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パリ軟禁日記 49日目 清掃のおじさん

2020/5/4(月)
 僕が住むアパルトマンには清掃のおじさんが定期的にやってくる。おじさんは話好きだ。今回のウイルス騒動の前だと、すれ違う度によく世間話をした。「カルロス・ゴーンのニュース見た?」「今回のストライキは大変だ!」話出したらなかなか止まらない。僕は相槌を打つばかりで、おじさんの話を聴くのが常だった。生のフランス語をたっぷり聞けるのは語学の勉強としてもよかったし、市井のフランス人の感覚が知れるのも興味深かった。

 今日はランニングに行く前に、ゴミを捨てにアパルトマン地上階のゴミ捨て場に立ち寄った。たまたま清掃のおじさんと出会った。軟禁生活が始まってから初めてだった。とりあえず挨拶をする。「元気ですか?」

「今回の中国ウイルスは本当に最悪だよ!」

 ちょっと耳を疑った。聞き間違えたかな?
 念のため、「え?」という表情で聞き直したところ、

「中国政府はひどいよ。ずっと嘘をついてるし、情報を隠している。おかげでこっちは必要な準備をすることもできず、たくさんの人が亡くなった。経済的にも大損害だ!」

 時として、フランス人は皮肉っぽい冗談を言ったり、議論のための議論を吹っかけてくる時がある。今回もその可能性があるかもと思ったけれども、口調や表情からどうやら真剣だ。本当に怒っている。

 おじさんの発言を「差別的だ」とか「根拠がない」という正論で退けることが僕にはできなかった。おじさんは自分の苦境を何かのせいにしないとやっていけないのだろう。言うまでもなく、おじさんの仕事は感染と常に隣り合わせのハイリスクの仕事だ。だと言うのに、おじさんはマスクもせず、素手でゴミ袋を運んでいる。聞くと、マスクも消毒ジェルも満足に支給されていないそうだ。それにもおじさんは怒っていた。当たり前だ。命がかかっているんだから。

 最初の数週間は仕事ができなかったと言っていたけれども、今はこうしてまた働いている。そうせざるを得ない経済的な事情があるのかもしれないし、他の理由があるのかもしれない。何にせよ、おじさんは苛立っている。先の見通しが立たないことも、危険だらけの毎日も、僕とは比べ物にならないストレスが彼を襲っている。

 気の毒に思った僕は、少しおじさんの話に付き合ってあげようか、と思った。誰かに怒りをぶちまけたいのかもしれない。傾聴の姿勢に入ろうと思った束の間、僕の心の中で声がした。

「距離ガ近スギル。危ナイ!」

 ここ数週間、僕は神経質なまでに感染対策を実践している。現在従っているプロトコルによれば、清掃のおじさんとの近距離での会話は完全にアウトだった。頭の中に警告音が鳴り響く。「速ヤカニ離レルベシ!」

 もう行かないと、と言ってその場から去ろうとした。
「ランニングかい。それは身体にいいね。」おじさんは少し笑顔に戻った。そうやって僕は逃げるように走り出した。おじさんのような境遇で働かざるを得ない人たちは今この世界にどれくらいいるんだろう。なぜ僕はそういう人に感謝も言わずに、逃げるように走り出しているんだろう。

 僕が驚いたのは、マスクもしていない他人との距離が近いだけで、こんなにも居心地の悪い思いをした自分がいたことだった。感染から自分を守るための言わば「生存本能」として、それは正しいのかもしれない。だからと言って、さっきのはないんじゃないの…?ぐるぐる回る違和感のスパイラルの中、僕はいつもより速く走ったし、きつめのトレーニングをした。

 対面で人と接する機会がなくなってから7週間。
 気づかないうちに僕の中で何かが変わってしまったのかもしれない。
 清掃のおじさんの人生もきっと何かが変わってしまったのだろう。
 再び、僕たちが他愛ない世間話をすることができる未来は果たして来るのだろうか。

 今日も曇りでくそったれな天気だった。

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