光レコード」です。サポート頂けましたら弊社所属アーティストの活動に活用致します。一緒に明日を夢見るミュージシャンの未来をつくりましょう!